1975年12月11日、蔵前国技館で行われた伝説の名勝負アントニオ猪木vsビル・ロビンソン戦から50年。
自分の中で名曲、名作、名勝負の条件は「何度聴いても何度見ても新たな発見がある」です。
正にこの試合はその最たる例です。
私はリアルタイムでなく後追いでビデオなどで見た世代ですが見るたびに発見があります。
それぞれの得意技必殺技を出し合う華麗な攻防もあるんですが、基本お互い「ここを殺してやろう」とじりじりとやり合う。
それが細かなやり取りからわかる。
見るたびに新たに発見する。
これがたまらないです。
ファイト紙のI編集長こと井上義啓編集長がどこかで書き記してました。
「この試合の大きな意味はたった一度しか行われなかったことである」
これは深いなと思いました。
たった一度しか行われていないプロレス名勝負って実はそんなにないと思います。
猪木さんに限定しても異種格闘技戦や晩年のフレアー戦などを除けば、「たった一度」しか戦っていない相手との名勝負はそうないんじゃないでしょうか。
ドリーとは二度やってるしタッグで何度か戦ってます。
ロビンソンはこの蔵前の少し前に来日、特別参加として数戦試合をこなしてますが、猪木さんとはタッグ含め一度も対戦していません。
プロレスで長く定着しているビッグマッチ前の前哨戦がないわけです。
それでこの名勝負。
ただの希少価値としての「一度」では済まないミラクルだと思います。
またその後に二人がリング上で交わることが二度となかったことも特筆すべき。
これはすごいなぁ。
この試合猪木さん自身が高く評価していないのが興味深い。
「昔のことだからもう忘れちゃったよねガハハハ」
アントニオ猪木は過去のことを聞かれるとそう笑い飛ばす人。
そう言いながらも何だかんだで語ってくれることも。
ドリー戦、アリ戦、シン戦について饒舌になったりする。
でもこのロビンソン戦については素っ気ない。
拍子抜けするほど素っ気ない。
傍目から見ると最高の名勝負だけど猪木さん自身満足を得られない何かがあったのかもしれません。
それを推理しながら見るのがしびれます。
発見と推理の繰り返し。
本当は何もないのかもしれないけど、
何かあると思ってついつい見てしまう。
私はプロレスのおかげでプロレスのせいで信じやすく醒めやすく執念的で疑り深い人間になってしまいました。
生活においてあまり必要のない感性を最大限に研ぎ澄ますことができる、猪木vsロビンソン戦はそういう試合です。
