「A.K.A:悪夢のどりかむ」の閉幕にあたって。 | ミスターのブログ

「A.K.A:悪夢のどりかむ」の閉幕にあたって。

日本の悪夢は世界の未来(悪い意味で)
「A Nightmare Is A Dream Come True:Anime Expressionist Painting」展
の閉幕にあたって。
(※以下、「A.K.A:悪夢のどりかむ」)
展覧会サイト:http://gallery-kaikaikiki.com/nightmare/


自分としてはどうだった?どうだ?
こうでした。


●日本のアートのオタク絵シーン
・歴史は正しくあるべき
・カオス*ラウンジは盛り上がりから2年を経た。今どうか?

●若者(今展メンバー)の才能と瞬発力。

●NaBaBa君の見ている新たな未来展望に驚いた
(普通ではなかなか見えない)。

●今後。海外も含めて。

です。
_________________
●<日本のアートのオタク絵シーン>
「日本のアートのオタク絵シーン」は
2010年カオス*ラウンジの一連の活動によって、
ある一定のイメージ定着の印象を与えてしまった。
カオス*ラウンジの2010年あたりは、社会的にも機能していた。
新しいソーシャルネットワークとの同期は眩しかった。

しかし、月日は流れ、2年経った。
あの現象は多くの人々への迷惑を振りまき、悪いアートの代名詞として
ネット界では有名になっている。
キュレーターの黒瀬陽平さんは、それこそ「悪い場所」の「悪いアート」
とか、ウソぶきそうだが、そういうものでないことは自明だ。

時系列からして今回の「A.K.A:悪夢のどりかむ」は
「ポスト カオス*ラウンジ」とキュレーターの村上隆さんは言っているが

実は僕は納得していない。

なぜならば、カオス*ラウンジが僕を模倣してきたからだ。
藤城嘘さんも、梅沢和木さんも、そのことをデヴュー後、言わない。
逆にカイカイキキを「オワコン」と呼んだりして調子に乗っていた。

僕は彼らを憎んだりはしない。
でも、なんというか、人の道の最低限の部分は、いかがなもの?って思っている。
僕はそういうところ、大事に生きてるので。

自分は賢い人間ではないので、なおさら、人間関係を大事にしないと
まずいという、哀しさもあるが、それも現実だ。

「こじ付け的なコンテクスト化の違和感」の
ご批判もいくつか見受けましたが、時間は平等に篩(ふるい)にかけてくれます。

黒瀬陽平さんが<「悪夢のどりかむ」は残らない>と言っているそうですが、
それも、時間が解決してくれると思います。
今、言われても、別にどうでもいいことです。

僕自身、曲がりなりにもデヴューして16年ですし、それなりに見てきてるし。
残る残らないは作家の意思と、公平な時間の篩(ふるい)です。

「AKA:悪夢のどりかむ」の最終日にあたって、思いつくことを書いてみました。
以下は、シンプルなメモです。
鑑賞時にガイドにしていただけるといいかも、と、思いました。

●若者(今展メンバー)の才能と瞬発力。
今展メンバーは社会人、ゲームクリエーター、学生(美大)、すでに画家、様々。
私(Mr.42)を除けば、はっきり言ってみんな若い。
今回は手で描く(アナログ)こと意外に、作品の大きさにも意味がありました。
迫力です。現代の西洋のart作品は大きさによる説得力があります。
家では描けないという理由(言い訳)は通らなかったりします。
大きい絵は普通の家では描けないので、
メンバーはカイカイキキ三芳工場内の「ちゃんば」という
スペースを利用させてもらい、非常に大きい作品を作った。

そして、その時に、彼ら(メンバー)の制作風景、作業の姿を見たのですが、
「ウソでししょっ!?」と思うくらい、仕上げに至るまでが早かった。
しかも、内容もいい。(STAG、NaBaBa、おぐち)
これは業界的には非常に重要でアドバンス高い。
がんばってもこんなには普通はできない、
この才能は生まれ持ったものか、訓練を経、育て上げたものかわかりません。
いかなる(言い訳できない)状況でも、自分を軸に、ブレた時も軸を元に戻すこ
とができ、
ゴール(完成)への道筋を直線にもどすことができる、故、早く、素晴らしい。
しかも、実際の筆も、ペンタブも同等に扱える。
(きつい訓練をすればできる場合があると思いますが、本当に大変)
目から鱗でした。


●NaBaBa君の見ている
新たな未来展望に驚いた
(普通ではなかなか見えない)。
話はそれるように思われるかもしれませんが、
同展メンバーには逆に、勉強させてもらいました。
僕は現在のゲームのことはよくわかりませんが、
洋ゲーの好きなNaBaBa君(今展参加アーティスト)はツイッターで
ゲームのレビューしていて、その中で、
「S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobyl(ストーカー シャドウ オブ チェル
ノブイリ)」(2007)
というウクライナのゲームがあるようです。
製品紹介より http://stalker.zoo.co.jp/introduction.php WEBより

NaBaBa君いわく、「ゲーム史上の特異点として、歴史に残る名作」と、
村上さん(村上隆)も反応、意見されています。
https://twitter.com/NaBaBa/status/209281165658558464
(@NaBaBa君のツイート、ト レーラーより)

このゲームはウクライナの若者に大人気で、Stalker Festという大型のライブイベント
https://twitter.com/NaBaBa/status/209287992257421312
(@NaBaBa君のツイートよ り)
もあり、本当にこの動画には驚きです。

チェルノブイリの事故(1986)が起こった国で、
事故後こんな若者、イヴェントが出て来るとは、、、、。
日本の未来は、若者はどうなってしまうのだろうと、考えてしまった、、、。
人間の不条理さを受け止めて生きて行かなければならないという
現実、と未来ををそこに見たように思います。

福島の原発事故を通じ日本の未来は世界の未来になるとは普通に思いますが、
実は日本の未来はウクライナ(1986)の未来でもあるとも思いました。
洋ゲー好きのNaBaBa君のこの意外な未来展望、ゲームクラスタの目には驚
かされました。

同展のUSTでNaBaBa君があそこであそこまで
必死に狂ったように踊らなければならない理由もわかったように思います。
一緒に活動で来てよかったです。


●今後。海外も含めて。
(オタク絵をキャンバスに描いただけではなく)
スーパーフラット(リトルボーイ展まで)と同様、
海外での展示も込みの活動となっているようです
(キュレーターである村上さんより伺っています)。

年内には海外での具体的な展示が予定されています。
海外での活動、海外のこと。
海外のことは国内からは見えない。
これだけは実際行って、やってみないとわからない。
それか、行ったことのある人のガイド上でやっていくしかない
(そうして、勉強、経験する)。

キャンバスへ実際に描くことに対して、「データ、CGでいいじゃないか」
的に言う人がいたりしますが、
artの現場の取引は「物の(ぶつぶつ)交換」要素が強く、
「データ、印刷物はいいから、本物持ってこい、ここへ持ってこいや!」的で、
本物でないと信用しないというか、
原始人的な価値観を僕は感じています。

その価値観には説得力があり、納得しています。
(※写真や、版画、ポスターが良くないわけではない。)

確かに、NYへ進出のラーメン屋(最近増えているようです)
は温度ぬるい、麺短い、うどんみたい、ビーフ味
に変わってしまっていたりしてます。
日本の良さを薄めないという意味では、
濃いほうがいいが、それを否定し、覆したい人はどうぞ。
と思います。

しかし、レギュレーションは鋼鉄のようです。
今展の「アナログ絵画」の意味性が、いかに大事であるか
わかっていただければ幸いです。
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↑会場入り口

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↑集合写真(全員揃った日)。

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↑USTREAM配信も結構行いました。メンバーに加え、とらこさん、JH科学さんもゲストに。
座談会の様子。

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↑村上隆のFM芸術道場 収録中

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↑この写真は初めてメンバーが集まったときの写真 まだ冬だった。2012/1/28