こんばんは。
ここ数日は色々あって思うようにブログを書けませんでした。
書きたい事というか…吐き出したいことはあるけど…
何でもかんでも書けないこともあるのでそういう時がちょっと辛いなって思います。
夫が亡くなって以来、本を読んだり皆様のブログを拝見させていただく中で「自死遺族」という言葉を知り、「自死遺族の会」というものがあると知りました。
知ってはいてもなかなかハードルが高く感じられます。
そしてどこにでもあるものでもなければ、不定期開催だったりでタイミングが難しいというのもあります。
何でもそうですが、はじめての事って不安なんですよね。
デリケートな事でもありますし…。
それでも勇気を出して一歩踏み出してみようかな、と。
あまりにも毎日が辛くて、でもどうしようもなくて。
行ってみたら何かが変わるかもしれないと不安と緊張の中参加を決めました。
詳細は伏せますが、行ってよかったなと思いました。
ただ話す、ただ聴く。
様々な環境や、それぞれの立場があります。
そういった個々の気持ちは誰にも理解できない部分もあります。
「大切な人を亡くす」という悲しみや辛さや苦しみも一見同じように思えるかもしれませんが、受け止め方も悲しみ方も時間の経過も全然違うこともあるのです。
だからこそ共感できることがあっても軽々しく「わかる」とは言えないのです。
ディスカッションなんて以ての外です。
そういったものが無かったことに心底ホッとしました。
聞いてもいないのに意見やアドバイスは必要ないと思うから。
良かれと思って心配からの言葉だとはわかってはいても受け止めることがとても難しいのです。
そうして傷口に塩を塗られたように感じてしまい更に苦しくなってしまうことが増え…
「もう、誰にも話したくない。会いたくない。」
…そう思ってしまうのです。
周囲からしてみれば
「じゃあどうしたらいいの」
「こんなに心配しているのに」
こうしてお互いが苦しくなってしまうこともあります。
こうなるとどんどん孤独を感じ始めます。
難しいですよね。
このままじゃいけないという思いもあるんです。
わかるけどどうにもならない気持ちがたくさんあるんです。
それくらいデリケートな事なんです。
私は自分自身の気持ちや悩みに向き合っていますが、我が子の本当の気持ちはわかりません。
きっと私の悲しみや苦しみや辛さと、我が子の悲しみや苦しさや辛さはまた違うと思うのです。
我が子の気持ちを分かりたくても本当のところはきっと私にも話せない思いがあるでしょう。
遺族の会に限らずブログなど間接的ではありますが
親を亡くした子の話を見聞きすることで視野が広がりました。
そして私が子供に出来る事は本人が話してくれた時に「ただ聴くだけ」なんだと思いました。
質問もアドバイスも一切しません。
そっと抱きしめたり手を握るくらいしかできません。
「話してくれてありがとう」と…。
-----------------------
自死遺族の会での私についてですが…
お相手の方の話を聞くだけで涙がボロボロ溢れてしまいました。
同じ状況ではなくとも自分の時の事とリンクさせて思い出してしまうし、その方の想いは計り知れないと思うと…。
話したくなければ話さなくても良いとのことでしたが
一言発した瞬間に次から次へと想いが溢れ出ました。
葬儀以来、声を押し殺して泣く日々で人前で泣くこともなくなり
何を聞かれても話せなくなっていたのに、です。
久しぶりに人前で夫について話しました。
声を上げて泣きました。
それでもみなさん「いい」とも「わるい」とも言わず
私の話に耳を傾けてくれました。
合う合わないはあると思いますし、会によっていろんなやり方があると思うので何とも言えませんが…
私個人としては安全な場所で話して涙を流すのはデトックスのような感じでした。
時間の経過で悲しみが薄れていたのかとも思っていましたが、そうではなかったんだと。
蓋をしていただけで、ほんのちょっとの弾みでこれほどまでに溢れるということはこわい事だとも思いました。
私は参加してみて本当に良かったなと感じました。
そして失敗した~!と思ったのが…
特に持ち物の指定などは無かったのですが…
ハンカチ一枚しか持っていなかったことです。
そう、ティッシュを忘れたんです。
必須でした。
泣くことが増えて鼻も痛いのでちょっと良いティッシュを買います。
そしてハンカチ一枚では足りなく、びっしょびしょ。
そして泣きすぎて水分がもってかれます。
カラッカラになりました。
不定期開催なので次がいつになるかはわかりませんが…
タイミングが合ったら参加したいなと思っています。