音楽療法を学び始めて間もない頃、近くの整形外科に併設されたデイサービスで10年程一緒に音楽活動をしていた友人Tさんがいます。

それは、それは優しい人で私より10歳年下でしたが、良く気がつく人で伴奏を担当してくれていました。彼女は、ピアノやエレクトーンが上手でしたが、音響の仕事にも興味があるとのことで、昔、オーケストラでトランペットを吹いていて、指揮者もされ、音響の仕事をしているMさんのところに弟子入りをして仕事を手伝いながら勉強を重ねていました。

彼女とのつながりで、Mさんには、デイサービスでトランペットを吹いてもらったり、私が関わっている障がい者入所施設で1年に1回開催していたコンサートの音響をほとんどボランティア価格でして頂いたり、色々教えて頂き大変お世話になりました。

又、Mさんは、オカリナを指導されていて、そのグループが文化センターのランチタイムコンサートに出演されるときには、一緒に歌ってくれない?と誘って頂きご一緒させて頂いたこともありました。(伴奏者はTさんでした)


 Mさんは結婚されていて、子どもさんが3人おられましたが、長らく奥様とは別居状態で、実のお姉さんを引き取って一緒に暮らしておられました。Tさんは、Mさんのお姉さんが介護状態から亡くなるまでお世話をし、又、Mさんが脳梗塞や糖尿病からの腎不全になっても献身的に支えていて…いつも感心していました。

Tさんのご主人が急死されたときは、Mさんは、彼女の大きな支えになったと思います。

その後、Mさんは離婚されましたが、お子さん達とは交流が続いていたようです。

Mさんが2年前に目の裏側にガンが見つかり、手術をする直前にショッピングモールでの音響の仕事をされているところに訪ねて行ってお話しをしたのが最後になってしまいました。ガンになってからもTさんは献身的にMさんを支えていました。

本当にMさんは、Tさんにとってかけがえのない人だったと思います。

私もMさんのことは気にはなっていたのですが、コロナ禍で面会は難しく、お見舞いに行くことは出来ませんでした。


 Tさんから、Mさんが亡くなったとの知らせを7月1日にもらい、Mさんのお子さん達のご意向で直葬になったと知りました。お通夜や告別式はしないため、葬祭場の安置室にお参りさせて頂きに出かけました。

私が行きましたときには、安置室にはMさんだけで、まだ誰もいませんでしたが、お経をあげて、お顔を見せて頂いていると(Tさんは一旦家に戻られていて、入れ違いになりました)、ご長男さんが入って来られて、色々お話しが出来ました。

その後、親戚の方か?3人来られたので、失礼しましたが、Tさんの話では、その後、後から後から人がいらしたそうで、お供えやお花で安置室がいっぱいになり、座る場所もなくなり、ロビーで皆さんとお話しをしたそうです。

翌日は、斎場にたくさんの方が最後のお別れに来られたとかで、オカリナグループの皆さんが「野に咲く花のように」を吹いてお迎えしたそうです。


 私は、仕事の都合や別の通夜式に行く予定があり斎場には伺うことが出来ませんでしたが、Tさんから、斎場での様子を後からメールで教えてもらいました。

火葬場の職員の方が、「お徳のあった方だったのですね」と言われたそうです。「コロナ禍で随分寂しい思いをさせてしまったけれど、最後にたくさんの人に見送ってもらって、良かった。」とメールの最後に書いてあり、本当に良かったと思いました。


 Mさんには、本当にお世話になりました。ご冥福をお祈り致します。合掌。

そして…お疲れ様でした。Tちゃん❣️

少し落ち着かれたら、一緒に食事をしながら、Mさんのことを話しましょうね。