ファッションエディターになったきっかけ | Miss SHADOW, 人生はファッションと共に

Miss SHADOW, 人生はファッションと共に

私の名は、Miss SHADOW。
職業は、世界を飛びまわるファッションエディター&時々スタイリスト。
ここでは普段おおっぴらに語ることのできない、ファッション業界裏話&人には言えない恋愛事情を大胆告白。

ファッションエディターになりたい、と具体的に思ったのは、大学を卒業する頃だった。
まわりが温室育ちの没個性お嬢ばかりだったせいか、自分の将来についてしっかりと考えることすらしなかったマヌケな時期だ。

自分が着飾ることに興味を持ったのは中学生の時だったが(その頃、着飾るといってもブームはフレンチシックやグランジといったものだった)、高校生の頃『STUDIO VOICE』に出合い、そのファッションエディター特集でアナ・ウィンターとカール・ラガーフェルドに興味を持ったことで、生まれて初めてファッションエディターという職業があることに気づいた。
今をときめくニコラ・フォルミケッティなんかが出てくるずっと前のことで、ジョー・マッケナやケイティ・イングランドにも憧れたっけ。
でも、当時の私にはそんなことより単に服が好きで、親の小遣いとバイトで「コム デ ギャルソン」をひたすら買い漁ることが日々の日課だったのだ。

そんな私に、ふとファッションエディターのはしくれのような仕事が舞い込んで来る。
就職氷河期にあっさりと破れ、大学の友人は働くこともせず親の決めた許嫁のところに嫁に行く、、という今どき古くさすぎる環境にいた私を救ってくれた恩人がいたのだ。

その私にとって初の上司となる人は、元々ハンパないインディーズ系の音楽好きで、どちらかというと音楽雑誌を生業にしつつ、ファッション雑誌にも手を出していた人だった。

見て、知って、得るという(おっと、ここでバレるとマズイのだが)、まぁ何とも立派な?由来のペンネームなんかつけちゃって、でもどこか憎めない、可愛らしい雰囲気を持った、今でいうエイジレスな魅力を持った人。

ここで今更なのだが、私は東京の出身ではない。
とあるそこそこ繁栄している都市のすみっこに生まれ、ファッションなんてバカがハマるただの道楽、と決めつける親の元で育った。

そんな私でも、幼い頃から人一倍遠くに行きたい、という願望が強かった。
東京行きを促したのは、当時付き合っていた男の転勤がきっかけである。
そう聞くと、何て短絡的な女なんだろって思うでしょ?
でも、まわりと同じく地方の温室育ちの私には当時の東京が宝石のように見えたし、親を説得するのに半年間土下座を続けたのだ。

そしていざ東京へ。
その途端、あっさり男には東京で好きな女ができた、とフラれ、あまりのショックに38度の熱で2日間寝込む事態……いきなりひとりぼっちだ。
この時は、初めての一人暮らしだったし、本当に泣きそうなくらい(いや、実際泣いたな)心細かった。

そんな私に手を差し伸べてくれたのが、たまたま東京でエディターの仕事についた一つ年下の女の子を介して出会ったその上司だった。

男だけが目的で、なんてさすがに親に言えるわけもなく、ひとまずファッションの専門学校に入って課題をこなしていたのだが、どうもそれだけでは物足りなかった。
そんな時、たまたまとある老舗のフリーペーパーのイベントでボランティアをすることになり、運命の出会い?を果たしたのだ。

音楽にはあまり興味がなかったのだが、その上司の原宿カルチャーを体現したファッションが好きだったし(その頃は裏原ブーム)、とにかく机上の勉強よりも実践で力をつけたい、と思っていたので最初の3ヶ月はノーギャラで働くことを快諾した。
まぁ今思えば、当然と言えば当然である。
だって、当時の私はPCのキーボードもろくに打てない、何もできない子ちゃんだったのだから。
最初の仕事は、人間デリバリー便、である。

それから音楽雑誌でCDレビュー100本ノックなどをこなすうちに、段々とファッション雑誌の仕事を振ってもらえるようになった。
はじめは右も左もわからずにやっていたので、ただエディターに近づいている、社会と繋がっている、という感覚が単純に嬉しかった。
たとえ3日間家に帰れず、お風呂に入れなくても。
上司のネコの世話までやらされても。

ところが、だんだん社会と接していくうちに、女のコワイ部分が見えてくるようになる。
ファッションエディターって、言わば女子校のようなところもあるのかもしれない。


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