私はあまり怒らない。
気が長いわけでもないし、そこまで寛大でもないのだけど、
あまり怒ることってしない。
それは、
人にはそれぞれ事情があるからだ、
とどこかで思っているからかもしれない。
いらっとしたりすることは日々あるけれど、
その感情に取り込まれたりはしない。
怒ることはあっても、あとはひかない。
まあ、いいじゃん、明日はまた新しい日だし、
とか思う。
そんな話を次女としていたら、
「私、怒るってあまりわからないの。
怒るっていうより、悲しくなっちゃうんだよね」
ときたもんだ。
実際に次女は最近、
中学で仲良しの子がつらい目にあって泣いてしまったとき、
一緒に泣いたという。
その「つらい目」というものは、
あまりにも幼稚な同級生のいたずらで、
私は実際に一緒に泣くほどのものではないと思ったのだけど、
(お友達のお母さんも、くだらないと思ったくらいのこと)
次女曰く、
「私の友達はとてもやさしいいい子で、
ふざけてでもそんなことされるに全く値しない。
それに私はとても頭にきたんだよね。
でも私、怒るというより、そういう時ってすぐに悲しくなっちゃうの。
なんでそんなことする人がいるんだろう、って。」
怒りを激しい言葉で表現する人もいれば、
ものに物理的に当たったり、
暴力に訴える人もいる。
また、怒りを瞬間で抹殺して、昇華させることもあるだろうし、
向き合わず黙殺し蓄積させることもあるだろう。
次女の場合、怒りは悲しみである。
次女もあまり怒らない。
めったなことで怒らないし、気分がいつも安定している子だ。
でも私と違うのは、
怒るようなことがあると、それが悲しみになる。
スルーせず、影響を受ける。
そして一晩もせずケロッとする私と違い、めったにすぐに忘れない。
(ここらへんがさそり座(次女)といて座(私)の違いだな。)
いいじゃん、別に、もう!
というのは次女には通用しないのだ。
14年間彼女を育ててきているわけだけど、
次女は色々な面で想定の外にいて、おもしろい。
いつでも新たな発見があり、それは赤子の時から変わらないのだ。