現在、六作目?第六期?というのか、懐かしのゲゲゲの鬼太郎のアニメが放送中です。
これね、その時々の日本の社会問題みたいなもの、流行みたいなものが反映されていて、そういう目で見ても楽しいんです。
同じ妖怪(素材)を、どのように、料理してくれるのか、それが、オールドファンにとってのお楽しみ。
今のところ、第六期は、猫娘と人間の女の子がとても可愛らしくて、どこを狙ってんだ?と思う半面、鬼太郎の性格が、お子様向けでなく、妖怪と人間の間にはっきり、線を引いてるような部分があって良いです。
これが、おそらく、終盤はもう少し軟化していくのでは?と、予想してます。
はい、それで、第六話、タイトルは、
厄運のすねこすり。
登場する妖怪は、犬のような猫のような、小さな妖怪、すねこすり。
人口減少中の村?町?で、おばあさんと暮らしてます。
ざっくりいうと、すねこすりは、甘えん坊の寂しがりで、人間大好き。
人間も、すねこすりを猫だと思ってるので、すねこすりが大好き。
しかし、すねこすりは、何も食べない。
それもそのはず、人間の生気を吸い取っているから。
今回の泣かせどころは、そのことに、すねこすり本人が気づいてないところ。
彼は、大好きな人間と一緒にいて、楽しい、嬉しい、寂しくない、元気が出る。
しかし、あるとき、ともに暮らしている人間は枯死していく。
それが、自分のせいだとわかっていない。
それを鬼太郎親子に知らされるときの、鬼太郎VSすねこすりのアクションシーンが、なかなか、かっこいい。
電信柱を歪ませる演出は、このシリーズでも屈指と言っても良いのでは。
自分は妖怪だと教えられた、すねこすりの回想シーンが泣かせます。
江戸時代、お腹を好かせた痩せた子猫が、
道行く人の足元に、体をこすりつけていくと、まるまる太った元気な姿に。
もとは妖怪ではなかったけれど、人の生気をいつしか吸い取るようになっていた、妖怪変化になっていた、ということなんでしょうね。
いろいろありまして、すねこすりは、大好きなおばあさん(彼は、かあちゃん、と呼んでいる)を死なせないために、わざと妖怪の姿を見せて、去っていく。
おばあさんの実の息子に、追い払われた体を装って。
お気づきでしょうか?
後半は、鬼太郎、何もしてません。
ここまで、結構泣かせる展開なのですが、心穢れたワタクシは、どうせ、最後は鬼太郎もしくは目玉の親父が、
すねこすりに町へ行け(人がたくさんいれば、ちょっとづつ生気を吸い取ればいいわけで、人間は死なない)と示唆するか、
せこいねずみ男が、猫カフェに売り飛ばすとかしてくれるんだろう、と思ってました。
でも、ほんとに何もしない。
ラストシーン、
山奥で、かすかな咆哮が、聞こえ、鬼太郎の瞳が一瞬大きくなる。
それでおしまい。
山の中で、人間に近寄ることをやめて、
飢えて弱ったすねこすりの、最期の叫びだったのか?
あるいは、おばあさんへの最後の呼びかけで、すねこすりは人の多いところへ流れていくのか。
本当は後者がいいんだけど。
鬼太郎の顔と、目の動きからすると、前者の可能性が高いような。
地方の過疎の問題と、
人がいないと生きていけない、愛玩動物としての犬猫の悲しみについて、考えさせられた回でした。