米内光政のこと | LongLiveWithHisMajestyのブログ

LongLiveWithHisMajestyのブログ

関心があるサッカー、政治・経済・社会保障(労働・医療・介護・年金)について、報道を通して知識を入れています。知識がたまったら記録していきたいと思います。

はじめに

 郷里である岩手県盛岡の若い方たちにも、知らない人が

増えたようです。

 太平洋戦争時の海軍大将で、死後に叙位叙勲を受け、

位階勲等は従二位 功一級 ・大勲位菊花大綬章。

 

 経歴は、横須賀鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官を

経て、海軍大臣(林・第一次近衛・平沼・小磯・鈴木・

東久邇宮・幣原内閣)。

 第37代内閣総理大臣。

 

米内光政と山本五十六

 昭和前期なかんずく太平洋戦争におけるスーパースター

は山本五十六大将で、山本大将は国際政治としての日米関係

の悪化に向かうという苦悩のなかで、戦争に臨んでいた

ことを戦後に広く知られていることと、さらに最高司令官(CinC)

が前線で戦死しているという事実から、知名度では昭和の

提督で山本大将にかなう者がいないことと想像します。

 

史実のうえでの米内光政と海軍

 その後、日本史(現代史、昭和史)をあたってみると、

2・26事件以降、わが国にとって最も重たい懸案事項で

あった「三国同盟問題」で、時の外相・蔵相から頼りにされ、

同盟反対派をリードしていたのは、米内大臣・山本事務次官・

井上軍務局長率いる海軍とされ、特に次官としてスポークスマン

を務め、陸軍やマスコミから急先鋒とみられた山本次官は

公然と命を狙われていたとのこと。

 

 この時代から政局をリードし、邪な考えを持つドイツと

付き合って戦争に加担することのないよう、海軍三羽烏

(米内・山本・井上成美)による結束は個人的にも強固なもの

であったといわれています。

 

 終戦末期、海軍の長老(岡田)と昭和天皇の側近(木戸・

近衛)に引っ張り出される形で、海軍大臣に復帰するや

事務次官に盟友・井上成美中将(当時)を据え、終戦工作

を政府内部と外部で努力されたのが米内大臣であったことや、

 

終戦直後は占領軍の指揮下で、軍の武装解除に加え、

 

昭和天皇の戦争責任をマッカーサー司令部と折衝するなど、

米内光政の持つ凄みは学問(おもに政治学)以外では、

なかなか知られることがありません。

 

顕彰をもっとも嫌った人の銅像が建立されてしまう皮肉

30年前、実物を拝見しましたが、盛岡八幡宮の参道右に

鎮座する銅像の台座に、

『米内光政氏は盛岡の人 若くして海軍に入り 進んで大将

 大臣に至り又 内閣総理大臣となる 昭和二十年八月 

太平洋戦争の終局に際し米内海軍大臣が一貫不動平和の

聖断を奉じて克く わが国の国土と生民をその壊滅寸前に

護ったことは永く日本国民の忘れてはならぬところである

逝去十三年 至誠沈勇のこの人 今も世にあればの感を

新たにしつつ この文を撰ぶ

昭和三十五年十月 後進   小泉信三』

 

とあり、米内光政こそが、終戦に導いた最大の功労者

であることがわかります。

 

ちなみに、この撰文を書いた小泉信三は慶應義塾大学

の塾長で、戦後は東宮御所のブレーンとして、皇太子

(現在の今上陛下)の家庭教師として、エリザベス・

バイニング夫人の採用や、美智子皇后陛下とのご成婚

にあたり、反対派の陣営である香淳皇后の説得に

入江侍従長とともにあたった方です。

小泉信三が、戦前の大臣時代の米内と友人になり、

人となりを知ったうえで、残している言葉は、『国に事がなければ

、平時の連合艦隊司令長官で終わることができ、本人にとって

は幸せだったと思うが、歴史がこの人を必要とした』と

述べています。

 

対論(海軍・米内の結果責任)

 

 戦後、太平洋戦争の開始に至るいきさつや終局にあたって、

海軍善玉・陸軍悪玉論が国民の間に定着してしまい

ました。

したがって、対論としての「それでいいのか?」論が旧軍部(陸軍)

や学問研究から出てくることは必然です。

 

 事実、東京裁判でA級戦犯として死刑が執行された七名の内訳が、

文官×1名 陸軍将官×6名 と太平洋での戦争の九割を担った海軍

からは一人も出ていないわけですから。

 

 特に米内は前述のとおり、2.26事件以降、敗戦により陸海軍の

官制が廃止されるまでの間、10の内閣が出来ては倒れる中で、

うち7つの内閣で海相であり、しかも総理として内閣を組織してもいる

事実に結果責任を問う声があります。

 

 ただし米内光政は東京裁判で起訴もされておらないどころか、

ジョセフ・キーナン首席検事(アメリカ人)から信認すらされてしまう

のですが…。

 

【参考文献】

阿川弘之:米内光政(上・下)1978年 新潮社

 

実松譲:山本五十六が最も尊敬した一軍人の生涯 米内光政

1971年 光人社