地域おこし協力隊として初山別村に移り住み、35日目になりました。
徐々にムラ社会ならではの文化や慣習を知り、やっと2016年度の1年間どうするかが見えてきたところ。

協力隊が主な構成員となって立ち上げる法人で行う予定の自学塾と児童預かりの事業を担当するチームに選ばれ、他の新隊員2名、先輩隊員3名と共に鋭意活動中です。
ただの塾や児童預かりじゃつまらないので、多世代で交流しながら学び合える場を創っていきたいと思っています。
さて、私は昨年3月に大学を卒業してからこの1年間で3つの職場を渡り歩いてきました。
2015年4月以降に勤務した(している)のは、以下の3つの職場です。
【1】神奈川県の学習塾(正社員・室長補佐) 2015年4~9月
【2】東京都新宿区の派遣会社(派遣社員・営業) 2015年10月~2016年1月
【3】初山別村の地域おこし協力隊(嘱託職員) 2016年4月~
以下、
・どうして職を転々とすることになったのか
・2度の転職を今はどう捉えているのか
・成長したところはあるのか
などを書いていきます。
・これから就活をする大学生
・多世代交流の場を創りたい大学生
・学習塾で働こうと思っている方
・今後の進路として協力隊を考えている方
などのご参考になればと思います。
■振り返り
【1】学習塾時代
「子どもが好きなので子どもに関わりたい」と思い、ある会社で紹介してもらった神奈川県のローカル学習塾を志望しました。
実際に働いてみると、すぐに「子どもが好きだけでは乗り切れない」と感じるようになりました。
この会社では「将来の室長候補」としての採用で、室長の補佐を行いました。保護者や70人程の生徒への電話掛けや、3000枚の集客グッズ(チラシと消しゴムなど)を校門前で配ったり、もちろん個別指導の授業もほぼフルで入っていました。
「室長になっても忙しくなるだけで、何も希望がない」と感じていました。
初めての一人暮らし&首都圏生活&週6日勤務で徐々に体力と精神力を消耗していき、5月頃からは月に1回の故郷への帰省を待ち望むホームシック状態に陥ります。
当時の私は「自分が人とは違う」ことに対するこだわりを捨てられずに、「あの人みたいにはならない。なりたくない」「どうして新人だからって早出しなければならないのか」などと、高慢な気持ちで毎日を過ごしていました。
会社に馴染もうという気持ちが持てず、周りからは浮きっぱなしでした。
8月には帰省を優先して社員旅行を欠席した結果、社内でも決定的に孤立しました。
マネージャーや部長と相談の上、9月に退職しました。
退職するかどうかを相談する面談では、部長に「お前、子どもあんまり好きじゃねえんだな」という意味の言葉を言われました。
今思えば大学を出たばかりの私には、自分と異なる価値観を受け入れる準備ができていませんでした。
新入社員なので実力も実績も一切ないんですが、一丁前の自己主張だけしていました(笑)
「会社に選んでもらったのではなく、こっちが選んでやったんだ」くらいの傲慢な姿勢で望んでいたために、何をどうやって教えられても、自分を変えること、成長することを拒否していたのです。
それが「個性」だと、勘違いをしていました。
そんな心の状態でどんな会社(組織)に入ったとしても、きっと上手くはいかないし、早期に辞めていただろうと思います。
【2】インターネット回線の営業時代
「子どもが好き」という自意識を打ち破られた私が次の仕事として選んだのは、子どもにまったく関係のない「インターネット回線の営業」でした。
東京都、神奈川県、埼玉県、栃木県、茨城県など、毎週のように違う地域に通っていました。
一戸建ての家の外に張られた電線を見て「この家はフレッ○光かな?」などと当たりをつけ、1日平均50軒程度ピンポンを押して「今よりネット料金が安くなって、速度は速くなります」と飛び込み営業をかけました。
給料は完全歩合制であったため、「1件あたり○万円」の結果がすべての世界。
成果さえ出せば、週3日勤務でも生活できるのが魅力でした。
学習塾の会社を退社した私は、自分に何が向いているのか、何を目指せばよいのかが分からなくなり、すっかり将来の目標・希望を失っていました。

そこで、向いている仕事かどうか、やりたい仕事かどうか(ライフワーク)よりも、効率よく稼げること(ライスワーク)を重視した転職をしました。
新しい職場は、ほぼ全員が「煙草を吸う20代男性」という非常に限られた属性の人たちが働くベンチャー企業でした。
上司にも「さん」付けでOKでした。完全歩合制ゆえにプライベートも尊重してくれる職場でした。
また、個人宅にスーツを着て飛び込み営業をすると警戒されるため、あえて作業着を着て訪問をしていました。つまり、スーツを着る機会はほとんどありませんでした。

年功序列の上下関係や強制参加の飲みニケーション、夏でもスーツという会社の非合理的ルールに息苦しさを感じていた当時の私にとっては、ある面では理想的な転職だったと言えます。
実際、学習塾時代の勤務態度を反省し、「仕事上で必要なことは先輩から学ぼう」という姿勢を打ち出すことができ、「スポンジのように教えたことを吸収する人」という評価をもらうこともありました。
一方で、完全歩合制の給与形態で実際に食べていけるのはほんの一握りの優秀な営業マンだけであることや、「一度は地元の北海道を出たい」という思いで上京してきた自分が首都圏で働く理由はもはやないことに徐々に気付いていきました。
ちょうど働き始めて3カ月が経った2016年の1月に退職し、故郷の札幌に戻ってすぐに就職活動を始めました。
【3】地域おこし協力隊(村の嘱託職員)に転職
2社目を退職して札幌に戻り、改めて「自分が全力で打ち込めることは何なのだろう」と考える時期が来ていました。
「子どもが好き」だけでは、働いていけない。じゃあ、何を基準に仕事を選べばいいのだろう?
そもそも私が「自分は子どもが好き」だと思っていた理由は、2014年夏頃から関わっている多世代型の子育てサロン・ねっこぼっこのいえや、むくどりホームで子どもたちと遊ぶのが楽しかったからでした。
より正確に言えば、そこで「子どもと一緒に遊ぶ」という役割を与えてもらい、子どもたちのママさんやスタッフの方から「ありがとう」と感謝されることで、自分を肯定することができたから、居心地が良かったのです。
単に「子どもが好き」なことではなく、様々な世代の人たちが集う場で役割を見出すことがやりがいにつながっていたのです。

誰がいつ来ていつ帰っても良く、どのような在り方も強制されない場の力が、私に自分を肯定するパワーや、成功するかどうか分からないことに挑戦するエネルギーを与えてくれました。
だから、2度目の転職活動では「多世代型の居場所づくりで食べていこう」と決めました。
「そんなもので食べていけるのか?」というリスクは常にありますが、それでも挑戦することにしました。
結果、コミュニティカフェや自学塾などの事業を通して居場所づくりができる初山別村で働くことを決めました。
私と同じように、最初は自分を肯定できなくても、多世代で交流できる場に関わることで自信を持てるようになり、
「失敗してもいいから挑戦してみよう」
「失敗しても、あそこには自分の居場所がある」
と思える人が1人でも増えればいい。

今は、そんな思いで仕事をしています。
■大卒から約1年間で3つ目の職場で働いて思った4つのこと
【1】「あの人みたいになりたくない」→「あの人のあの行動を真似しよう」
学習塾時代の私は、人並みの努力もしないのに高慢な自意識だけは一丁前でした。
「あの人みたいにはならない」と誰かを「悪い人」と決めつけ、反面教師にして、学んだつもりになっていました。
しかし、実際にはどんな人でも大体、良い行動をする時もあれば、悪い行動をすることもあります。

今は、
「あの人には○○という良い行動をしていたから、私も真似しよう」
「あの人には××という悪い行動をしていた。私はそうしないようにしよう」
と思うようにしています。
行動とその人の価値は別物。
そう考えるようになって、コミュニケーションが楽になりました。
【2】円満退社ができるようになった
2番目の会社では、社員全員参加で私の送別会(兼新年会)が開かれ、花束をもらい、感謝のスピーチの機会まで設けていただきました。
「俺らも仕事頑張るので、堀さんも就活がんばってください!」という感じで(私が見る限りは)快く送り出していただきました。
1番目の会社では事務的な書類手続きのみだったことを考えれば、かなり円満に退社することができたと思います。
1社目は正社員、2社目は派遣社員だったことも大きく影響したとは思いますが、2社目では会社に馴染んだり、成果を出すための努力をある程度は認めてもらえたのかもしれません。

別に「絶対に円満退社しなければならない」とは思いませんが、「居心地が悪いから辞める」というパターンを脱却できたことは自信につながりました。
【3】すべてが思い通りにはならない。
1社目では強制参加の飲み会があり、当時は「何で参加しなきゃいけないんだろう」「自分の時間の使い方は自分で決めたい」などと思っていました。
しかし、今では「飲み会に行った場合」と「無理に断った場合」の結果を比較して冷静に判断し、後はそれぞれのメリットを活かせるように行動すれば良いだけだったなと思います(前者は時間を取られるが、上司とざっくばらんに話せる。後者は自由時間が増えるが、上司や周囲の評価を下げる)。

どこで働いて暮らしても周りの環境はすべて思い通りになどならないことを知ったうえで、その環境でも自分のできることをやっていけば良いのだと思います。
【4】レールを外れた人には、新しいレールを引くチャンスがある。
私は新卒正社員で入った会社を半年で辞めて、前職とは何の関係もない業界の派遣社員になりました。
その時点で「同じ会社で長く勤める」「キャリアアップ」「石の上にも3年」的なレールからは外れました。

だからこそ、同じようにレールから外れた人や、これから「レールから外れたところで生きていきたい人」にとってのモデルケースになれればと思います。
これから居場所づくりで食べていきたい方に、「こんな道もあるのね」と思ってもらえるように頑張ります。
僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
(『道程』高村光太郎)
なんてね。