あら、居場所がなくて消耗してるの?

あら、居場所がなくて消耗してるの?

「誰が来てもいい」「誰と過ごしてもいい」「いつ来ていつ帰ってもいい」「生きてるだけでOK」
そんな「居場所づくり」で食べていく居場所づくり支援士・堀翔太郎のブログです。

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この映画は、この映画だけは、すべての人に見て欲しい。そう思いました。

 

 

9/30(金)、札幌狸小路にあるシアターキノで、映画『さとにきたらええやん』を観て、重江良樹監督のお話を聴いてきました。映画のパンフレットを、初めて自分のお金で買った気がします。

 

「人は1人じゃ生きていけない」と歌う「諸先輩方からのお言葉」(SHINGO★西成)で始まる100分間の映画で学んだことは、コミュニティの価値でした。

 

コミュニティの価値=「ひとりだとしんどい」けど、「みんなで分かち合えば大丈夫」という希望

 

自分の生活の面倒をすべて自分で引き受けることができて、それで幸せならコミュニティなんて必要ないわけです。

 

でも、実際にはそうじゃないことが多い。ひとり(一家族)で生きるのは、窮屈でしんどい。

自分や家族の弱さも、子育ても、友達作りも、何もかもを背負い込んでしまう。

 

 

だから、「さと」というコミュニティでつながり合うことで、お互いのしんどさを分かち合う必要がある。何事も、分かち合えばなんとかなる。

 

「さと」での日常を切り取ったこの作品は、私にそんな希望を与えてくれました。

北海道では浦河まで行かないと見れませんが、大阪、東京を中心に上映が続いています。

 

詳しくはこちら

 

 

今日も一生懸命、生きよう。

お盆で札幌に帰って友人たちに会ったところ、「いま何してるの?(SNSは見てるがわからん!)」の大合唱を浴びました。

 

何にせよ、気をかけてくれる人がいるのは有り難いこと。

なので、近況報告をします。

 

  • 堀の近況知りたい

  • 地域おこし協力隊って実際どうなの?

  • 都会で育った人の田舎暮らしって実際どうなの?

などの方はお読みください。簡潔にQ&A形式で。

 

Q1.いま、どこに住んでるの?

A1.初山別村です。

北海道最北の稚内市と、留萌市の中間で海に面しています。近隣自治体は焼尻・天売島を有する羽幌町や「えんおこ」で有名な遠別町。2016年7月31日現在での人口は1245人

 




海岸にある金比羅神社の鳥居。鳥居の中に夕日が落ちる絶景スポット


夕日をバックにしたしょさんべつ天文台


Q2.そこで何してるの?

A2.現在村に6名いる地域おこし協力隊の一員として、塾の立ち上げ・運営を主に担当しています(実際に私が応募した求人がこちら。過去の経歴についてはこちら)。

 

学習塾の顧客となり得る小1~高3の子どもの実数で100人に満たないこの村には、大手塾はおろか個人塾すら存在しません。

 

この村の子どもたちが自分の可能性を広げ、また多様な人生観を養えるよう、学力向上と共に村内外から人が集まる多世代での交流の場作りにもつなげていきたいと思っています(塾の運営主体は最近立ち上げたこの会社)。

 

現在は2016年10月の開設予定に向けて、保護者向けアンケートや物品の発注などを行っています。

 

その他にも、例えば以下のような仕事や(実質的には仕事に近いものもある)地域行事への出席があります(協力隊のFacebookページにて一部公開)。

 

◆仕事

・村が月に2回発行する広報の一部作成・折り込み・配布

・村営の海水浴場での監視アルバイト

天文台での受付アルバイト

・ハスカップ収穫アルバイト

・各種お祭りの手伝い(神輿担ぎ、出店など)

・村の地方創生に関する会議への出席

・村への移住を見据えて短期滞在中のゲスト対応(ちょっと暮らし)

・地域の伝統芸能である有明獅子舞の維持活動

・育児イベントへの出席

・老人会への出席

 

◆地域行事

・毎週3回のスポーツ(ショートテニス・ミニバレー・卓球)

・村内チーム草野球試合&試合後BBQへの参加

・村主催の婚活イベント出席

・自治会(町内会)内の交流を目的としたBBQへの出席

 

Q3.地域おこし協力隊って何?

A3.簡単に言うと「都会の若者を地方に移住・定着させるための制度」です。

 

国が掲げる「地方創生戦略」の一環で、基本的には国のお金で地方自治体が協力隊員(臨時職員等)を雇い、又は業務を委託し、活動費を賄う形です。1年更新で最長は3年間予算が出ます。所属は役場や役所などになります。

 

地方創生戦略や地域おこし協力隊制度の功罪については以下を参照のこと。

噂の「地域おこし協力隊」成功例・失敗例を知りたくて!

42億円の税金がムダに 「地域おこし協力隊」の厳しい実状

ちきりん×木下斉 | 人口減少社会における地方再生"世の中を知らない若者の人生を崩壊させるNHKの闇" 

地方創生加速しちゃって困っちゃうよー。

地域おこし協力隊 日本を元気にする60人の挑戦

 

Q4.田舎暮らしの良いところは?

A4.

・星空が綺麗で、広大な宇宙に比較して自分という存在の小ささを日々確認できるところ

・自宅の鍵なんて必要ない(?)くらいの治安の良さ

 

Q5.田舎暮らしの残念なところは?

A5.

・「思いがけず知らない人に会う」ためのコストが高い

・競合他社が少ない(又は居ない)ため、サービスの質が〜(以下、お察しください)

 

Q6.働いてて楽しい?

A6.いわゆる「社会人」として働き始めてからは、今が最も楽しめていますね。

怒りに支配されて行動することが減ってきた感覚があります。

 

もちろん仕事である以上は苦しいこともありますが、必要以上に自分を苦しめることが減りました。

思い通りにならないことを、無理に思い通りにしようとするから苦しかったのだなと気付きました。

 

ご先祖様、家族、友人、同僚、知人など、日々私を支えてくださっている皆様、すべての生き物たちのおかげです。


地域のためになるよう頑張っていきますので、これからも宜しくお願いします^^

どうも。

イケダハヤトさんの迷惑論を読んで、迷惑・失敗・苦労について書いてみました。

 

要は、"失敗や苦労は人生の序盤にした方が良いことに(ようやく)気付いた"という話です。

個人的にはこれまでの人生で浪人・留年したり、大学のゼミをサボって引きこもったりして失敗し、関係各位に迷惑をかけてきています。

 

これからは今までの失敗を活かすのは勿論、将来の大きな失敗をしないための小さな失敗をどんどん積み重ねていきたいですね。

 

何かを上手くなりたい(成長したい)と思えば必ず失敗はする。だったら早く失敗した方がいいよね、という当たり前のことがようやく腑に落ちた状態で言語化できました。

 

 

以前は人から「若いうちに失敗した方が良いよ」などと言われると、「若くてもそうでなくても、失敗しない方が良いに決まってる」なんて思っていました。

 

当時の私には、「自分だけは失敗しない」「あなたとは違うんです」といった、肥大した自意識があったのでしょうねえ。

 

しかし、人生のどこかで苦労はするものなので、それが早いか遅いかの違いなんですよね。だったら早く苦労しておいた方が、残りの人生で他の人の役に立てる人間になれるはず!

 

というわけで、私はこれからも失敗しながら成長し続けます。

どうぞ宜しくお願いします!^^

わりと最近まで、「社会は理不尽だ」と不満に思っていました。

「なんで社会の中に"ありのままの自分"を受け入れてくれる居場所がないんだろう?そんなのおかしい!」って。

「自分から合わせていかなければならない社会は、欠陥だらけだ」「人間のために、社会があるんじゃないの?」って(この考えを持っている間は、だいぶしんどかったです)。



でも、今は「社会が理不尽なのは当たり前だ」と思っています。
そう考えた方が、生きるのがとても楽です。

今日は、「社会が理不尽なことは理にかなっている」という話です。

■目次


 ▶人間は不完全
 ▶社会も不完全
 ▶だから「社会は理不尽」
 ▶理不尽をいったん受け止めると、楽。
 ▶「理不尽な社会はそのままでいいのか」は別問題

■人間は不完全


大前提として、私も含めて人間はみんな不完全です。

熱いと分かっているのに好奇心で炊飯器の吹き出し口に手を出して火傷したり、本来すべき勉強から逃げて浪人してしまったり、ゼミが嫌になってサボって留年したりしてしまいます(全部、私が実際にしてきた失敗なんですが笑)。

もちろん、人間は私のようなおっちょこちょいの愚か者ばかりではないけれど、それでも「どんな時も決して失敗しない完全な人」というのは見当たりません。



どうしても時に理性よりも感情を優先し、道理に合わない失敗をしてしまうのが人間です。

■だから、人間が創る社会も不完全


つまり、その不完全な人間一人ひとりで構成される社会も、不完全ということになります。

たとえ筋の通った解決策が分かっていても、人間の欲だったり、怠けだったりで、未だに解決できていない社会の問題はたくさんあります(教育に予算を突っ込めば解決する奨学金問題とか)。

■だから、「社会は理不尽」


「理不尽」って、そもそもどういう意味なのかと言えば、こんな感じです。

り‐ふじん【理不尽】[名・形動]道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。「―な要求」「―な扱い」引用 - デジタル大辞泉


もしも「完全な人間」だけで構成された「完全な社会」があるとするなら、人と人の間には道理に合うことしか起こらないのかもしれません。

けれど、実際には不完全な人間が創る不完全な社会しかないので、道理に合わないのが当たり前。

つまり、「社会が理不尽なことは理にかなっている」のです。

■理不尽をいったん受け止めると、楽。


ひとまず「社会は理不尽なんだ、理屈としてもそういうもんなんだ」と思えば、「私はいま理不尽な目にあっている!あっているぞぉー!!」と感情が高ぶろうとした時に、「まあでもそういうもんなんだよね、本来は」と冷静になれます。




この考え方は精神的な余裕を生んで、気持ちが非常に楽になります。私は、楽になりました。

■「理不尽な社会はそのままでいいのか」は別問題


じゃあ、そんな理不尽な社会をそのままにしておいていいのかというと、そんなことはないと思います。

いくら理不尽であることが理屈に合っているといっても、いろいろな理不尽を含む問題を放置していたら、社会の発展もないでしょうし。

不完全な人間が、不完全で理不尽な社会や自分自身に対して完全なものになるように働きかけることが、もしかすると「社会人として働く」ということなのかもしれません。



なんて、いわゆる社会人2年目の若造が書いてみました。笑



気軽に自分の居場所にできるような、多世代交流の場をつくる。

それが私の、理不尽が当たり前の社会をちょっとだけ良くしたいという気持ちを形にすることです。

"ありのままの自分"で受け入れてもらいたい、居場所が欲しいと願っていた私と同じ不完全な人たちの役に立つことで、少しでも完全な社会に近づけばいいなあと思っています。

目次にもどる

地域おこし協力隊として初山別村に移り住み、35日目になりました。

徐々にムラ社会ならではの文化や慣習を知り、やっと2016年度の1年間どうするかが見えてきたところ。

 

 

協力隊が主な構成員となって立ち上げる法人で行う予定の自学塾と児童預かりの事業を担当するチームに選ばれ、他の新隊員2名、先輩隊員3名と共に鋭意活動中です。

 

ただの塾や児童預かりじゃつまらないので、多世代で交流しながら学び合える場を創っていきたいと思っています。

 

さて、私は昨年3月に大学を卒業してからこの1年間で3つの職場を渡り歩いてきました。

2015年4月以降に勤務した(している)のは、以下の3つの職場です。

 

【1】神奈川県の学習塾(正社員・室長補佐) 2015年4~9月

【2】東京都新宿区の派遣会社(派遣社員・営業) 2015年10月~2016年1月

【3】初山別村の地域おこし協力隊(嘱託職員) 2016年4月~

 

以下、

 

・どうして職を転々とすることになったのか

・2度の転職を今はどう捉えているのか

・成長したところはあるのか

 

などを書いていきます。

 

・これから就活をする大学生

・多世代交流の場を創りたい大学生

・学習塾で働こうと思っている方

・今後の進路として協力隊を考えている方

 

などのご参考になればと思います。

 

■振り返り

【1】学習塾時代

「子どもが好きなので子どもに関わりたい」と思い、ある会社で紹介してもらった神奈川県のローカル学習塾を志望しました。

 

実際に働いてみると、すぐに「子どもが好きだけでは乗り切れない」と感じるようになりました。

この会社では「将来の室長候補」としての採用で、室長の補佐を行いました。保護者や70人程の生徒への電話掛けや、3000枚の集客グッズ(チラシと消しゴムなど)を校門前で配ったり、もちろん個別指導の授業もほぼフルで入っていました。

 

「室長になっても忙しくなるだけで、何も希望がない」と感じていました。

初めての一人暮らし&首都圏生活&週6日勤務で徐々に体力と精神力を消耗していき、5月頃からは月に1回の故郷への帰省を待ち望むホームシック状態に陥ります。

 

当時の私は「自分が人とは違う」ことに対するこだわりを捨てられずに、「あの人みたいにはならない。なりたくない」「どうして新人だからって早出しなければならないのか」などと、高慢な気持ちで毎日を過ごしていました。

 

会社に馴染もうという気持ちが持てず、周りからは浮きっぱなしでした。

8月には帰省を優先して社員旅行を欠席した結果、社内でも決定的に孤立しました

 

マネージャーや部長と相談の上、9月に退職しました。

退職するかどうかを相談する面談では、部長に「お前、子どもあんまり好きじゃねえんだな」という意味の言葉を言われました。

 

今思えば大学を出たばかりの私には、自分と異なる価値観を受け入れる準備ができていませんでした。

新入社員なので実力も実績も一切ないんですが、一丁前の自己主張だけしていました(笑)

 

「会社に選んでもらったのではなく、こっちが選んでやったんだ」くらいの傲慢な姿勢で望んでいたために、何をどうやって教えられても、自分を変えること、成長することを拒否していたのです。

それが「個性」だと、勘違いをしていました。

 

そんな心の状態でどんな会社(組織)に入ったとしても、きっと上手くはいかないし、早期に辞めていただろうと思います。

 

 

【2】インターネット回線の営業時代

「子どもが好き」という自意識を打ち破られた私が次の仕事として選んだのは、子どもにまったく関係のない「インターネット回線の営業」でした。

 

東京都、神奈川県、埼玉県、栃木県、茨城県など、毎週のように違う地域に通っていました。

 

一戸建ての家の外に張られた電線を見て「この家はフレッ○光かな?」などと当たりをつけ、1日平均50軒程度ピンポンを押して「今よりネット料金が安くなって、速度は速くなります」と飛び込み営業をかけました。

 

給料は完全歩合制であったため、「1件あたり○万円」の結果がすべての世界。

成果さえ出せば、週3日勤務でも生活できるのが魅力でした。

 

学習塾の会社を退社した私は、自分に何が向いているのか、何を目指せばよいのかが分からなくなり、すっかり将来の目標・希望を失っていました。

 

 

そこで、向いている仕事かどうか、やりたい仕事かどうか(ライフワーク)よりも、効率よく稼げること(ライスワーク)を重視した転職をしました。

 

新しい職場は、ほぼ全員が「煙草を吸う20代男性」という非常に限られた属性の人たちが働くベンチャー企業でした。

 

上司にも「さん」付けでOKでした。完全歩合制ゆえにプライベートも尊重してくれる職場でした。

 

また、個人宅にスーツを着て飛び込み営業をすると警戒されるため、あえて作業着を着て訪問をしていました。つまり、スーツを着る機会はほとんどありませんでした。

 

 

年功序列の上下関係や強制参加の飲みニケーション、夏でもスーツという会社の非合理的ルールに息苦しさを感じていた当時の私にとっては、ある面では理想的な転職だったと言えます。

 

実際、学習塾時代の勤務態度を反省し、「仕事上で必要なことは先輩から学ぼう」という姿勢を打ち出すことができ、「スポンジのように教えたことを吸収する人」という評価をもらうこともありました。

 

一方で、完全歩合制の給与形態で実際に食べていけるのはほんの一握りの優秀な営業マンだけであることや、「一度は地元の北海道を出たい」という思いで上京してきた自分が首都圏で働く理由はもはやないことに徐々に気付いていきました。

 

ちょうど働き始めて3カ月が経った2016年の1月に退職し、故郷の札幌に戻ってすぐに就職活動を始めました。

 

 

【3】地域おこし協力隊(村の嘱託職員)に転職

2社目を退職して札幌に戻り、改めて「自分が全力で打ち込めることは何なのだろう」と考える時期が来ていました。

「子どもが好き」だけでは、働いていけない。じゃあ、何を基準に仕事を選べばいいのだろう?

 

そもそも私が「自分は子どもが好き」だと思っていた理由は、2014年夏頃から関わっている多世代型の子育てサロン・ねっこぼっこのいえや、むくどりホーム子どもたちと遊ぶのが楽しかったからでした。

 

より正確に言えば、そこで「子どもと一緒に遊ぶ」という役割を与えてもらい、子どもたちのママさんやスタッフの方から「ありがとう」と感謝されることで、自分を肯定することができたから、居心地が良かったのです。

 

単に「子どもが好き」なことではなく、様々な世代の人たちが集う場で役割を見出すことがやりがいにつながっていたのです。

 

 

誰がいつ来ていつ帰っても良く、どのような在り方も強制されない場の力が、私に自分を肯定するパワーや、成功するかどうか分からないことに挑戦するエネルギーを与えてくれました。

 

だから、2度目の転職活動では「多世代型の居場所づくりで食べていこう」と決めました。

「そんなもので食べていけるのか?」というリスクは常にありますが、それでも挑戦することにしました。

結果、コミュニティカフェや自学塾などの事業を通して居場所づくりができる初山別村で働くことを決めました。

 

私と同じように、最初は自分を肯定できなくても、多世代で交流できる場に関わることで自信を持てるようになり、

「失敗してもいいから挑戦してみよう」

「失敗しても、あそこには自分の居場所がある」

と思える人が1人でも増えればいい。

 

 

今は、そんな思いで仕事をしています。

 

 

■大卒から約1年間で3つ目の職場で働いて思った4つのこと

【1】「あの人みたいになりたくない」→「あの人のあの行動を真似しよう」

学習塾時代の私は、人並みの努力もしないのに高慢な自意識だけは一丁前でした。

 

「あの人みたいにはならない」と誰かを「悪い人」と決めつけ、反面教師にして、学んだつもりになっていました。

 

しかし、実際にはどんな人でも大体、良い行動をする時もあれば、悪い行動をすることもあります。

 

 

今は、

「あの人には○○という良い行動をしていたから、私も真似しよう」

「あの人には××という悪い行動をしていた。私はそうしないようにしよう」

と思うようにしています。

 

行動とその人の価値は別物。

そう考えるようになって、コミュニケーションが楽になりました。

 

【2】円満退社ができるようになった

2番目の会社では、社員全員参加で私の送別会(兼新年会)が開かれ、花束をもらい、感謝のスピーチの機会まで設けていただきました。

 

「俺らも仕事頑張るので、堀さんも就活がんばってください!」という感じで(私が見る限りは)快く送り出していただきました。

 

1番目の会社では事務的な書類手続きのみだったことを考えれば、かなり円満に退社することができたと思います。

 

1社目は正社員、2社目は派遣社員だったことも大きく影響したとは思いますが、2社目では会社に馴染んだり、成果を出すための努力をある程度は認めてもらえたのかもしれません。

 

 

別に「絶対に円満退社しなければならない」とは思いませんが、「居心地が悪いから辞める」というパターンを脱却できたことは自信につながりました。

 

【3】すべてが思い通りにはならない。

1社目では強制参加の飲み会があり、当時は「何で参加しなきゃいけないんだろう」「自分の時間の使い方は自分で決めたい」などと思っていました。

 

しかし、今では「飲み会に行った場合」と「無理に断った場合」の結果を比較して冷静に判断し、後はそれぞれのメリットを活かせるように行動すれば良いだけだったなと思います(前者は時間を取られるが、上司とざっくばらんに話せる。後者は自由時間が増えるが、上司や周囲の評価を下げる)。

 

 

どこで働いて暮らしても周りの環境はすべて思い通りになどならないことを知ったうえで、その環境でも自分のできることをやっていけば良いのだと思います。

 

【4】レールを外れた人には、新しいレールを引くチャンスがある。

私は新卒正社員で入った会社を半年で辞めて、前職とは何の関係もない業界の派遣社員になりました。

 

その時点で「同じ会社で長く勤める」「キャリアアップ」「石の上にも3年」的なレールからは外れました。

 

 

だからこそ、同じようにレールから外れた人や、これから「レールから外れたところで生きていきたい人」にとってのモデルケースになれればと思います。

 

これから居場所づくりで食べていきたい方に、「こんな道もあるのね」と思ってもらえるように頑張ります。

 

僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる

(『道程』高村光太郎)

 

なんてね。