とある方々のやり取りを見ていての所感。
行為やモノ作りは真似できても"文化までは真似できない"ということが、今の停滞している領域で忘れられていることなのではないでしょうか。
見よう見まねで真似することはできても、想いや心の中までは真似するのは容易ではない。
やろうと思えばできないことはないでしょうが、時間も掛かるし、自身の思想の領域をもしかしたら組み替える必要が出てくるかもしれません。
よく"ノウハウは公開しない"という言い方をされる方がいますが、その多くは大したことではなかったりします。
要は、真似しようと思えば真似しきれないレベルのものではないということです。
本家が突き詰められたものは見よう見まねで真似したところでその本家を越えられません。
そのことが根の深いことであればなおさらです。
根っこのない模倣は淘汰され、根のある本家がより強固なブランドとなります。
やっぱり本家だよねと。
真似される=評価されているということで捉え、自らは更に突き詰めていくことでアドバンテージを保つことが本来は必要なのだと思います。
"真似できるものなら真似してごらん"というのは少々嫌みな言い方ですが、"ノウハウと思われるものはどんどん公開するので、興味のある人はより良いものへと昇華させてください"という発想が今の時代には必要になっているのではないかと個人的に思っています。
オープンソース的発想でしょうか。
ウスターソースやオイスターソースの仲間ではありません(笑)
このネタは業界関係者にしかわからんですかねぇ。