ツイッターとかでよく呟いてる「高校時代の部活」の話。
まあ、私は中高一貫に通っていたから、正確に言えば「中高時代の部活」の話。
私が所属していた部活は『環境問題研究部』(略してカンケン)
これを言うと、たいていの人は「何ソレ?」と、生まれて初めてコンニャクを見た外国人のような反応をする。読んで字の如くなんだけどなあ。
部員の数は、中学高校合わせて15人そこそこで、ぶっちゃけた話、弱小部だった。
っていうか、今も弱小部だそうだ。常に廃部の危機にさらされているなかなかデンジャラスな部活と言える。
そんでもって、一番危機的状況だったのは私が高校一年の時で、このときカンケンの高校部員は私一人しかいなかった。
さらに生徒会から「五月の人数調査で五人以上部員がいなかったら問答無用で廃部だからねw」みたいなお達しを頂いたこともあって私の高校生活は波乱の幕開けとなったのだ。
その後の話は割愛するけれど、まあ色々あって(本当に色々あって)なんとか部は存続。
結局私は卒業するまで6年間、ずっとカンケン部員だった。
んで、まあこの部活のメンバーが皆揃いも揃って個性的な馬鹿ばっかりで(褒めてます)
はっきり言えば退屈はしなかった。
んが、同時に平穏とはかけ離れた学生生活であった、とも言っておく。
まあ、退屈よりは騒がしい方が楽しいんだけども。
まあ、私は中高一貫に通っていたから、正確に言えば「中高時代の部活」の話。
私が所属していた部活は『環境問題研究部』(略してカンケン)
これを言うと、たいていの人は「何ソレ?」と、生まれて初めてコンニャクを見た外国人のような反応をする。読んで字の如くなんだけどなあ。
部員の数は、中学高校合わせて15人そこそこで、ぶっちゃけた話、弱小部だった。
っていうか、今も弱小部だそうだ。常に廃部の危機にさらされているなかなかデンジャラスな部活と言える。
そんでもって、一番危機的状況だったのは私が高校一年の時で、このときカンケンの高校部員は私一人しかいなかった。
さらに生徒会から「五月の人数調査で五人以上部員がいなかったら問答無用で廃部だからねw」みたいなお達しを頂いたこともあって私の高校生活は波乱の幕開けとなったのだ。
その後の話は割愛するけれど、まあ色々あって(本当に色々あって)なんとか部は存続。
結局私は卒業するまで6年間、ずっとカンケン部員だった。
んで、まあこの部活のメンバーが皆揃いも揃って個性的な馬鹿ばっかりで(褒めてます)
はっきり言えば退屈はしなかった。
んが、同時に平穏とはかけ離れた学生生活であった、とも言っておく。
まあ、退屈よりは騒がしい方が楽しいんだけども。