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( SAPORI 店の外は真暗 )
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 ( サフランで色をつけたリゾット )
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( ミラノ風カツレツ )
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( チョコケーキ )
最後の晩餐を見てから、午後7時にはバスに乗り夕食のために10分程移動してレストランに行きました。都会にしては周りが真っ暗なので団体用のレストランかなと思いました、先客がいて日本人の大学生らしい30人程が食事をしているところでした。
最初に出てきたリゾットはソレントの生煮えリゾットで懲りているので心配しましたが、コメも柔らかく煮えていて問題ありませんでした。カツレツはパン粉があるのか無いかのかと思える程にさっくりした感触が無くて、日本でいえば豚肉のテンプラに近いと感じました。又、厚みもあるので量がありましたが、豚肉のうまさがあまり感じられませんでした。体調も旅行の終わりで疲れているということもあったかも知れません。
このレストランでは添乗員さんも終わりだという気持ちがあったのかリラックスして会話が弾んでいました。近々グアムに休暇で行きますと言ったので、私がグアムのホテルの食材は全部日本から輸入しているですよと水をさすような話をしたのはまずかったかなと後ほどに反省しました。そういう雰囲気だったこともあり、この日は夕食に1時間30分もかかりました、私は運転手さんが心配ですねと言うと添乗員さんが「ちゃんとピザを差し入れますよ」という返事がありました。
ホテルは郊外で遠い事もあり、このレストランから40分ほどもかかり、到着したのは午後9時40分という遅いものでした。ホテルのフロントは閑散としていましたが、既に日本のツアーが何組もチェックインしていて我々が一番後らしいと思ったのは、翌日の朝の出発の時でした。
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 (サンタ・マリア・ディレ・グラツィエ教会 )
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                                       ( サンタ・マリア・ディレ・グラツィエ教会  裏庭 )
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( 最期の晩餐 サンプル画 )
午後4時頃にスカラ座前に集合してバスに乗車して土産物屋に行きました。この土産物屋では日本人観光客は私のツアー客だけだったので非常に寂しいもので、時間が経過するを待っているだけでした。とうのも最後の晩餐のチケットは午後6時30分から見るという予定でしたので、仕方なくここで時間つぶしをしました。
土産物屋を出て最後の晩餐の絵を見る難しい名前の教会、サンタ・マリア・ディレ・グラツィエ教会に到着したのは午後5時10分位で、見学予定の約1時間前でした。
天気は曇りの夕方で段々と暗くなるばかりでした、時間を持て余したので「裏庭に行きましょう」と現地ガイドさんに連れられて行きましたが、ここの梅らしい花が咲いていないのでさえない写真を撮影することになりました。
見学の30分前になり漸く教会の中に入り、見学する順番の列にはいりました、ここでも20分程お喋りしながらの待ちでした。見学は1組が20人ほど15分をするというものでした。
我々の組にたまたま日本人の若い男が一人いて、一日かけてキャンセルの券を手に入れたのではないかと言われていました。ガイドさんの近くにきて説明を一緒に聞こうとしていたので「やめて下さい」とガイドさんから注意されたのでした。何の事前準備も無くふらっと来てみるだけでは何も分からないだろうと思いました。
見学するときには前室が二つあり、そこで待つと言う念の入ったシステムになっていました。午後6時30分に我々が中に入るとガイドさんが音声ガイドで解説してくれたので大変に理解が出来て、見ていても有意義なように感じました。しかし米国人の親子がこxとそりと撮影をするのも目にしましたが、撮影したところで仕様もないだろうというのが私の感想でした。そういう非難の目を感じた子供は、外に出た時にツアーの年配の女性が押したと言って「ドーント・プッシュ」と大声をあげていました。出口で土産の絵を買って出ましたが、親子連れの一組がカードが使えないと言って何枚かのカードを出して少し時間がかかっていました
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( 着飾った子供が遊ぶドゥオーモ広場 )
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( 床のモザイクがきれいなガッレリア )
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( 懐かしい感じの店の軒先の写真 )
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 ( ガッレリアのレストランメニュー )
ドゥオーモの見学は時間が無いので30分ほどで切り上げて外にでました。イタリアでは丁度カーニバルの時期というので大勢の家族連れが広場にいました。このドゥオーモ前の広場はかなり大きくて驚きましたが、驚いたのはその広さだけではなく人数の多さでした。1000人は軽くいるだろうと思えました、家族連れが子供をき着飾らせているのはイタリアではカーニバルでは普通で大枚のお金をかけているというのを添乗員さんからは聞いていました。
この広場では記念写真を撮影してもらいたいと思ったのすが変な人にカメラを渡してそのまま持っていかれても困ると思いながらうろうろしていると、米国人らしい30歳くらいの夫婦らしい1組がスマートフォンで撮影をしているところに出くわしました。私はスマートフォンと私のカメラで撮影した代わりに私も撮影してもらいました。私は写真を送るメールアドレスを書いてくださいとメモ紙を渡すと、女性から「パーフェクト」と言葉を聞きました、英語の使い方の勉強にもなったかなという風に思いました。
再びガッレリアを通って集合場所のスカラ座前に行きました。ガッレリアでは店先を除きながらの帰り道になりました、案の定私があちこち撮影しているのをカフェでお茶を飲んでいる年配の女性が見ているのに気付いて、ここではやっぱりお上りさんだよなあと思ったのでした。
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( ドゥオーモ全面 )
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( ドゥオーモ部分 )
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( 内陣のステンドグラス )
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( 内陣のステンドグラス )
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( 祭壇 )
ガッレリアを抜けてドゥオーモの前で解散となりました。ドゥオーモは上に上がれるというのでチケット売り場に行きましたが人が大勢並んでいて時間がかかりそうなので辞めました。
ドゥオーモは先ずその大きさに驚きました、これは写真で見るだけでは分からないだろいうと思いました。添乗員さんがバスの中で400年もかけて作ったとか、このドゥオーモの建築のための運河跡ですと説明はしてくれましたが、そういう頭の中のイメージだけでは想像がつかないと思い知らされました。
入口で荷物検査するのは軍隊の人で防弾チョッキを着用していたので、その姿勢がテロへの警戒の高さを感じさせました。
ドォーモの中はお金を払うと撮影できるというのがとても嬉しかったのですが、時間が余りにも短くてじっくりとは出来なかったのが残念でした。堂内に入ると丁度夕暮れ時の太陽でステンドグラスがものすごくきれいに見えて、同時にステンドグラスの数が多すぎて、呆然と立ち尽くすという表現しかないと思いました。
ここのステンドグラスを撮影するだけでも半日は必要だというのが私の感想でした、現地ガイドのおばさんも見るだけで1時間はかかりますよ」と言われた意味がよく分かりました。
こういう建物を400年もかけて建築するという考え方自身が日本人の思考とはかけ離れていて、西洋人の底力を感じさせるものでした。
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( ガッレリアの入り口から望む )
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( 十字路のフレスコ画 )
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( 牛のキンタマを踏む場所 )
エマヌエーレ2世のガッレリアと言うのは19世紀末に完成したアーケードというのは、その天井が余りにも高いので驚きでした。通りには老舗のブランド物店が軒を並べているので御用達の方々はそれなりの金持ちだろうというのはわかりますが、大勢の人たちは地元っ子よりも観光客が大半だと思えて、観光客が買えるような土産物店も無いので人はぞろぞろと流れているばかりのようにも見えました。
十字路には牛のキンタマを踏んで一周すると幸運になるのかどうか分かりませんが、順番待ちが出来ていました。
十字路は写真の試写によく使われるばしょなので記憶がありました、建物やガッレリアの線が沢山あるので撮影の質程度が分かるということかもしれません。
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( ミラノ・スカラ座の前 )
午後2時40分位にバスを下車して歩くとミラノ・スカラ座の前でした。ミラノでは日本人の現地ガイドのおばさんが案内してくれました。
ミラノ・スカラ座は内部を見るのかなと思っていましたが、前を素通りするだけだったので残念でした。ガイドブックには入れるような事も書いてあったのですが、実際はこのスカラ座前は帰る時の集合場所となっただけでした。
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( バス車窓 ミラノ市街 1 )
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( バス車窓 ミラノ市街地 2 )
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( バス車窓 ミラノ市街地 )
バスは高速道路を下りて、目的のミラノ中心部には約30程かけて行きました。ミラノはファッションの街という何となく聞いていた話しか覚えていないような街でしたが、街の様子はイタリアの他の都市とたいして変わりはないように思えました。
しかし、夕食のために移動した時には万博があるというので普通の高層ビルが出来ている場所もあったので、少しは変わりつつあるのかなと思いました。しかし、そういう建物は昔の建物との調和はどうなのかという疑問はありました。
それから、このミラノ市街への移動で一番驚いたのはジプシーを何度か見た事でした。添乗員さんはカトリックの国なので金のある人は貧しい人に金を与えるのは自然な事だと思っていますと言う解説がありました。
実際に見たのは信号で停車している車の窓を窓拭きで掃除をするジプシーのおばさんでした、添乗員さんは「窓拭きをしてもらうとかえって汚れるんですよね」という感想を言っていました。夕方には綱で結んでいる火のついたものをぐるぐると回して、停車している車の前で披露している若い男も見かけました。
添乗員さんの話は続いて「街中で足が悪くて信号を渡れないようなジプシーが時々います、そういう人達も夕方には普通に帰って行くんですよ、そういう事を分かっていながらお金をあげるんです」と聞いて驚くばかりでした。更に続けて「ジプシーの住んでいるのは盗んできたベンツのキャンピングカーなんかが多いです。それに稼ぎも月には100万円とも聞きました」というまことしやかな話に興味深く思いました。
日本では直ぐに警察が出てくる場面だと思いましたが、イタリアではそういうことはあまりないのかとも思いました。ここで再びローマの現地ガイドのおばさんが言っていた「警察は税金泥棒だ」というのを思い出してしまいました。
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( 火事の煙をみながらミラノに向かう )
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( ミラノ郊外を走る電車 山手線と似てる? )
午後1時30分位に高速道路のサービスエリアを出てミラノ向かいました。この時、添乗員さんが商品が酒のミニチュアボトルを2本を賞品としてゲームをしますと言いました。ミラノ在住13年というのが売りの添乗員さんはミラノに入る高速道路のゲートが分かっているので、その場所に到着する時間を当てるというものでした。時間を過ぎたものは無効で、到着時間から近い順で決めますというルールでした。
どういう事からこういう事を思いついたのか知りませんでしたが、何せ人数が11人と少ないし、酒がお好きな添乗員さんが気まぐれに買ったお酒もあるとう事情だったかも知れません。
バスは高速道路のミラノのゲートを入ったのは午後2時5分位だったので、年配の夫婦の主人と新婚さんの1組の男が商品の酒を貰って終わりました。
高速道路の気色も日本と変わらぬ畑が多いのでそういう景色ばかりをみているのを気分転換するには良かったかも知れませんでした。
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 ( MONTEALTO NORD サービスエリア )
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( サービスエリアのお土産物 )
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( 本日の昼食は自分で選択 )
ヴェローナの駐車場を午後12時位に出て、添乗員さんは「本日の昼食はついていないのでサービスエリアで何か食べるということでいいですか」と質問しましたが、それ以外の選択肢もないので自然とそういう事になりました。運転手さんは食べられるものがあるサービスエリアに入ろうとしましたが、最初のサービスエリアではバスを駐車する場所が無いというのでそのまま高速道路に出て、2度目に入った大きいMONTEALTO NORDというサービスエリアで下車しました。ヴェローナを出て約1時間程経過していた、午後1時少し前にサービスエリアの食堂に行きました。
ここは食堂もあるしパンやサンドイッチも売っているような大きな場所でした。大勢の人が料理を自分で取って食べられるところに列を作っていたので、運転手さんの後ろに並び美味しそうにみえるものを取りました。料理を取る場所ではおばさんがひき肉のパスタを左に右にと転がしていたのを見てそれを注文して更に載せてもらいました。
イタリアのパスタの味を期待してたべましたが、見事に期待が外れて某旅行会社の食事を思い出させるような少々まずいもので困りました。もったいないのでパスタは全部食べましたが、ひき肉は全部残しました。
添乗員さんは「サービスエリアなんで仕方ないですね」と言っていましたが、最初にアドバイスが欲しかったと思いました。この時はサンドイッチでも食べたほうがよかったのではないかとは最後の日に空港で食べたサンドイッチで思いました。
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( ヴェローナの街を歩く 1 )
イメージ 2( ヴェローナの街を歩く 2 古そうな教会 )
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( 城門が残る通り )
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( アルアルディ橋からアディジェ川上流を見る )
ジュリエッタの家で感傷にふけっていたのは私だけらしくて、ツアーメンバーはジュリエッタの家の門の前で集合した時には土産物屋でエプロンに名前を刺繍してもらいましたとかいう人やジェラートを買いましたという人が多かったのでよく分かりました。
午前11時30分くらいにジュリエッタの家の門を出てからバスの駐車しているチミテール広場に向かいました。広場の場所までは14・5分も歩く様な少し遠い場所にあって観光バス専用駐車場のようでした。
そういう意味では歩きながら古いヴェローナの街を散策して帰ったので、風情ある西洋の旧市街を見られたのはとてもよかったと思いました。日本との大きな違いは電線が地中なので電柱によって街の形が損なわれていないということでした。イタリアも田舎では電柱のある場所がありますが、こういう古い町並みではそういうことに気遣いする人がいるというのが日本との大きな違いと何時も思います。
城門も昔通りに残して不便な形でも残そうという考え方があるのは素晴らしいもので日本人とは思考の回路が違うのだろうなとも思いました。