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                     ( JR穂高駅前にある観光案内図 )
午後15時59分穂高駅から大糸線の電車に乗り込むとほぼ満席でしたが何とか座ることが出来ました。静かな地元の人々に交じって乱暴に汚いザックを扱う一団が乗り込んできたというような図だったと思います。
穂高のプラットホームには見える山々の名前が写真とともに置いてあったので燕岳を見つけることができました、電車の車窓からの暫くは燕岳が見えていたので、自分が登山した山なのだという感慨を感じることが出来ました。登山ガイドのHさんが住んでいるという駅では隣に座ったツアーメンバーがわざわざ教えてくれました。
午後16時20分くらいに松本駅に到着してから夕食の弁当を仕入れて特急電車の出発するホームで待ってから座席に座ると、今度は缶チューハイを4本と弁当を持った男が横に座りました。
 
列車が動き出すと直ぐに夕食の弁当を食べて何もすることが無くなると、この隣に座った小太りの男に私が質問したことがきっかけで話が途切れる事無く延々と新宿到着まで続きました。
「どちらにお住まいですか」と質問すると「平塚」ですと聞いたので「私も三十年以上前には鎌倉に住んでいまして」というところから話が盛り上がりました。
「平塚には今も友人が住んでいますし、昔は七夕を見に行ってました」と言うと「今では商店街がすっかり寂れまして、七夕も二三日しかやらないような状態です」と言ってから「私は中学校の社会の先生をしていまして、54歳ですが独身なのでこういう好き勝手をしているんです」と自らの立場を明らかにしました。
「今時の中学校は学級崩壊とか、大丈夫ですか」と聞くと「いやあ、私の中学校は偏差値の低い学校でしてね、高校進学の内申書も底上げばかりしているので高校からも疑いの目で見られているほどです、あっははは」と意外にあっけらかんとしているのでした。
「何せ環境の悪い学校で、中にはxxxxをしている母親がいて、子供には終わるまで押し入れに入って待っていろと言われる子供もいるのですから大変ですよ」と問題発言を自らしてしまうほどの男だと分かりました。
「定年後は教育委員会でも行くんですか」と水を向けると「いや、もう学校はいいです、旅をしたいです」と独身者のわがままがそのままでているような発言が続き、酒で酔払っうのが好きな男であった。「今では授業前には飲めなくて」というのを聞くと自身も偏差値が低いですよと言いたくなったのでした。
「一昨日は有明荘では五合もお酒を飲んでいい気持ちで良く寝れましたが、燕山荘では日本酒が安物でしたからがっかりしました。せめて地酒を置いてほしいですね、折角の登山が台無しです」と旨い酒のある山小屋が良い山小屋であると自らの趣向で決めつけていたのでした。
「燕山荘には夏に宿泊したことがありますが、その時は主人のアルペンホルンはちゃんと聞けました」とか言ってから「あなたは次の登山計画は決まっていますか」と切り出してきたのである。
「いや決めていませんが」と言うと「私はチベット方面に行ってエベレストを見に行くんです、一緒に行きませんか」と言われて驚きました。今日初めて知り合った男にエベレストを見に行こうといわれてはいはいと答えなど出来るはずもないだろうと思うのが普通だろうと思ったのですが、この男の頭にはそういう思考回路は無いらしいと思いました。
「エベレストを見るベストシーズンは11月から3月ですが」と私が言うと「ええ、だから今年の12月に行こうと思っています」と答えたのであった。中学校の冬休みに行くつもりなのかしれないが、こちとら正月も出勤かも知れないという状況なので「そういうスケジュールならば私は会社を辞めなきゃ行けないよ」と言うと漸く押し売りは終わって新宿駅が近くなり、ほっとしました。このエベレスト行きの話は他のツアーメンバーにも強要していたようで「あの人も参加します」と言って通路を挟んだ反対側に座っていた小太りの男を指さしていました。
最後には「実は絵も描いていまして、絵葉書の年賀はがきを送ります、これに住所を書いて下さい」強要される始末であった。新宿駅に到着して下車する時には、この男から握手も強要されて、逃げ出すように列車から飛び出して山手線のホームに向かいました。
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                                           ( 有明荘に到着して登山終了 )
有明荘に到着したのが午前12時くらいだったので、午後14時40分出発時間まで十分に時間がありました。ザックの整理や温泉で汗を流して昼食を食べる時間は有り余るほどありました。
最初に靴が汚れているので全員が洗い場でAさんに靴を洗ってもらいました。私も自宅で丁寧に泥を落とそうとは思いましたが特急電車の中で泥を落とすのも如何なもんかと思い、Aさんにさっと靴の泥を落としてもらいました。
それから着替えの入った買い物袋を持って風呂場に行き、全身を洗って髭を剃ると漸くすっきりした気持ちになれましたが、体は相当に疲れているのが分かりました。本当はさっさと早く帰って寝たい気分でしたが、ツアーなので時間通りにしか動けないもどかしさを感じました。
風呂からあがって食堂で大もりのざるそばを注文しましたが、本場物かと期待していた蕎麦の味が薄くてがっかりしながら腹を満たしました。反対側に座った男から「その蕎麦はどうですか」と質問されたので「いまいちですね」と答えたのですが、その男も蕎麦を既に注文をしていました。
お土産を買ったり休んでいても時間はたっぷりあるので、とうとうしびれを切らして外のテラスで山風に吹かれて時間を過ごしました。山の冷たい風が通り過ぎるのが心地よく感じられて、登山をして体が疲れてはいるものの何か不思議な力を与えてくれたような気がしました。
 
定刻の午後14時40分に再び満員のマイクロバスでJR穂高駅まで行きましたが、ここで最後の事件が起きました。中年の男が時計を忘れたと言って騒ぎました「マイクロバスの中か温泉か分かりません」とAさんに説明すると、Aさんがバスの運転手に連絡を取ってくれてバスを調べると時計があり戻ってくれるという事でした。穂高駅改札に入る午後15時45分にきっかりバスは穂高駅に来て時計がその男に戻りました。何ともぎりぎりの時間に間に合うというタイミングに、トイレから出てきた男は去って行くバスに向かって「サンキューベイビー」とか訳の分からない大声を発していました。
ここでガイドのHさんとは別れましたが、Hさんは今日の朝撮影した槍ヶ岳のモルゲンロートをフェイスブックに本日中にアップロードしますので是非見てくださいと説明されました。非常に気持ちの良いガイドさんだと思いました。
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                      ( 普通の道に時々積雪の場所が現われる )
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                      ( 昨日よりは雪の少ない道を歩く )
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                             ( 登山道入口の看番 )
午前10時50分頃、第1ベンチに到着してアイゼンを外してザックに入れて中房温泉に向かって下山しましたが、昨日の登ってくるときには結構雪があると思っていた道は無くなってぐちゃぐちゃの泥道に替わっていました。Aさんは「最後のこの道が曲者で転ばないように気をつけてください。昨日の燕山荘の主人はここが危ないという説明はしなかったのが訝しい」と説明してから下山を始めました。
ここでも最初は雪の坂で転倒した男を先頭に歩きだしたのですが、歩きが遅いので途中でやり過ごして他のメンバーが先に降りて下の中房温泉で待つことにしました。
ツアーメンバーが登山口の中房温泉に到着したのは午前11時40分頃でした、下山でも4時間掛かっているので、登山に6時間掛かって仕方がないと思いました。
それから10分も待たないでガイドのHさんと年配の男が降りてきたので、全員が有明荘まで坂を下って行き、有明荘に向かいました。
山の上は相当に寒く感じましたが、ここでは日差しがあって熱く感じられ、初夏の陽気だと思いました。
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( 先頭は腰にロープをつながれて降りる男 )
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( 坂も緩やかになってきました )
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( 昨日はあった雪が消えている第1ベンチ標識付近 )
このツアーではピッケルとストック両方を持参してくださいという事でしたが、下山する時にこのピッケルの先端をケースを付けないでザックに結び付けていた男がいました。下山する時、その男の後ろで歩いていると、ピッケルの先端が何時も私の目の前にあって非常に気になりました。鋭い先端が目の前にあるのでついつい間隔を開けて歩くようになっていました。
第二ベンチから第一ベンチに向かう途中、その男が休憩しようとする別のツアーの大柄な男性の後方にぶつかったようでした。大柄な男性は休もうとしていたベンチに倒れて「何で押すんだ」と大きな声を上げました。散乱するメガネや荷物を周りの人が取ってから、倒れた男が立ち上がりましたが、倒した当人は謝罪の言葉を発するでもなく歩きだしました。一時停止していた私はその儘、間を開けて進みました。
その男は第一ベンチでの休憩中にAさんに説明していましたが、Aさんは「個人的な問題ですね」と言ってツアーには関係ないのでという風に説明していました。
私はピッケルの先端をむき出しのまま歩くという無神経な男の性格が、他人を押し倒しても知らん顔をして通り過ぎさせたのだろうと思いました。この男は登山の途中でも急に立ち止まって周りを見回すとか、他人の行動に気を遣うという事には無頓着なところがあると思って見ていたので、こういう事が起きても不思議ではないと思ったのでした。
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                     ( 樹林帯の切れ目から見える峰々 )
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                    ( 樹林帯の切れ目から見える山 )
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                                         ( 樹林帯の坂をどんどん下る )
午前8時40分合戦小屋を出て、富士見ベンチは飛ばして第3ベンチまで下りました。登りと違い下りはつま先に力が入りそれなりに力を使いましたが、ストックでバランスを取りながらリズミカルに降りれるときは楽しくなりました。
第3ベンチの手前にある割と広い坂道で、昨日登山に遅れた年配の男が転びました。直ぐに立ちあがれるだろうと思いましたが、どういうわけかなかなか立ち上がれないのが不思議でした。それを見た登山ガイドのHさんが「そのまま這って山側に行ってから立って下さい」と言って雪の斜面を転げ落ちないようにとの配慮をしていました。
下山中でしたが、ここで少し休憩を取って、その男に昨日同様腰ひもを巻きつけてガイドのHさんが急坂ではロープで支えながら下ろすという事になりました。そのために下山のペースが一気に落ちました。しかしツアーは時間は十分余裕があるのでこういう事件が起きても全く問題はありませんでした。しかし先頭を歩く力尽きた年配の男のペースでは余りに遅く、途中でHさんは先に降りてくださいと言ったほどでした。
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                                      ( 燕山荘につながる最初の急坂を下る )
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                        ( 合戦沢の頭が見えてきた )
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                  ( 昨日直登で苦労した合戦沢を一気に下る )
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                     ( 朝も早い合戦小屋は閑散としていました )
燕山荘からの下り冷たい強風を受けながらの下りでした。このまま下まで風が強いと困ると思っていたら、少し降りると風が弱くなって良かったろ思いました。フードも外して歩けたので解放感がでました。
しかしながら、周りの風景は昨日の快晴とは打って変わり、ガスが出て周りの山々の稜線は見えず眺望の悪い下山となりました。
昨日あれだけ気持ちの良い光景を見れただけでも感謝しなくてはならないと思っていたので、下山時にこういう悪い気候になっても惜しいという気分にはなりませんでした。
途中で立ち休憩をして午前8時20分には合戦小屋に到着しました。Aさんは山小屋でトイレに行けなかった人はここで済ませてくださいと言っていましたが、ここのトイレも数が少ないので待ちが出ましたが、幸いに朝早いので登山する人も下山する人も少なくて、早々にトイレは済ませることができました。
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                                         ( 下山前、燕山荘から燕岳を見る )
午前7時20分頃、ガイドのHさんやツアーメンバーは下山の準備が出来て小屋の前で待っていると、なかなかAさんが出てこないので不思議だと思っていました。
それから15分も待っているとAさんが現われて「誰かのアイゼンのビスが壊れたので山小屋で直してもらいました」という解説があって驚きました。よくもそんなボロいアイゼンを持ってきたなということと、それよりも登山準備をしていて目視して気がつかなかったのかと思ったのでした。このツアーでは色々な事が起きたのですが、この日はこれが一つ目の事件でした。
 
全員が揃うとAさんがストレッチ体操の先生となって5・6分の体操をしてから、午前7時40分位から下山しました。下山は急坂を下るばかりなのでそれほどの体力を使わないのかなと思ったのですが、結構体が熱くなって汗が出る程でした。
燕山荘を出発する時は強く冷たい横風が吹きつけて歩くのも少し難渋しましたが、少し下りると段々風も止んで上着を着ていると暑く感じられる程で、特に私は暑がりなのでその傾向がでたのかと思いました。天候も昨日の晴天は無くなってガスが出て山の稜線は見えなくなっていました。山の天候はこのように変わりやすいものであると理解をしました。
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                           ( 燕山荘の朝食 )
午前6時位に下の部屋から狭い屋根裏部屋にAさんが現れました。することとて無く、Aさんは時間をも持てあましているツアーメンバーに得意のストレッチを指導をしてくれて、少しは時間つぶしに役に立ちました。Aさんは日頃こういう体操をしているらしくスポーツインストラクターという事もできるのかなと感じたほどでした。
午前6時45分に朝食を済ませたら直ぐに出かけられるようにとザックは事前に山小屋の前に置いてから再び食堂の前に並びました。この時もやっぱりAさんが食堂入口の先頭で待っていましたので、仕事とはいえ大変だなと感じました。
時刻通りに食堂に入り昨日と同じ机の場所に座りました。朝食を食べると味噌汁は出汁が全く無いような薄い味噌味だったので、こんな味噌汁なら出さない方がましなのにというような感想を持って食べ終わりました。山小屋なので煩い客から味噌汁を出せと言われて作っているのだろうという風に理解をしました。
朝食は10分もすると食べ終わり、お茶で歯をすすいで食堂を出て、わざわざ食堂近くに仮起きした登山靴をを取って外に出ました。この時若い女が玄関でスパッツやアイゼンを付けていて出入口の障害になっていましたが、誰一人注意をする人はいませんでした。私はその女の横に靴を置いてさっさと外にでました。
燕山荘外の椅子に座ってスパッツやアイゼンを付けていると背中の方から韓国語の会話が聞こえて着て、山小屋も国際的になってきたものだというのを感じました。
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                      ( 燕山荘から見た槍ヶ岳の朝焼け )
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                      ( 燕山荘から見た燕岳の朝焼け )
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                                             ( 燕山荘から見たご来光 )
翌朝は疲れていて目が覚めたのは午前4時30分くらいでした。トイレに行きたくて目が覚めたのですが余りにも早いので再び寝ようかと思って部屋に行く途中、階段の窓から外を見ると朝やけが見えました。折角なのでと思い直して、カメラと靴を持って山小屋の外に出て何枚か朝やけを撮影しました。少し遅かったのですが、ギリギリ朝やけが撮影出来ました。この日のご来光をAさんはスマートホンで撮影していて帰りの特急電車でツアーメンバー全員に披露をしていました。
昨晩寝るときには疲れで朝早く起きるのが無理だろうと思っていたのですが、体の自然現象が私を起こしてくれたのは、登山して写真撮影したいという常々思っている深層心理が影響したのかとも思ったのでした。
燕岳や槍ヶ岳の朝やけをカメラで撮影してから部屋に戻ると、もう既に皆がぞろぞろ起き出していて出発の準備をしていました。それで再び寝袋に入るという気は起きませんでした。ザックに入れたアイゼンとスパッツを一番上に置き直して直ぐにつけられる準備をしてからは、再び自分の寝床で皆の準備の様子を見ているだけでした。