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                       ( 食堂の梁を支える鉄柱 )
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                            ( 燕山荘の夕食 )
午後7時になると山小屋の係員が入口を開けてツアーメンバーに机の場所を案内されたました。しかし机が狭くて私は一番端に座ったのですが、片手がはみ出してしまいました。ものの本によればこの山小屋ではハンバーグが名物で・・・というような記事を読みましたが、この日もハンバーグがでました。私自身は山小屋の食事なんかに豪華でも質素でもこだわりの無い方ですが、沢山の種類のおかずを見ていると感心するばかりでした。個人的には山小屋では白い飯にふりかけでも十分だと何時も感じていますが、こういう風に凝った夕食を準備するのも大変だし、宿泊者混雑の時はカレーでも出して人数をさばいた方がよろしいのではと、登山で疲れて待たされた身にはそう思えるのでした。
体が疲れているのでさっさと食べて寝たい気分でしたので味わうという気分にはなれませんでした、とにかく食べ物を腹に収めたという印象でした。がつがつと夕食を食い終わると、明日の朝食は何時かと気になってAさんに聞くと、午前6時45分という一番遅い組でした。朝は夜明けの午前5時位から始まるそうですが、団体で入室するのが遅かったせいか朝食も一番遅い組にまわされたようでした。Aさんは手続きした時に小屋の管理人に勘違いされて遅い組にされたと釈明していました。
 
私が気になったのは夕食の中身よりも、この食堂の梁に鉄の支柱があったことでした。年気が入って梁が落ちてくるのを支えているのはわかりましたが、部屋全体に支柱があったので、小屋全体が宿泊者だけでなく雪の重さで押しつぶされているのかなと思いました。食堂入り口は筋交いで塞いだようにもなっており、本来ならば建物の修理が必要ではないかと感じました。
 
その夕食が終ると宿泊者に、マイクを使って小屋の主人からの説明というのがありました。小屋の宣伝やら、登山の注意でした。ライチョウやハイマツの生態の説明に加えて「昨日雪が降って今日晴れたので非常に綺麗な山が見られた」と本日は特別な日であるとうことも説明していました。
又、明日の朝は天気が良いので午前4時30分にはモルゲンロートが見られますと10分程も話した後に「宿泊者の方からアルペンホルンを吹かないのですかと質問されたので吹きます、季節は良くないし未だ上手く吹けません。アルペンホルンは全ての音階は出せません」と暗に調子が悪いですと言ってから、部屋の中でアルペンホルンを吹きましたが、やっぱり何の曲か分からないようなものでしたが拍手喝采となり、その後屋根裏部屋に戻りました。
 
部屋では寒そうなのでフリースを着て上着を着た登山姿で寝袋に入りましたが、このくらい着て丁度良くて寒くはありませんでしたが、薄着で寝た人は寒かったと翌日言っていました。
寝袋を着ても天井には小さな電球が点灯していたので、ズボンのポケットからハンカチを出して目の上に掛けて寝ました。疲れていたので朝のモルゲンロートなんかどうでもいいやと思いながら、目を閉じていると自然に眠っていきました。
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                                              ( 燕山荘前の標識 )
午後5時少し前に、ツアーメンバーはようやく部屋に案内されました。入り口で登山靴を持ってスリッパをはいてから、山小屋の人とAさんに先導されて部屋に向かうと、階段を上がり廊下を折れまがったりした迷路の先のどん詰まりのような場所にある屋根裏部屋がツアー20人の寝場所でした。
屋根の垂木が見えて少し湿っているようでした。Yさんは正月に登山した時に、この垂木からぽたぽたと水滴が落ちるので、寝袋一枚は水滴を吸わせるために余計に掛けて寝たと言う解説をしていました。この時は水滴は落ちてはいませんでしたが、翌日の朝には寸でのところで水滴が落ちそう場所がありました。
屋根裏部屋では自分の寝床を確保するために、最初に自分の場所に座りました。しかし屋根裏部屋で天井が低く柱に頭をぶつけないように歩く必要がありました。この場所では入口付近に女性6人が並んで寝て、中央と奥に男14人がばらばらになって寝ることになりました。
私はYさんの隣の3つ枕の並んでいる場所に決めて寝袋を敷きました。Yさんは寝袋は嫌だと言って2枚の寝袋を掛け布団にして寝ると言って重ねていました。
添乗員のAさんと登山ガイドのHさんは一段低い場所にある部屋で寝たそうですが、寝袋ではなく普通の布団だったそうですが重かったそうです。それに隣には外人が寝ていて夜遅くまでぺちゃくちゃと話をしていたので十分に寝れなかったという感想を翌日漏らしていました。
夕食の時間が午後7時の最終組になったので、寝床の準備をしても時間が有り余りました。そこでYさんが独演会を始めたのですが、それでも時間は足りませんでした。
「俺は墨田区から出たことの無い人間で、今でも墨田区に住んでいる」「東京スカイツリーは下から上まで建築の一部始終を全て見て知っている」「大学は兄貴はH大学で同じ学校には行きたくなかったので、濠を挟んで反対側の学校に行った、理学部物理学科だ」「学校では登山部に入り部室にこもり気味で、試験の時は部室に置いてある過去問5枚から2問を覚えて試験を受けた」「勉強はしなかったので、卒業間際に先生にウィスキーの角を届けて卒業させて貰った」・・・
こういう話も何時までも持ちませんでした。Yさんの独演会を聞いた後、入口の売店で明日の下山時の水や燕岳の記念葉書等を購入し屋根裏部屋に戻ってザックに入れてから、再び屋根裏部屋から入り口に行き、山小屋の外にでました。
山小屋の外は風も微風で寒くないので、ツアーメンバーの二三人が登山ガイドのHさんと麦酒を飲みながら話をしていたので、会話を横で聞いていました。
登山ガイドのHさんの生まれから現在地までの話、今は松本市に住んでいるとか、ガイドの仕事歴、ガイドは始めたばかり、これからの登山ガイドのコース案内、登山の本を出している・・・という話でした。
風が強くないので意外に過ごしやすかったのですが、麦酒が無くなると再び小屋の中に全員が入って行きました。夕食の持ち時間にしびれを切らして食堂の前に並ぶと、一番前には仕事柄Aさんが立っていました。午後7時には15分以上も前に入口に並んだのですが、時間になるまで中には入れてくれませんでした。この日は3回の入れ替えがあったそうで、如何に大人数が宿泊しているのかが分かるような夕食の待ち時間でした。
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                                         ( 燕山荘前の小さなキャンプ場も大賑わい )
燕岳から30分ほどかけて午後4時30分くらいに燕山荘に到着しました。燕山荘の前でアイゼンとスパッツを外して山小屋に入る準備をしました。当日は連休の初日ということも2・3百人が宿泊しているようでした。
添乗員のAさんが山小屋の中に入っても中々現われないので外で待っていましたが、風も強くなく苦にはなりませんでしたが、少しいらいらした気分になりました。
通常ならば、ツアー客は優先して部屋を決めてもらえる筈だと思ったのですが、この日は同じツアー会社で常念岳を登山する予定のツアーが雪崩の危険があるというので急遽燕岳登山に変更したので、追加したツアーと元々申し込んでいたツアーが混同されて、我々は後から宿泊を申し込んだ常念岳から燕岳登山に変更したツアーに間違えられていたようでした。それで予定していた部屋は後から申し込んだメンバーに割り当てられたので、これだけのツアーが入れる部屋を決めるのに時間が掛かったと推測しました。
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                   ( 山頂からの下山は当然ながら最初は下ります )
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                    ( 槍ヶ岳を眺めながら雪道を歩く )
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                                        ( 山頂からの下山と言っても急な登りもあります )
午後4時少し前、燕岳山頂に20分も滞在してからツアーメンバーはだらだらと一列になって下山していきました。時刻は4時前でしたが、山の上なので日はまだまだ高い状態で周りの山々は綺麗に見えていました。
今日はこれで終わりだと思うと精神的には楽になって足取りも軽くなる筈でしたが、一日中坂を登ってばかりしたせいか足取りは軽いどころか、早く横になりたいという気分でした。朝8時30分中房温泉を出てから8時間以上も経過したいたので、途中で何十分休憩したと言っても休んだような気にはなれず、長時間の連続登山という、普段は訓練もしていない体にはきつく感じられたのでした。
しかし、疲労困憊の状態にもかかわらず唯一の救いは、山の冷たい空気は都会とは全く違うので、息をするたびに何となく体がリフレッシュされるような感覚がありました。
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                      ( 立錐の余地も無い燕岳山頂 )
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                        ( 燕岳山頂から見える峰々 )
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                                       ( 燕岳山頂から見える峰々 )
午後3時40分、狭い岩場道を息を切らして登って行くと、これまた非常に狭い山頂がありました。大勢の人が記念写真を撮影していましたが、標高を書いた岩が小さいので撮影が大変でした。
我々のツアーだけでなく個人の登山客もいて大混雑しました。もう少し見栄えのする大きな標識を置いてもらいたいという風に思いました。北アルプスの女王という触れ込みにしては貧弱すぎました。プロの登山家諸子にはどうでもよい事かもしれませが、私のような素人にはそういう事も重要だと感じました。
燕岳山頂からの眺めも雲ひとつなく素晴らしいもので、登山したかいがあったと思うと喜びもひとしおでした。ここから見える峰は、皆平等で一つだけ突出して見える山が無いのが日本の山らしいと感じました。
又、昨日の新雪が快晴の下で綺麗に見えたのも景色の付加価値として付け加わったのだろうとも思いました。燕山荘の主人も夕食後そういう解説をしていました。
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                                           ( 燕山荘からは最初下りになる )
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                    ( 燕岳山頂につながる岩場へ向かう )
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                       ( 歩く後方に見えた槍ヶ岳 )
燕山荘から燕岳に向かうには、一度下りてから再び登らねばならないので、燕山荘と燕岳の標高差52mを登るだけのものではないので、登りの時は少し苦しくなりました。それでも荷物が無い分だけ楽には上がれました。しかし登山ガイドのHさんはザックを背負って登って行きました。「何があるか分かりませんので・・・」と言って、私が「そんな荷物は重いでしょうに」という言葉に答えていました。
燕岳に至るまでには、途中に奇妙な岩があってイルカ岩とかメガネ岩という名前がついていました。登るときには余裕がなくて余り気になりませんでしたが、帰り際にはそういう岩を眺めながら下山しました。
燕山荘からは砂地を少し下ってからは岩場を少しずつ登るのでストックが邪魔になる場合がありました。狭い岩場ではストックを手に引っ掛けて荷物を上げる要領で登りました。富士登山の最後の岩場と同じような要領だと思いました。
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                             ( 燕山荘入口 )
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                     ( 燕山荘前から見た北アルプス )
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                       ( 燕山荘前から見た燕岳 )
燕山荘(2710m)の正面に到着したのは午後2時40分頃でした。登山を始めてから約6時間10分も掛かりましたが、素人ではこれが標準時間だろうという気がしました。
ここでザックを下ろして燕岳(2763m)に向かいました。体は疲れていましたが重い荷物が無くなっただけでも気が楽になって歩くことができました。
燕山荘から燕岳登山では、途中で遅れた年配の男性と中年の女性二人が居残ることになりました。もう登山する力が無いのか、それともツアーメンバーに迷惑をかけたので余計な心配は掛けたくないと思ったのか分かりませんでしたが、折角ここまで上がったのにもったいないと私は感じました。
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                       ( 右手に燕岳を望んで登ります )
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( 燕山荘までに小山を超えて行く )
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( 燕山荘手前、結構な急坂でした )
合戦沢を登り切って暫く歩くと先頭を歩いていた登山ガイドのHさんが「あれ、一人いない」と言ってから、ツアーメンバーをその場に立たせたままにして、「下に降りてきます」と言って引き返しました。私なんかはここまでくるのにすっかり体力を使い果たしている感じなのに、Hさんは意気軒高にも再び来た道を下り一人の落後者を助けに行ったのでした。
雪上でも立ったまま休めたので私は助かりましたが、遅れている人はどういう状態なのかと少しは気になりました。2・30分も経過してからHさんが遅れた一人の年配の男に腰ひもをつけて現れました。Hさんはひっぱりあげた訳ではなくてゆっくりでも少しずつ登るように紐でその年配の男につたえながら上がってきたとのことでした。ツアーなので全員が山小屋に行かなければならないので一人だけ置いていくわけには行かないのがツアー登山の時のいい面でもあり健脚な人には迷惑な面にもなるのでした。私は十分に休めて助かったという方でした。
ここからは何度も雪の斜面を上がり、燕山荘の手前ではもう息も絶え絶えというような感じでしたが何とかあがりましたが、燕山荘の正面まで行くにはぐるりと小屋を一周する必要があり足はよろよろしていました。
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                                         ( 合戦沢の頭へ登山中に見えた槍ヶ岳 )
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                      ( 合戦沢の頭から見た槍ヶ岳 )
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                 ( 合戦沢の頭から燕山荘に行く途中から見た槍ヶ岳 )       イメージ 4
( 燕山荘手前から見た槍ヶ岳 )
この日は快晴で森林限界を抜けた先には雪と北アルプスの峰々が白く輝く絶景の世界が待っていました。登山で疲れていましたが、こういう絶景を見ていると登ってきたかいがあったと感慨にふけっていました。左手奥に見えた槍ヶ岳は進むうちにその見え方がどんどんと変わり、その姿を楽しみながら登りました。
合戦沢の頭までの急坂で体力は相当に衰えているのが分かりましたが、周りの白い峰々は更に続く急坂の登山の後押しをしてくれるようにも思いました。
         
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                      ( 登り始めの緩い傾斜面を登る )
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                      ( 足元ばかり見て急坂を登る )
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                          ( 燕山荘が見えた )
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                                    ( 合戦沢の頭から登山する人たちを見る )
合戦小屋から先の山を見ると登山者は山の斜面を直登しているのが分かり、こんな急な坂を登ることができるのかと不安にもなりました。合戦小屋を出たのはぐずぐずしていて午後13時くらいになり、急斜面を上がって行きました。
余りの急斜面に周りを見る余裕も無く、足元だけを見て息を切らして登ると視界が開けて漸く雪山登山をしているというような光景になりました。こんな急斜面なので、つづれ折れに登れば良いものをとも思いました。
合戦沢の頭からは、右側遠くには坂の上に燕山荘が見えて奥には燕岳が見えました。左側には遠く槍ヶ岳が見えて苦しい登山を吹き飛ばすような光景が広がったので疲れは少しは無くなったように思えました。