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5月13日(水)付朝日新聞に掲載された記事で中国四川省の大地震の事を思い出しました。自分自身は大地震の起きた後に訪れたのですが、非常に大きな災害でしたので興味をもって調べた記憶があります。
しかしながら毎日の生活の垢の中に記憶は薄れてすっかり忘れていた時に新聞記事で記憶が呼び覚まされました。
この記事の感想は、マスコミの意義というのを感じさせられた好感のもてるニュースで、同時にインターネットのニュースでは扱わない類の記事で紙媒体の新聞の良さも感じました。
先日来、テレビで三浦雄一郎さんの80歳エベレスト登頂が盛んに報道されています。元々スポンサー付きの登山であったことを考えれば、テレビで盛んに報道されて当たり前のことであり、同時に報道されないと困ることでもあったと推測されます。
三浦さんが80歳という最高齢でのエベレスト登頂記録を作りたかったという発想は無謀と言えるのではないかと思います。三浦さんのエベレスト登頂後、三浦さんより1歳年上のネパール人が登頂を試みて失敗しているという事実が証明していると思います。
 
三浦さんがエベレストに登頂をした理由は、単なる記録作りだけでなく、イベントとして面白い企画だったからだろうと思いました。その証拠に多数の企業がスポンサーとして付きました。
スポンサーは企画を何としても成功させなくてなならないという至上命題があるので、三浦さんを何としてでも登頂させなくてはならなった筈です。テレビでの報道を見ていても周りの登山スタッフの多さが気になったほどでした。確かに三浦さんは自分の足で歩いたのだろうと思いますが、私はあの登頂するシーンを見ていると駕籠で担がれて登山しているように見えました。
元々無謀な企画なので、下山の事件は当然ながら起きたことだと思います。ヘリコプター下山したのは、本人が下山中に死んでもらったら困るので、金を積んでそういう措置をしたのだろうと思いました。ここで三浦さんが死亡でもしたらスポンサーは命取りになりかねないところでした、何故そんな無謀なイベントをやらせたんだと・・・・。
下山にヘリコプターを利用しても問題ないと言う意見は、80歳エベレスト登山の記録を日本人が作ったとしたい人たちには当然であろうと思います。
 
三浦さんのエベレスト登頂のニュースの後で、ダウラギリ登頂を果たせず死亡した河野さんのニュースも流れました。河野さんはガイド2名だけの質素な登山でした。
2つの事件からわかったことは、8000メートル級登山は、金しだいで命をとりとめたり落としたりするということでした。
 
追記)
一昨日の6月24日のNHKで紹介されていたのは、この登山に6000mのベースキャンプまで登山医師資格のある日本人の女性医師が同行していたということでした。アシスタントにとどまらず、医師まで同行していのには驚きました。
この登山イベントに従事した大勢の人たちについて、新聞記事には記述が無いのが気になりました。大勢の人たちに支えられたの登山だったのは明白なだけに、そういう事実の詳細をもっと知りたいと思いました。
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中国新聞網4月21日に「北京時間2013年04月20日08時02分、四川省雅安市廬山県でマグニチュード7.0の地震が発生。すでに160人が死亡。」という報道がされて、日本でも大々的にマスコミからニュースが流れました。
 
昨年、大姑娘山登山のために通過した芦山の印象は、古い中国と新しい中国の混在した街で、その余りにも大きい落差に驚いて印象に残った街でした。田畑の中に、四車線もある広い道路や真新しい公共の建物を建設して新しい街を作っているように見えました。
 
今回の地震で被害にあったのは、屋根瓦の古い中国の家屋に住んでいた人たちではなかろうかと推測すると、何時の世でも貧しい人たちがこういう災害でも大きな被害を受けるとことでした。
ニュース映像で報道されるのは新しいビル映像が多いように思いますが、細い路地裏には昔ながらの建物が多く見えたのを覚えています。
 
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先週木曜日の日経夕刊で紹介された記事の一部です。筆者は翻訳業という紹介がされていました。
この記事を最初に読んで、ここまで中華料理を礼賛されると返す言葉が無くなると同時に、このように記述すると誤解を招くのではないかと感じました。
昨年中国旅行の際、四川省成都等で四川料理といわれるものを何度も口にしましたが、口に合ったのはホテルのレストランの四川料理くらいでした。もっともホテルで提供されている料理が全て四川料理かというのには疑問があるのですが、四川省にあるホテルなので四川料理と理解するもの全く間違いでは無いと思います。
この記事を書いた方が街のレストランなのかホテルのレストランなのか特定しないで「美味い、美味い」と記述するのが問題と感じました。なぜならば、ホテルのレストランなら中華というジャンルの他にもメニュー豊富なので、多分毎日食べていても飽きないし、美味いだろうという想定は出来ます。
こういう食べ物の記事では、レストランのグレードや場所を記述しないと真意の程が判断しかねるということになると感じました。
個人的な経験では中華料理の味は色々で、日本人の舌に合うもの会わないものもあり、美味い店もあり不味い店もあったので、この記事には違和感を感じたのでした。
私が参加ツアーでは、中国方面の旅なれた年配の人たちは全員が日本からふりかけを持参し、ご飯に掛けて食べ私もおすそ分けを貰っていました。油まみれの料理ばかりなので、さっぱりとした味で補う必要がありました。滞在日数が増えれば増えるほどに、ふりかけのありがたさを感じた次第です。
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( 京成電車の時刻表 )
上海から成田まではイヤホンで音楽を少し聞いてからは何もすることが無いので、旅の記憶を旅のスケジュール表に色々な出来事を思い出しながら記載しているとあっと言う間に成田に到着しました。
成田到着が午後9時45分くらいでした。成田空港にこんなに遅く到着する経験は初めてでしたので少し焦りと不安がありました。
帰りの電車の時刻が心配で、急いでスーツケースをピックアップするターンテーブルのある場所に行くとHさんが「出ていますよ」と言ってスーツケースを取ってくれていました。添乗員のHさんに御礼とお別れを行ってから税関に行きました。「何か申告するものはありますか」と女性係員から質問されたので「パンダクッキーならありますが」と言って外に出ました。
地下の京成電車の改札口に行くと既にスカイライナーは終了していました、「在来線で行ってください」と言われたので切符を買って慌てて京成線のホームに向うと午後10時29分発の特急というのがあるので乗り込みました。
飛行機から降りて来て、電車に乗る予定の人は殆ど乗り込んだと思った時に電車は出発しました。隣の第二ターミナル駅からも大勢の人が居て座席には座りきれなくて立っている人が出るくらいの混雑でした。夜遅い電車は旅行帰りの人たちばかりを乗せた特別な電車かと思えるほどでした。
日暮里には午後11時25分に到着して山手線に乗り換えました。山手線の池袋方面は午後11時30分発でしたがホームの案内では、車両検査で15分程遅れていますと聞いて、今回のツアーは予定が何もかもが遅れるツアーだったのかなと思いました。
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                     ( 上海空港の独特のオブジェ ) 
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               ( 上海空港・搭乗口の反対側にある中国らしい飾り物 )
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             ( 上海から成田に搭乗した飛行機、金色のど派手な色 )
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                       ( 上海から成田でも機内食 )
成都からの飛行機は定刻通りに出発して上海へ向いました。約2時間後に上海に到着しましたが、荷物は結局ここでピックアップして再度預けなくてはならないというので少し時間が掛かりました。荷物の出てくるターンテーブルの場所では、現地の中国人の係員がスーツケースをピックアップしてくれていたので荷物は簡単に取れましたが、再び飛行機に預ける場所では時間が掛かりました。
時間が掛かったのは、最初は係員が居なかったので担当者が来るまでに時間が掛かりました。それから荷物検査の人もいなかったので更に時間がかかり、その上検査機械に電源が入っていなかったので機械が立ち上がるまでに時間が掛かりました。順番に荷物を送り出すと、今度はテルモスという魔法瓶が引っかかりスーツケースを開けさせられた人が二人もいてますます時間が掛かってしまいました。
上海空港は面積は大きいとは聞いていましたが、人手が足りていないというのをこういう場面で実感して中国らしいと感じました。係員は日本人同様とても真面目な感じの人たちで好感は持てましたが、役所仕事をしているように思えたのも事実です。
 
荷物を預け終わると、出国手続をしました。夏休みのせいかどうか不明でしたが、大勢の人が並んでいるので女性係員が人を振り分けていました。私が並んだ場所では係員が手振りで後ろに下がれというのですが私が反応しないので最後に「後ろの黄色い線まで下がって下さい」と日本語で言ったので漸く理解できました。それから私の前の人の出国手続を始めました、私の番が来たのでパスポートと書類を渡して「日本語がよく分かりましたよ」と言うと「いや、それ程でも・・・」と中国人にしては珍しく謙遜していました。パスポートを貰うと私は「シェーシェー」と中国語でお礼を言って出ました。
その後でセキュリティ検査があったのですが、この場所ではさみを持っていた年配の女性が引っかかりました。それにHさんが先に歩いていったので一人いないと騒ぎになりました。
老人のツアーではこういう色んなことが起きるものだということを体験した時間でしたが、搭乗時間に間に合うのかどうか気になって、そういうボケた話題を楽しむことはできませんでした。
上海空港では、いろんな出来事ががあったので、成田行きの飛行機の搭乗時間までにはもう10分ほどしかなくなり、搭乗口には急げ急げというような状態で小走りで焦って進みました。
午後5時20分が搭乗時間でしたが、一向に搭乗できるような状態では無いらしいので、ここでゆっくりトイレに行くことも出来ました。飛行機の到着が遅れて搭乗時間は約30分も遅れていました。ここで遅れると成田の到着が遅れるので嫌な予感がしました。搭乗時間も午後6時10分に変更されたので仕方なく待たされて乗り込みました。
 
上海の中国国際航空の飛行機に乗り込んで最初に感じたのは、同じ中国国際航空という会社でしたが、成都と上海までの客室乗務員と上海から成田までの客室乗務員の容姿が随分と違うものだと思いました。
当然ながら上海と成田路線の方が美人揃いで、日本人的な中国人もいるものだと思って見つめてしまいました。中でも日本人と思えるような痩せた美人の顔立ちの客質乗務員と目があってお互いに意識したせいか、その客質乗務員は私の席の横を通る時はシートベルトに触れたりしていました。その美人の客質乗務員が中国人の客に叱るような態度で話をしているのを見てるときつい性格かなとも思えたのでした。中国人というと顔を見ただけでそうだと分かる人と、一見して分からない人もいるのだとはっきりと理解することができました。
 
私は通路側を希望して座ったのですが、隣の席は中国人の子供を引率する欧米人で窓際と後ろの席中国人の子供達でした。夏休みで子供達を日本の遊園地にでも連れて行くのかなと思いました。飛行機に搭乗した時から前後の座席で騒いで煩かったのですが、途中から疲れたのか寝ていたので静かになりました。
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                 ( 成都空港につながる道路、搭乗口に直結 )
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              ( 成都から上海に搭乗した航空機、機体の色は地味 )
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                     ( 成都から上海の機内食 )
ホテルの部屋で大人しくテレビを見ていたら午後9時になったので、スーツケースを持ってロビーに行くと既に大半の人が降りてきてソファに座って時間を待っていました。一番遅れて現れたのはベテラン登山家のKさんでした。
午後9時30分にバスでホテルから空港に向かいました。飛行機は午前11時30分発なので時間はたっぷりありましたが、成都市街は車の渋滞で中々進みませんでした。途中でバスターミナルが見えて、Mさんが「私の故郷はここからバスで三時間くらいの場所です」と言って説明していました。xxという街で白い酒が有名ですと追加して説明をしていました。
午前10時過ぎには空港に到着しました。「成都の空港は8月から新しい空港になりました」とMさんは説明していました。しかしながら成都に到着した時もこの新しい空港でしたので、改めて新しいと言われてもとどんなものかな思いましたが、道路がそのまま出発ロビーにつながっているので新しいという意味が良く理解できました。8月2日に成都空港に到着した時は、バスに乗るために忙しく移動したので空港を見る暇も無かったし、1階は車と人ごみでごちゃごちゃしていて真新しいという印象よりも中国らしい賑やかさが印象に残っていました。
バスを降りてスーツケースを引いて2階の真新しい搭乗手続きカウンターに案内されました。
成都空港の搭乗手続きでは荷物は成田まで直行で持って行きますと説明されましたが、上海では再び荷物をピックアップして再び預けるという動作をしました。中国ではこういうことがよくありますとHさんは説明していました。
 
搭乗券をもらって登場口に向かう時、現地添乗員のMさんとお別れをしました。ツアーメンバーと一緒に写真を撮影したり抱き合ったりと色々でしたが、私はそういう人たちを面白く観察するばかりでした。Mさんは日本語が完全ではないし若者だけに気遣いが出来ないとかという欠点はありましたが、一生懸命にツアーメンバーを助けてくれたという事は大変ありがたく感じました。同時に中国の貧富の現実も教えてくれて勉強になったと思いました。
 
成都空港では搭乗までに40分ほども時間があったのでツアーメンバーと雑談して過ごすしかありませんでした。私は空港内を見学しましたが、新しいだけに店も新しく小奇麗だと思うほか取り立てて撮影する場所も無いと思い再びツアーメンバーが座っている待合場所に戻り搭乗時間まで待っていました。
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          ( ホテルの部屋から見る成都の街、朝早くから出勤する人たちが大勢いました )
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                       ( ホテルの朝食は美味しい )
この日のホテル出発は午前9時30分出発だったので朝食はゆっくりでもいいですよとHさんからは言われていましたが、目は午前6時には覚めてしまったので午前6時30分にレストランに行って朝食を食べました。
早朝のレストランでは未だ料理が出来ていないもののありましたが、食べるには十分なほどの種類が並べてありました。きしめんのような麺があったのですが美味しく食べられました。スイカやメロンは沢山食べるともう満腹になってしまいました。
昨日、ホテルの出発が遅いので成都の観光でも出来ないかとMさんに相談したら「時間的に無理でしょう」と言われたので諦めて日本のテレビを見て過ごすことにしました。成都ではNHKが放送されているので日本人が沢山生活しているのだろうというのもしりました。
ずっと山奥のテント生活をしていたこともありすっかり浮世離れしていて、NHKのニュースをみていて現実世界に引き戻されました。一週間以上もニュースを見ていないので大して変わったことも無いだろうと思っていたら消費税値上法案が参議院を通過したことを知ってがっかりしました。
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                                   ( ホテルの窓から成都の夜景を見る )
川劇(せんげき)が終わる頃にはMさんが劇場の出口まで迎えにきてくれていたので迷う事なくバスに乗りました。この時に複数のバスが日本人ツアー用にきていました。我々のツアーは大型バスに7人しか乗っていない車内はがらがらの状態だったのですが、別のバスは満席状態だったものもあり、ツアーによって人数が随分と違うものだと感じました。
バスがホテルに行くとロビーでHさんからカードキーを貰いました。部屋に入った後で暫くするとMさんが注文したお土産のパンダクッキー6個を持ってきたので、料金を支払うと元が残りました。残りの百数十元を借りた三十元の利子と心づけの意味で全部Mさんに上げてしまいました。
この日ホテルは都会のホテルだったので、風呂では湯に浸かれまそいた。久しぶりに湯に浸かるとリラックスできたせいかベッドに入ると、昨日の宝興のホテルのように眠れないことはなく、自然に眠りに入ることが出来ました。