夕食は少し遅れましたが、博物館からぞろぞろと10名ほどに減ったツアーメンバーがそのまま食堂に行きました。私は何時も席に座ろうとすると前には70歳位のお婆さんが座っていて、横には北海道から来たという20代の素朴な感じの若い女性が座りました。その若い女性は私を見るなり「女ばかりに囲まれましたが大丈夫ですか」と冗談まじりに言うと「ええ、平気ですよ」と私は笑って答えました。とっくに女の色気が失せた3人のお婆さんを女と言った若い女性の言い方が面白いと思いました。年配でも女は女という意識があったのかと、男と女の感じ方の違いを知ったように思いました。
この70歳位の女性が「私は山頂には行きませんでした」と言ったので「えっ、私と一緒だったら登れれましたよ、何せ登るのが一番遅いのですから」と言うと「いえ、足を悪くして歩けなくなったのですから降りました」という説明をしました。
「それで誰と一緒に降りたのですか」と質問すると「アンナさんと、もう一人の若いロシア人の男性と一緒でした。花の説明なんかを聞きながら下りて来ました」と言ってアバチャ山に登頂しなくても満足でしたという風に聞こえました。ツアー説明書には標高2000m地点からのフラワーハイキングも出来ますという風に書かれていたので、アバチャ登山ではないコースもちゃんとあったのだと確認が出来ました。
この時、温和な感じのする年配の女性から世間話を聞かせてもらいました。話は東京の下北沢に住んでいるというので始まりました。「ものごく便利な場所にお住まいですね」と私が言うと「ええ、もう戦前から住んでいますので住めているのですよ」から始まり、聞きもしないのに自叙伝が始まりました。借地だったのを地主から息子の家を建てるので返せと言われて半分だけ返して家を建てたこととか、家には自分を含めて女3人と弟夫婦が住んでいるそうで3人姉妹の内2人は嫁に行かず1人は出戻りだったとか、この家は3姉妹の内最後に残った人が処分することを決めているかということでした。話が終わると「麦酒を一杯」と言って美味そうに飲んでいました。この女性は3人の仲間と一緒にツアーに参加していたようですが、他の年配の女も面白い説明に引きずられて出てきたのは「私も夫を亡くして相続で色々と大変でした」というくらいで終わりでした。若い女性は人生訓を聞いているようにうなずいて聞いているだけでした。
そういう無駄話を聞いていると夕食が出てきました。この時STさんが「いくらが出ますので、ご飯に掛けて食べてください」という説明がありました。いくらはこの食堂で用意したものではなくて、STさんが一昨日市場で燻製の下見をした時に買いこんでこの食堂の冷蔵庫に保管していたものらしいと思いました。STさんはこの日の夕食の為にわざわざ日本から醤油・練りわさびに刻み海苔を持参してツアーメンバーに振舞ってくれたので、そういう気遣いが嬉しく感じました。いくらは塩漬けなので少しの醤油を掛けて醤油の風味にすると美味しく食べられました。いくらはキングサーモンのいくらで大粒でした。ご飯はぱらぱらでしたがこのいくらを掛けて食べるとカムチャッカのいくら丼になりました。
隣に座った若い女性がいくらをご飯に掛けたりしているのを見ていると、私から見ると汚い乗せ方をしているので若いから不器用なのか普段していないことをしているので上手くいかないのかと色々と考えさせられてしまいました。
私は麦酒を飲まないので食事が終わってもすることが無かったのですが、男の連中はスーパーで買い込んだ麦酒を飲めるのは今日までだと言って大声で笑いながら何時までも食事が終わる気配がありませんでした。皆登山した満足感で気分が楽になってぬるい麦酒でも余程美味しかったようでした。
この夕食時にユーリアさんと若いロシア人の男が今日で帰りますと挨拶をしました。ユーリアさんは登山する前から頭には日本語が書いてある赤い布をバンダナ風に巻いていたので髪型はまったく分かりませんでしたが、日本でいうおかっぱという髪型で年齢が若そうに見えました。中学校の先生と言われると、こういう髪型でもおかしくないのかと感じました。夏休みなのに学校の行事でもあるのか仕事があるので帰るという説明がありました。
若いロシア人の眼鏡を掛けた若い男性は普段は商社勤務と言う話をラクダ山に登山をした時にユーリアさんから通訳してもらって聞いていました。大学を卒業して間もないそうで、非常に真面目そうな若い男性に見えました。山好きなのでツアーの案内人として参加したということでした。
私は成田で買ったハンカチを日本のお土産としてユーリアさんに渡したいと思っていましたが、突然の帰宅話でしたので機会を逃してしまい残念に思いました。
午後8時半には夕食を終わり、山小屋に戻るついでに食堂に置いてある絵葉書を買いました。食堂の端で夕食を食べていた家族のうち小学生の低学年に見える男の子が絵葉書販売の担当らしく私の傍にきて「おつりが無いので五枚を買って下さい」と上手な日本語言いました。多分アンナさんがそういう文章を覚えこませたのかと思いました。絵葉書は米ドルでも買えると言うので、2枚の絵葉書を買って2ドルを男の子に渡してから食堂の外に出て山小屋に戻りました。
この日の夕方も曇りでコリャーク山は見えませんでしたがアバチャ山は何とか見えたので写真を撮影しましたが背景が雲なので冴えない写真でした。
山小屋に戻ると、今日は睡眠導入剤が無いと思いながらも、疲労が蓄積しているので難なく眠れるだろうと思って耳栓をしてアイマスクを目の上に当てて、STさんやMMさんが山小屋に戻る前には寝袋に入っていました。疲れがあって自然に眠りに入りました、そして夜中にも目が覚めることもなく深く眠り込んでしまいました。
翌日聞いた話では、隣の部屋の添乗員のSTさんの悩み事について随分と白熱した議論があり、ツアーメンバーの二人と話し声が大きくなったということを聞きました。「煩くて眠れなかったのでは・・・」と言う質問があったので「耳栓をして寝ていましたので何も聞こえませんでした」と答えると、期待していた答と違って落胆していました。私は「どんな話でしたか?」と質問すると「STさんに、添乗員なんか辞めてしまえという指導をしました」と説明されると、私は添乗員という仕事の一端をツアーの度に聞かされたりしていたので同感だと思ったのでした。