六輪自動車が幹線道路を走っていると段々と雨が強くなってきました。この六輪自動車が走っている時、天井や窓からは少しずつでしたが雨が染み出していましたが、私の座った前列の年配の女性が「わっ、雨が落ちてくる」と声を出しました。
天井を見ると天井をつないだ部分のシールが十分ではなくて、雨がぽたぽたと落ちていました。雨が弱い時は、雨は天井から染み出て窓側に少しずつシール材に沿って流れていたようでしたが、雨の量が多くなってからはぽたぽたと落ちているようでした。座っていた年配の女性は折りたたみの赤い傘を差して雨漏りする雨をしのいでいましたが、暫くすると外の雨が弱くなったのか雨粒が落ちてこなくなって再び傘をたたんでいました。
六輪自動車は元々軍用なのを再利用しているという解説をユーリアさんから聞いていたのですが、軍用にしてはいささか雑な作りだと思いました。軍用で安価に作っている車なのでこれ位は当たり前と思えということでもあるのかとも考えてしまいました。
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トイレ休憩した雑木林からは直ぐに舗装した道に出て六輪自動車は一昨日来たと同じ道を反対方向に走っているようでした。天気は段々と悪くなって少雨が振り出してしまいました。
汚い窓硝子の車窓から通り過ぎていく畑や林の田舎の風景を記憶に留めようという気持ちもなく見ていると、静かな車内の後ろの座席から喚声が上がりました。何事かと思いましたが、この車の後方にロシアのタブロイド紙があったのを誰かが見つけて回覧をしていました。
日本のタブロイド紙と同様女性の裸の写真が載っていました。順番に後ろの席から回ってきましたが、ロシア美人の裸体写真が新聞の一面全体に印刷されていてとても綺麗だと思いました。日本のタブロイド紙は電車の中で見る事を考えて写真も遠慮勝ちに小さなものですが、新聞一面に裸体の美女が印刷されいるのが何とも開放的に思えて日本との違いを感じました。
タブロイド紙はもう一部見つかって、こちらには色々な種類のコンドームの写真があったのをMMさんは「夫婦で見るような内容ですね」と感想を述べていました。一番前に座っていたアンナさんが見たかどうかは分かりませんでしたが、件の男口調の威圧的な女は大きな声で「これはセクハラですよね・・・」と抗議するような口調で独り言を言っていました。乗車している人は男も女も年配者が多いし、観光中のハプニングを楽しんでいるので面白くも無い話には誰も耳を貸さないというような雰囲気でした。詰まらない畑や雑木林ばかりの風景にうんざりして沈んでいた車内の空気が、この出来事でわっと動いてツアーメンバーの目がようやく覚めたのかなと感じました。
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六輪自動車は山小屋を出発すると、再び川底を走って幹線道路に向ったのですが、下りのせいか来た時よりも車が揺れないし川底を走る時間も短いように感じました。KNさんの話では「この川底は川の支流で一時期しか水が流れないでしょう」という話でした。山小屋の横には川が流れていましたが、確かにこの川底は殆ど水が流れていないので融雪時だけ川を溢れた水が流れる川なのかと思いました。その時は山小屋の家族はどうして町まで出るのか、それとも山小屋は無人になるのか、ということまでは質問をする余裕もなくて聞けませんでした。
六輪自動車の汚れた硝子の車窓から黙然として移り行く景色を眺めていると、川を下るにつれて標高が下がるのが分かったのは、山麓が見えなくなり普通の雑木林に変わっていくからでした。日本の雑木林とは違い木の茂みが緩くて木自体が細めであるという風に見えました。
この川底を走っている時に、座席の一番前に座っているKNさんはユーリアさんに変わったアンナさんに色々説明をしてくださいというきつい要求をしたのですが、アンナさんは話はしませんでした。「これから行くバチェカズェッツ山麓とはどんな所か説明してくれませんか」と質問しても無反応でした。日本語より英語が得意ですと言ったのは、KNさんが次々に質問攻めにするので困ってそう返事をしたのかなと思ってしまいました。
KNさんは仕方がないのでアンナさんに「何歳ですか?」という質問から始めました。「大学を卒業したばかりです」と答え、今回はアルバイトで参加したとか、半年後には結婚する予定だという話を聞きました。もう一人のアンナさんも大学を卒業して直ぐに結婚したという話でしたので、ロシアでは早婚なのかと思いました。結婚する相手の素性までKNさんから質問され、銀行員だと答えていました。改めて思い出して見るとユーリアさんは結婚していなかったので、この土地では結婚が遅いと言われているのかなとも思いました。
 
六輪自動車は川底を走って幹線道路に出る少し前に停車してトイレ休憩をしました。山小屋を出発して1時間程経っていたので年配者が多いツアーに気を遣ったのかと思いました。
トイレ休憩と言っても公衆トイレがある場所ではなく雑木林の中でした。青空トイレの場所は自動車の進行方向に向って右側が男、左側が女と方向を決めました。雑木林を少し歩いて人影が見えなくなった場所で用を足しました。低い灌木が茂る場所でしたが、アバチャ山ベースキャンプの臭いトイレのことを思うと天国のようなトイレに思えました。
六輪自動車の停止した場所は焚き火の痕があったので、たまたま停車したのではなく日頃から停車して休憩をする場所だったのかも知れないと思いました。壜やゴミが散らばっているのを見ると、ロシアでは観光地を綺麗にするという意識が薄いのかと思いました。アバチャ登山途中の登山道でも時々ゴミがあったりしたのを見たので、カムチャッカ半島観光は未だ未だ途上だと思いました。訪れる外国人の人数も少ないのでそういう環境に対する意識は低いのかとも感じました。
トイレ休憩で六輪自動車を下車する時、私の目の前でアンナさんは荷物を整理しようとして身をかがめました。アンナさんのズボンが短いせいかどうか分かりませんでしたが、黄色で縞模様の切れ込みが鋭いTバックにも見えるパンツが少し見えていました。余りの小さなパンツに驚きましたがロシアの若い女性では普通なのかも知れないなと思いました。
この休憩時間にロシア人は1号車の運転席の周りで談笑していましたが、この車には登山に参加していなかったと思われるロシア人も乗車していたので、山小屋から帰る人も一緒に乗車しているのかと思いました。
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                                          ( 川底の雪渓を走り山を下る )
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                 ( 六輪自動車がトイレ休憩で停車した場所 )
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                        ( 青空トイレの場所 )
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                  ( 休憩時間中に談話するロシアの人たち )
この日は朝食が朝7時という普通の時間でしたが、私は昨晩午後9時ごろには眠りについたせいか朝6時には目が覚めました。昨日の登山の疲れでぐっすりというよりも疲れが少し残ったようなぐったりした目覚めでした。山小屋からトイレに行こうとするとアバチャ山は雲に隠れていましたが、アバチャ山麓が少しピンク色になっていて綺麗だなと思い、トイレから帰って撮影しようと思った時には赤色は薄くなってしまって撮影のチャンスを逃がしてしまいました。
髭剃りや顔を洗ってから朝食までの何もすることの無い時間が小一時間ほどありました。山小屋のある場所から自動車の道路沿いを入口当たりまで散歩しましたが、何か面白い被写体でもないかと探しましたが何もありませんでした。この山小屋のある場所はアバチャ山の雪が融けて流れ出る川の横の小高い台地にあり、荒涼たる山麓の丘陵地が広がっているという風に見えました。
少ないながら草や低い木が生えているので殺風景とは感じませんでしたが、それだからと言って豊な農作物が出来るような土地でも無さそうだし、森林も無いので林業も出来ないという土地柄だと思いました。山の観光で生活することしかできないような場所柄だというのを改めて認識をしました。
天気は曇り空で、カムチャッカに到着して以来天候はずっと曇で良くはありませんでしたが、これも季節的なことかと思いました。登山をした昨日の昼間だけが晴れだったのを考えると、この辺りではこういう曇り空が普通なのかと思いました。
 
午前7時に食堂に行ってテーブルに並べられた朝食を見ると、ご飯に肉の煮込みでした。昨日の登山の疲れがあったせいか、味は悪くはないのですが肉の煮込みがくどいと感じました。パンに少し何かあれば十分と言うような優れない体調だというのが自分でも分かりました。
この山小屋からの出発は午前8時でした。朝食後、歯磨きしてリュックサックに荷物を詰め込む作業をしても時間を持て余すような状態でした。私は着替えや登山靴を入れるバッグが無いし、昨日荷物は全部リュックサックに詰め込んであるので山小屋は直ぐに出られました。同室のSTさんはベッドの上に荷物を広げて要領悪くあれこれ迷って整理をしているようでした。
私は10号の山小屋を宿泊している人のなかで一番最初に外に出て、食堂前の小さな広場の木製の小さなベンチに腰を下ろして休んでいました。
この時、食堂の床下に巣を作っているらしい地リスが寄ってきて餌をねだるので、昨日の登山の携行食の残りのくるみを一つ投げると、何匹も集まって来ました。山小屋から次々に集合場所に来るツアーメンバーは何もすることが無いので、昨日の携行食の残りを地リスに投げて写真を撮影したりして遊んでいました。この時食堂のおばさんが現われて、食パンの切れ端を地リスに投げました。散々に贅沢な餌を食べた地リスは食いつきが良くないので、おばさんはさっさと食堂に戻ってしまいました。この日の地リスの朝食はご馳走にありつけたのだろうと思いました。
 
山小屋の広場には昨晩から六輪自動車が1台しか駐車していなかったので心配になりました。出発する少し前に川底を走って上ってきた、先日乗車したのとは違う会社の六輪自動車が広場に到着したので一安心しました。
カムチャッカに来て2日目、パラトゥンカ温泉郷からこの山小屋に移動した時の六輪自動車の2号車のメンバーが、この時到着した六輪自動車に乗り込みました。
車の作りは先日乗り込んだ六輪自動車と同じでしたが、椅子がリクライニングになっているのは良かったのですが、私の乗った右隣の座席は壊れていてビニールの紐で後ろに倒れないように固定してありました。最初この座席に座ったMMさんは乗り心地が悪いので通路を挟んだと反対側の席に移動してしまいました。この車は後ほど色々な欠陥があるのが露見してボロ車だというのが分かりました。軍用自動車にしては作りが雑という事を思い知らされることになりました。
この自動車には通訳としてユーリアさんに変わってアンナさんという、初日から通訳と登山を案内してくれているアンナさんとは別の若いアンナさんが乗り込みました。このアンナさんは昨日我々が登山している時にアメリカ人のツアーを先導していたという説明がKNさんからありました。私は話し言葉からドイツ語のように思えたのでドイツ人のツアーかと思ったのですが、KNさんはアメリカ人というのでそういうことにしておきました。
このアンナさんは英語の方が得意だと言っていて、後ほどのバチェカズェッツ山麓ハイキングの花の説明でも殆ど日本語を使う事は無かったようでした。結果から見ればツアーメンバーと一緒にハイキングに行っただけで何も説明はしていなかったようでした。昨日のアバチャ登山のロシア人の若い男7名もの登山ガイド同様、ツアー費用に余裕があったのか大勢の若いロシア人がぞろぞろとついてきたという印象しか残りませんでした。
六輪自動車が発車する前に、山小屋の主人らしい中年のロシア人が顔をだして意味不明のロシア語で挨拶をしているようでした、多分「又、来てくれ」というようなことだったろうと思いました。最後には手を振って外に出ました。車が動き出すと山小屋の一家が総出で並んでいて手を振っていました。もう再び来ることは無いだろうと思うと、2日間という短い滞在でしたがロシアの山小屋での貴重な体験をしたと思いました。小学生低学年くらいのロシア人の男の子の堪能な日本語が一番の驚きだったというお土産を持って帰りました。
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                      ( 雲に隠れたコリャーク山 )
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                      ( 雲に隠れたアバチャ山 )
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                       ( 朝食の肉の煮込み )
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             ( アバチャ山山小屋の食堂床下に巣くっている地リス )
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                            ( アバチャ山ベースキャンプ山小屋前 出発前の一時 )
夕食は少し遅れましたが、博物館からぞろぞろと10名ほどに減ったツアーメンバーがそのまま食堂に行きました。私は何時も席に座ろうとすると前には70歳位のお婆さんが座っていて、横には北海道から来たという20代の素朴な感じの若い女性が座りました。その若い女性は私を見るなり「女ばかりに囲まれましたが大丈夫ですか」と冗談まじりに言うと「ええ、平気ですよ」と私は笑って答えました。とっくに女の色気が失せた3人のお婆さんを女と言った若い女性の言い方が面白いと思いました。年配でも女は女という意識があったのかと、男と女の感じ方の違いを知ったように思いました。
この70歳位の女性が「私は山頂には行きませんでした」と言ったので「えっ、私と一緒だったら登れれましたよ、何せ登るのが一番遅いのですから」と言うと「いえ、足を悪くして歩けなくなったのですから降りました」という説明をしました。
「それで誰と一緒に降りたのですか」と質問すると「アンナさんと、もう一人の若いロシア人の男性と一緒でした。花の説明なんかを聞きながら下りて来ました」と言ってアバチャ山に登頂しなくても満足でしたという風に聞こえました。ツアー説明書には標高2000m地点からのフラワーハイキングも出来ますという風に書かれていたので、アバチャ登山ではないコースもちゃんとあったのだと確認が出来ました。
 
この時、温和な感じのする年配の女性から世間話を聞かせてもらいました。話は東京の下北沢に住んでいるというので始まりました。「ものごく便利な場所にお住まいですね」と私が言うと「ええ、もう戦前から住んでいますので住めているのですよ」から始まり、聞きもしないのに自叙伝が始まりました。借地だったのを地主から息子の家を建てるので返せと言われて半分だけ返して家を建てたこととか、家には自分を含めて女3人と弟夫婦が住んでいるそうで3人姉妹の内2人は嫁に行かず1人は出戻りだったとか、この家は3姉妹の内最後に残った人が処分することを決めているかということでした。話が終わると「麦酒を一杯」と言って美味そうに飲んでいました。この女性は3人の仲間と一緒にツアーに参加していたようですが、他の年配の女も面白い説明に引きずられて出てきたのは「私も夫を亡くして相続で色々と大変でした」というくらいで終わりでした。若い女性は人生訓を聞いているようにうなずいて聞いているだけでした。
 
そういう無駄話を聞いていると夕食が出てきました。この時STさんが「いくらが出ますので、ご飯に掛けて食べてください」という説明がありました。いくらはこの食堂で用意したものではなくて、STさんが一昨日市場で燻製の下見をした時に買いこんでこの食堂の冷蔵庫に保管していたものらしいと思いました。STさんはこの日の夕食の為にわざわざ日本から醤油・練りわさびに刻み海苔を持参してツアーメンバーに振舞ってくれたので、そういう気遣いが嬉しく感じました。いくらは塩漬けなので少しの醤油を掛けて醤油の風味にすると美味しく食べられました。いくらはキングサーモンのいくらで大粒でした。ご飯はぱらぱらでしたがこのいくらを掛けて食べるとカムチャッカのいくら丼になりました。
隣に座った若い女性がいくらをご飯に掛けたりしているのを見ていると、私から見ると汚い乗せ方をしているので若いから不器用なのか普段していないことをしているので上手くいかないのかと色々と考えさせられてしまいました。
私は麦酒を飲まないので食事が終わってもすることが無かったのですが、男の連中はスーパーで買い込んだ麦酒を飲めるのは今日までだと言って大声で笑いながら何時までも食事が終わる気配がありませんでした。皆登山した満足感で気分が楽になってぬるい麦酒でも余程美味しかったようでした。
 
この夕食時にユーリアさんと若いロシア人の男が今日で帰りますと挨拶をしました。ユーリアさんは登山する前から頭には日本語が書いてある赤い布をバンダナ風に巻いていたので髪型はまったく分かりませんでしたが、日本でいうおかっぱという髪型で年齢が若そうに見えました。中学校の先生と言われると、こういう髪型でもおかしくないのかと感じました。夏休みなのに学校の行事でもあるのか仕事があるので帰るという説明がありました。
若いロシア人の眼鏡を掛けた若い男性は普段は商社勤務と言う話をラクダ山に登山をした時にユーリアさんから通訳してもらって聞いていました。大学を卒業して間もないそうで、非常に真面目そうな若い男性に見えました。山好きなのでツアーの案内人として参加したということでした。
私は成田で買ったハンカチを日本のお土産としてユーリアさんに渡したいと思っていましたが、突然の帰宅話でしたので機会を逃してしまい残念に思いました。
 
午後8時半には夕食を終わり、山小屋に戻るついでに食堂に置いてある絵葉書を買いました。食堂の端で夕食を食べていた家族のうち小学生の低学年に見える男の子が絵葉書販売の担当らしく私の傍にきて「おつりが無いので五枚を買って下さい」と上手な日本語言いました。多分アンナさんがそういう文章を覚えこませたのかと思いました。絵葉書は米ドルでも買えると言うので、2枚の絵葉書を買って2ドルを男の子に渡してから食堂の外に出て山小屋に戻りました。
この日の夕方も曇りでコリャーク山は見えませんでしたがアバチャ山は何とか見えたので写真を撮影しましたが背景が雲なので冴えない写真でした。
山小屋に戻ると、今日は睡眠導入剤が無いと思いながらも、疲労が蓄積しているので難なく眠れるだろうと思って耳栓をしてアイマスクを目の上に当てて、STさんやMMさんが山小屋に戻る前には寝袋に入っていました。疲れがあって自然に眠りに入りました、そして夜中にも目が覚めることもなく深く眠り込んでしまいました。
翌日聞いた話では、隣の部屋の添乗員のSTさんの悩み事について随分と白熱した議論があり、ツアーメンバーの二人と話し声が大きくなったということを聞きました。「煩くて眠れなかったのでは・・・」と言う質問があったので「耳栓をして寝ていましたので何も聞こえませんでした」と答えると、期待していた答と違って落胆していました。私は「どんな話でしたか?」と質問すると「STさんに、添乗員なんか辞めてしまえという指導をしました」と説明されると、私は添乗員という仕事の一端をツアーの度に聞かされたりしていたので同感だと思ったのでした。
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                                          ( 山小屋とアバチャ山 )
アンナさんが花の説明をした時に少し異様な会話が聞こえて居合わせたツアーメンバー一同が凍りつきました。花の写真が標高別に整理されているパネルで花の名前を説明し始めると、ツアーメンバーの中の三十過ぎに見える夫婦の女が「あんた、花の名前書いている・・・」と後ろに突っ立てる眼鏡を掛け神経質そうで背の高い男に命令調で言ったので、その男は「うん」と言って手帳に米粒みたいな小さな字で書きとめていました。
この時に始めてこの二人の関係を知ったような気がしましたが、アバチャ登山も終わってツアーメンバーも気が楽になって話し声も高くなってくると、この二人の会話が聞こえてくるようになりました。それは私だけでなく他の人も同様に感じていたかも知れません。
翌日バチェカズェッツのハイキングに行く途中、六輪自動車の中で二人の会話を聞いていたMMさんが反応して「二人の会話を聞いていると恐いですね」と思わず口から出してしまいました。その女は「それでも今日は機嫌がいいのだよ」とか「優しくしているのだけどなぁ・・・」と弁解にも聞こえるように男が使う言葉で言い訳をしていました。
この女の口調は基本的に男口調なので、言っていることがきつい上に威圧的なので普通の人ならば相手にするのが恐くなるのでしょうが、夫らしい男は従順に従っているようでした。前日の夕食の自己紹介の時、この女の母親も一緒だったのが分かりました。カムチャッカに来る時の飛行機の座席は私の一列前に三人で座っていましたが、時々座席を右や左やと入れ替わっていたので何かあったのかと思っていましたが、この時の二人の関係を知ると分かってくるような気がしました。
この神経質そうな男が少し気になったので、以後山小屋のトイレに行った時などに出会って「こんにちは」と言うと大人しく挨拶をしていたので普通の男に思えました。私なんかとは正反対の性格で服従することで安心感を持てる人間なのかと思ってしまいました。
博物館では入口に一番近い動物のパネルを紹介してから、最後にジオラマの紹介を始めると午後7時になってしまったのでSTさんが「夕食は午後7時15分に遅らせます」と言って時間延長を宣言しました。それでもツアーメンバーが禿げ頭の館長らしい男に色々な質問をしているとあっという間に時間が過ぎてしまいました。
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ツアーメンバーが登山の帰りに山小屋の広場に向かっている時、博物館と呼ばれる建物の前を通った際に頭の禿げた男がアンナさんに挨拶を交わしていたので知り合いなのかと思ったのですが、それは勘違いでアンナさんに事前に呼び込みを依頼していたのを確認していたのだと後になって思いました。
10号と書かれた緑色の外壁の山小屋へ戻り、自分のベッドの上に腰掛けて残したジュース二個を一気に飲むと、渇水感が無くなっただけでなく、少しは気が晴れたような気がしました。ジュースを途中で飲みたいという欲望を2時間以上も持ち続けたせいか、それが満足させられるとほっとした気分になりました、取り付かれた何物からか開放されたような心持になったのでした。
山小屋の自分のベッドに座り、スパッツを外してビニール袋に入れると私の作業は終わりでした。MMさんやSTさんは下着を替えたりしていたのかしれませんでした。私はリュックサックに明日持って帰る荷物を全部詰め込んでから再び広場に行くと14・5人程のツアーメンバーが集まっていました。そこにいたのは女性が大半で、男性陣は登山後の麦酒を飲みたくて博物館を見るどころの騒ぎではなかったのか知れませんでした。
 
博物館と呼ばれる建物はこの山小屋群の一番奥手に作られた四角いユニットハウスのような建物で、他の建物同様丘の斜面にコンクリートブロックを置いて高さを調整して床を水平にしていました。建物の外側には博物館と書いてあるだろうと思われるロシア語の看板が壁にありました。
話を聞くと我々がこの博物館の始めての来訪者だというのも分かりました。入口は二重扉になっていたので冬場の対策も採られているのかなと思いました。建物は簡素な作りに見えましたが、扉だけは重厚で厚みがあったのも寒い国ならではのものかと思いました。
博物館と呼ばれる部屋は四角い十畳ほどの広さの部屋でした。部屋の中央にはアバチャ山を含む近辺の火山の位置関係が分かるジオラマ模型が透明なプラスチックケースに収納されて置いてありました。部屋の壁に火山の歴史や花の植生や動物の種類を解説したパネルがありました。又、部屋の隅には液晶テレビとパソコンが置いてあり、動画が見られるようになっていました。博物館というので「剥製がおいてあるのかな」と入館前に予想をした人もいましたが、全くそういう種類の物は無く説明用のロシア語で書かれたパネルがあるだけの部屋でした。
日本語通訳はアンナさんがしましたが、中々上手く意図が伝わらないようで苦労をしていました。辞書を見ながら説明する場面もありました。壁のパネルの説明を聞いていると時間があっという間に過ぎていきました。
説明は所長と呼ばれる禿げ頭の男と背の低い細身の若い男がしました。この若い男がアンナさんにきついロシア語で怒られながらあたふたしているのを見ると、アンナさんは日本語では優しそうな言葉遣いでしたが、本当はきつい性格なのかと思わせる時もありました。若いのに三歳の子供が一人いるというのですっかり肝が据わっているのかとも思いました。又、説明パネルはロシア語のみだったので余計に大変だったのかも知れません。せめて英語が併記してあれば少しは理解が進んだのかも知れないとツアーメンバーが異口同音に言っていました。
火山の話は日本でもよく聞く内容なので特別に驚くべきものではありませんでしたが、最近も噴火したことがあると聞くと活火山地帯であるというのを一層感ずることが出来ました。この付近の山は火山で造山されていて、長年の風雪により形が変わったなどという説明をしていました。
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                                   ( カムチャッカ博物館 )
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            (現地添乗員二人のアンナさんに、ロシアの若者)
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最後の休憩を10分ほどしてからラクダ山を右手に見ながら山を下って行きました。
途中で雪渓があり歩いている時に転倒して手を少し切って血が出てしまいました。雪の上の小石で切ったのかストックの柄で切ったのか分かりませんでしたが、最後の最後で転倒するとは何と情けないことかと自身を責めてしまいました。同時に、それ程注意力散漫さやバランスを保てない程に体が疲れていたことは間違いなかったと思いました。歩いていても軽い疲労感が体中に広がっていて、元気そうなKNさんが冗談めかして面白そうな話をするのも馬耳東風でした。
ラクダ山の横は冬にはスキー場になるという話をユーリアがしてくれました。この場所は夏は登山、冬はスキーという行楽地になっているというのを知りました。我々が宿泊している山小屋は冬にはスキー客が泊まるのかと思いました。
道がラクダ山の横に出てほぼ平坦になると、昨日通った避難小屋が見えました。昨日は避難小屋の前を通ってラクダ山に行ったのですが、今日は避難小屋の後ろから避難小屋の前に出て山小屋に繋がる道に出ました。
この時もKNさんは花の話をして、時々ユーリアさんに「知っているか?」と言うような質問をしたのですがユーリアさんはことごとく答えていました。KNさんとの会話でユーリアさんの花の知識は山のベテランガイドに負けないほどのものだと知りました。但し、花の名前でも地名由来のものがあって、北海道のxxxという町の名前から付けられたというような類のものは流石にユーリアさんも始めて聞いた話だろうと思いました。
避難小屋から山小屋に戻る道筋には2度積雪した川を渡るのですが、それ程の段差の無い川の斜面も辛く感じられて、最後の川の斜面ではユーリアは「これが最後の坂ですよ」と言ってツアーメンバーを励ましていました。
ツアーメンバーの中で変わった人がいて、積雪した川を渡る時にわざわざ人の通らない場所を歩こうとしていた人に向って、STさんが「雪の下が空洞かもしれません、危ないですよ」と注意をする場面もありましたが注意の効果はありませんでした。
山小屋には午後6時頃到着しました。広場に全員が集合して万歳三唱して解散しました。私は直ぐにでも山小屋に置いてきたジュースを飲みたくて堪りませんでしたが、STさんが「ここに博物館が出来たそうです。アンナさんが案内をしてくれるので午後6時15分に集合してください」という案内がありました。折角の案内なので来なくてはいけないのかなと思いましたし、夕食が午後7時なので時間に余裕があったので参加しようという気になりました。
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雪渓のある場所で15分ほど休憩した後はユーリアさんを先頭にして、足早にどんどんと下山しました。この先に大きな石がある断崖の横の細い道を歩いていると、昨年行った米国西部のアーチーズ国立公園のように思えました。この先の道は平坦な下り坂をどんどんと下りて時々雪渓を横断して行く道が続きました。
時々歩いた雪渓のある場所は頂上から見た時にホルスタインの体の様なまだら模様に見えた山麓の細長い雪の残る場所でした。雪渓の雪は踏むと少し押しつぶされるような状態なのでバランスに気をつける必要がありました。山頂に近い部分の雪渓は固くて歩くのも楽でしたが、標高の低い場所の雪渓になるほど雪が緩んでいるので足が雪にめり込んで滑りやすくなっていました。
下る道は下に行くほど小さな砂礫が堆積した尾根道でした。尾根道はザクザクと音を立てて下りるのですが、斜面になると砂走りになりました。
一番すごい砂走りの坂道では足を下ろすと1m以上もズッズッと落ちるので、まるでエレベータにでも乗っているような場所もありました、それが延々と続くので最初は面白いと感じても、そのうちに楽しいという感覚はなくなりいい加減にしてほしいという嫌気がさしてくる程でした。STさんは「最後までスパッツを外さないでください」と言っていた意味が良く分かりました。軽石の坂なのでスパッツの汚れは帰国後簡単に落とすことができました。日本の山の粘土質の汚れの方がしつこくて汚れを落とすのに苦労しているので、そういう苦労に比べると格段に楽でした。
こういう砂走りの坂道を下山するのがアバチャ山の下山であるというが良く理解できました。登頂した達成感があるので後は早く山小屋へ帰りたいという一心でしたが、行けども行けども稜線の坂と砂走りの坂が続いて飽きが来た上に疲れがあったので、山小屋までの距離が一層長く感じられました。
最後の坂はエレベータの様に感じるほど足を一歩下ろすと1mほども落ちていく様な砂走りでした、その先にラクダ山が眼下に見える平らな場所に出て最後の休憩をしました。
高山植物が生えている場所で、そういう植物を踏みつけないような場所は無く適当な岩を見つけて腰を下ろしました。KNさんが黄色の小さな花を見つけて花の名前を告げていましたが、冷たい風が強く吹く場所で花の周りに集まってくるのは数人でした。多分私だけでなく他の人も疲れて、そういう事には無頓着になっているような状態だったのだろうと思いました。
私は飲み残した最後のペットボトルの水を飲みましたが、喉はもっと水を欲しているように思えました。山小屋に置いてきたジュースを帰ったら直ぐに飲みたいと思いながら最後まで歩きました。
この頃には天気はどんどん悪くなってコリャーク山は完全に雲に隠れていました。昨日登った下の方に見えるラクダ山までは雲は降りてきていませんでしたので、昨日は見えなかったその面白い姿を眺めながら下山しました。
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山頂から最初の下りはロープの張ってある急坂でしたが、下るときは一歩進むとずるずると赤い砂混じりの砂利と一緒に4・50cmは落ちていくような降り方でした。ここで一度バランスを崩して体が後ろに倒れてしまいました。この急坂の下りが終わるとつづれ折れの坂道は少しは傾斜が緩やかになりました。歩くたびにズッズッと下に足が流される距離も数10cmになったので少し楽になりましたが、首から提げたカメラで風景を撮影をした後で、歩行に対する注意力が落ちていて時々後ろに転倒してしまいました。
標高2000mまでの下りは、1歩歩くと3歩くらい歩いた距離になるので歩く速度が速くなりました。登りで苦労した時とは歩く感触が全然違いました。下山した時間は登った時間の半分くらいでしたので、如何に砂走りで足が流される距離が長かったということが分かりました。下山は楽だったので休憩は3回でも十分というような感じでした。
帰りのルートは行きとは少し違いました。標高2000mの昼食を食べた岩場の場所の下にある雪渓の場所で最初休憩をしました。登頂は標高差750mを2時間以上かけて登ったのですが、下山は約1時間で下りられました。この差には驚くばかりでした。この場所からアバチャ山の黒々とした頂上を見上げると傾斜の急な山だというのが改めて感じられたのでした。
アバチャ山を下山する時は綺麗なコリャーク山を見ながら下りたのですが、我々のツアーメンバーの歩くアバチャ山の標高が下がるに連れて、雲が流れてきてコリャーク山はその端麗な姿を段々と消して行きました。ツアーの登山が終了したので、目の前のカーテンが閉じられた様に思えて、人知の及ばぬ自然現象の面白い営みを見た思いがしました。山小屋に到着した時には昨日同様コリャーク山とアバチャ山は雲にすっぽり包まれて見えなくなってしまっていました。
この雪渓のある場所で休憩した時にはペットボトルの水はほんの少ししかなく、全部飲みほしたい気分だったので押さえて、最後の休憩時に少し残しておきました。この時朝食時にもらったジュースを持参すればよかったと悔やまれて仕方がありませんでした。リュックサックの重さばかりが気になったのがよくないと思い知らされたのでした。
水を飲みたくなったのは、下山は楽だったので体を動かすことによる汗は殆ど出なかったのですが、天気が良く雲ひとつ無い空の太陽がぎらぎらと体を照らしていたこともあって喉が渇いたのだろうと思いました。休んでいた場所はくぼ地のような場所で風も無かったので、気温は高くはないのですが、直射日光で暑く感じられました。
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