男女雇用機会均等法の産みの親である赤松良子さんの著書。
『男女平等への長い列』
 
男女雇用機会均等法(均等法)が成立したのは1985年5月17日
施行されたのは1986年4月1日だ。
 
同法が施行されてから37年、
私たち女性が今、当たり前に手にしている権利は
先人たちの絶え間ない努力によってもたらされている。
 
私が社会人になったときには、
女性は2,3年で退職するのが当たり前だった。
しかも、名目は寿退職でなければならならない。
定年も男女で差をもうける会社が多かった。
男性上司が挨拶代わりに女性のお尻を叩くことも普通にあった。
 
男女雇用機会均等法が施行されたときの
ニュース番組の映像を今でも覚えている。
時はバブル全盛期。
 
肩パットの入った原色スーツに身を包み
5センチ以上のヒールを響かせて
オフィス街を闊歩する女性が画面に映し出される。
 
時代が変わる、そう思ったものの、
私の職場はさほど変わらなかった。
外泊をともなう出張は女性には認められないし、
女性の営業は得意先に敬遠された。
 
均等法施行は男女平等へのスタートラインだったんだろう。
その、スタートラインには大きな障害物があった。
それが、第3号被保険者制度だと私は思う。
 
均等法施行と同じ1986年に国民年金法が改正され、
任意加入だった専業主婦の年金が
強制加入となり、第3号被保険者という立場を与えられた。
 

それまで、国民年金は全ての国民を強制加入とする一方で

会社員の妻は、加入しなくても良かった。
国民年金保険料を納めて加入する意思を表明しない限り
自分自身の年金受給権はない。
老後は夫の年金を頼りにするしかない。
 
これが、第3号被保険者制度によって、
会社員の妻である限り、保険料の支払は免除される。
免除された期間は納付済みとして、年金額に反映される。
 
女性にも自分自身の年金受給権を与えた点で、
この制度は一定の意義はある。
安心して老齢期を迎えることができた女性も多くいるだろう。
 
しかし、この制度がなかったなら、
『年収の壁』『就労制限』などによって、
女性の能力にフタをするようなことはなかった。
 
結果、
均等法成立に反対する男性陣の思うツボとなったのではないか。
 
日本は未だ経済・政治部門で女性の進出が果たせていない。
活躍すべき能力は男性と同等に持っているのに。
 
どれだけ長い列であっても
並ばなければ番は回ってこない。
 
市川房江さん、緒方貞子さん、赤松良子さんのような方々は
特別な人。
誰もが彼女らのように優秀でパワフルになれるわけがない。
 
でも、
いまや、特別な人が作った列はいくつもの枝に分かれている。
その細い列の一本に私たち凡人も加わりましょう。
 
この先を楽しみに
次の世代に続くように
列に並んで前進しましょう。