こんばんは
みそしるです

今日は私の父のことを書きたいと思います。

乳やないですよ!父ですよ!
しかも
笑える要素は…ほぼないです!


笑えない覚悟が出来たなら…

続きをどうぞデレデレ



私の父を一言で表すなら…


 The 昭和の大阪

です。


とにかく破天荒。


若い頃、100万円を貯めて、それを1日で使い切るとか…

今ほど交通法が定まっていない頃には、

一般道でカーチェイスしたとか…


酒に溺れて

酒に飲まれて

酒で身を滅ぼした


といっても過言じゃないほど

酒を飲んでました。


そんな父との思い出は、山のようにあります。


家族旅行で海に行った時。

父と2人で散歩中、お腹が痛くなった私に

「魚のエサになるから、ここでやれ!」

とテトラポットに続く桟橋に連れていかれ、

拭くものに困った時、

「これで拭け!」と

近くにあったバーベキューの残骸から

カピカピに乾いたトウモロコシの芯を持ってきたこと。

めっちゃ痛くて泣きながら拭きました。


母の実家に帰省した際に2人で行った散歩中、

お腹が痛くなった父が道路沿いの溝で用を足した時、

「なんか拭けるもん探してこい!」と言われ、

近くにあった木の大きめの葉を何枚か持って行って、褒められたこと。



三人兄弟だった私。

母は出かける際、兄と弟を連れて行き、

私はいつも留守番。

それを見かねた父が私を色んなところに連れて行ってくれました。


大人になり、両親の離婚が父のせいではなかったと知った時、泣きながら父の元に駆け込んだこともありました。


そんな父が胃がんに侵され、医師からの余命宣告。

奇しくも私と同じ


余命半年

父と2人で行った祖父の眠るお墓の前で

私は父に医師からの余命宣告を伝えました。


泣きながら伝えた私に

父は

  よー我慢したな。辛かったなあ

と笑いながら私の頭を撫でてくれました。


日に日に弱っていく父。

身体中に黄疸が出て、痛々しい父。


一日外泊の許可をもらったと連絡があり、父の元に駆けつけた日。

父は笑いながら泥酔。

今でこそ、病気とたたかう不安から進むお酒があるのは理解出来るのですが、当時の私には

父自身が自分の死期を縮めるように呑む姿が腹立たしく映り、口論に。

  息子の気持ちもわからず呑みやがって…親父なんか、はよ死んでしまえ


親父と交わした最後の言葉。

今でも後悔しているこの言葉。


感謝の気持ちも伝えることが出来ず、

20年前の今日。

会議中に会社に電話があり、

会議を抜け出して駆けつけた時にはもう

親父は動かなくなっていました。




いっぱい泣きました。

今でも思い出しただけで涙が出ます。


でも、私自身、ガンを患い、父と同じ余命半年と宣告され、自分の死を実感したので思うのですが、

私は奇跡的に?幸いにも完治しましたが、

末期ガンと宣告された人は亡くなっている方が多いと思います。


故人を偲ぶ


という言葉がありますが、

 大事だった故人を忘れない

ことが

その人への最大の愛であり、供養であると

思います。


今晩は、父が好きだった

スーパードライを目の前に置いて、

父に乾杯しました。


出来ることなら親父に会いたい。

会って伝いたい。

俺はまだまだこっちに居るから待っててな

って。


余談ですが、私が余命宣告を受けた後、

父の墓前で父に

「まだ連れていかないで。」

とお願いしたことがありました。


先週、突然息子が

「親父、ごめんな。3日、休みたかったんやけど、どうしても出ないといけない会議があって休めなかった。代わりに4日休みとれたから、じいちゃんの命日から1日過ぎてしまうけど、墓参り行こう」

と。


嬉しかったですね。


明日、息子と2人で墓参りに行ってきます。


それでは。