こんにちは

みそしるです

 

この1週間とちょっと…

ブログを書く気にすらなれないくらいに落ち込んでいました。

 

11月22日(いい夫婦の日)

病気にならなければ、妻に逃げられることもなかったのかな…と

11月23日(いい兄さんの日)

弟が兄にありがとうのツイートしていました。

 

人の記憶はあいまいなものです。

いい記憶よりも悪い記憶を覚えていると言いますが、

それも断片的なもの。

 

私が弟をパシリのように扱っていたことで、

弟は私を嫌いになりました。

 

でも、パシリのように扱っていた時、私の兄もその横で同じようにしていた記憶は弟の中になく、長男はやさしい兄貴。の記憶に残ったのでしょう。

 

私が嫌な思いをさせたのは事実なので、そこは仕方ないのですが、

長男だけを思い、長男に向けたメッセージが心を砕きました。

 

母親、長男と同じように、

私を死んだものとして扱うんやね。と。

 

 

 

私自身がなんのために闘病しているのか、

後遺症で動かない手足を駆使して家事や仕事をしているのか。

 

私は生きててもいいんだろうか…

 

そんなことばかりを考えてると、

プラセボ効果も何もないのは本人が一番理解しているのですが、

そんなモヤモヤしている状態から抜け出せないまま、

あの日を迎えました。

 

あの日とは・・・

 

11月30日

もらったラブレター紹介状の病院での受信日。

 

9時半に受付とのことで、7時に起き、

シャワーを浴び、眉メイクをして診察に行く準備。

 

準備が終わった後、嫌な記憶がフラッシュバック

 

紹介状をもらって病院を回るたびに

どんどんよくないことを言われた記憶。

痛みを取りながら死になさいよって言われたかのような

緩和ケアへの紹介状の記憶

 

そのすべてを一人で聞き、独りで紹介状を受け取り、

帰り道に凹んだ記憶

 

心が壊れてしまいそうなほどの嫌悪感を抱き…

 

 

行きたくない

 

となってしまいました。

 

2年以上もの闘病中に診察を飛ばしたこともなく、

全てを自分で受け止めてきましたが、

今回、どうしても行きたくなくて、

診察をキャンセルしました。

 

初めて診察をキャンセルしたら・・・

もっとダークな気持ちに・・・

 

自分ではどうしようもないくらいにダークな気持ちに包まれていたので、

気分を一新しようと思い、先生に電話。

 

ついでに次の診察予約をしようと電話させてもらったのですが、

開口一番テンション高めの言葉で

 

先生「そうそう。みそしる君、今日あの方がお見えになりましたよ!」

 

あの方とは、私のブログを読んで、エッセンスを試してみたい。と

連絡をくれた方。

 

先生「骨転移と乳房への転移がなくなってるね!快方に向かってるよ!」

 

と。

 

 

 

 

 

おおおおおおおニヤニヤニヤニヤニヤニヤ

 

となり、テンション爆あがりしました上矢印上矢印上矢印

 

ひとつうれしいことがあると、

それまでのマイナスな考えが嘘のようになる私。

 

単純なんですよね酔っ払い

 

そのあがったテンションのまま、

キャンセルした診察を予約しなおしました。

 

次回受診日は、12月21日

 

それまでテンションあげまくりで頑張りますニヒヒニヒヒ

 

先生の受診日は明日。

明日、自分のデータを見てテンションをあげるのと、

明日は別で先生を紹介させていただいた方と情報交換に。

 

それでは。