重粒子線治療によって、ガンがなくなった私。
もちろん、重粒子線治療中はお酒も飲めず。。。
多分、20歳を超えてから1か月以上も禁酒したのは、
この期間以外に記憶ないです。
当時、寝酒もできず、火傷の痛みと不安で寝れないので、
かなり辛かったです。
なので、少しでも体にいいと言われるものは取り入れました。
人参はガンにいい。と聞くと、毎食人参を摂取し、
手が黄色くなり、「黄疸か???」と不安になり、
医師に聞くと、「カロチンの過剰摂取ですね」と言われたり
気持ちを落ち着かせるため、
会社の同僚がやってるって言ってたアロマも取り入れました。
ガンにいいと言われるアロマオイルとラベンダーオイルを
ブレンドして、毎日ディフューズしたり。
重粒子線治療後は、
ガン専門病院での毎週の診察と
重粒子線センターでの毎月の経過観察を行っていたのですが、
重粒子線センターでの検査時は、
「いい感じですね!」と言われるも、
ガン専門病院に行くと
「予後がよかった例はありませんから」と。
毎週、医師の一言に凹みながら、通院。
通院の日が嫌で嫌で仕方なかったですね
でも、行かないとどうしようもない
一度、ガン専門病院の主治医に不安で寝れないので、睡眠薬を出してほしいとお願いしたところ、
「うちは、ガン専門病院です。不安で寝れないのなら、心療内科に通って、そちらで処方してもらってください」と言われました。
一人で通院し、一人で食事を作り、掃除に洗濯。
親や兄弟は近くに住んでいたものの、彼らには彼らの生活があったので、
ほとんど顔を合わせることもなく。
夜テレビを見ていると泣けてきたり。
今思い返せば、誰かと苦しみを共有して、わかってほしかったんです。
当然、周りの人は、私ではないので理解できなかったでしょうけど…
でも1人だけ。
私の気持ちを理解して、励ましてくれる人がいました。
その人は、3歳年上の私の従弟。
彼もまた、すい臓がんで余命1か月と宣告されていました。
でもね。実はすい臓がんを発症したのは、13年前。
13年前に余命1か月と言われるも、今も生きているんです。
もちろん、いろんなところに転移を繰り返し、都度、手術をしたり。で
今も健常者とは言えない状態です。
その従弟が
「よー頑張ったなぁ。なんやお前、大変やなぁ」って、
笑うんですよ。
なんで笑えるのか聞いた時、返ってきた言葉が
「病気になったもんは、しゃーないやん。これからずっと病気と付き合っていかなあかん。こんなん、家族の誰に言っても理解できへんねんし、結局は当事者の俺しかわからんことやしな。いつ死ぬかもわからんけど、なんか、ガンに負けたら、悔しいやん?だから俺は絶対あきらめへんで」って。
強いなーと思ったし、
「ガンに負けたら、悔しいやん?」が腑に落ちました。
その日を境にだいぶ気持ちが楽になった気がします。
結局、自分なんですよね。
闘病するのも自分。仕事するのも、笑うのも、悲しいのも自分。
闘病してるけど、生きてるんだもん。
やれることはやろう、死ぬときに「やりきった。」って
誇れる自分で居ろう。
って思いましたね。
赤ワインのことを書こうと思っていたのに、
なんか自分の気持ちを長々と書いてしました
長くなったので、今回はこの辺で。
次回こそ、赤ワインでポリフェノール活動を書きます