とうとう母が、
昏睡状態となった日の事です。

お昼までは普通に過ごし、
日本舞踊のレッスンに向けて、
お復習もしていました。

私が洗濯物をほしていると、
もう完璧にこなしているので、
安心して任せられるとも言ってました。

昼食後に、
首の後ろが痛いと言っていて、

これが、重大なサインで、
この時に救急車を呼ばないと、
いけないくらい、
脳膿瘍が進行していたのに、

素人ではわからなかったんですよね。

後になって、サインがあったのに、
何で何でと、
何回も自分をせめました。

夕方には買い物にもついて来て、
私が作った夕食を、

ゆっくり、ゆっくり、
しんどいのに、
休憩しながら食べていました。

今思えば、
まともな母の最後の食事だったので、
私が作ったものなので、
しんどいのに無理して食べて、
くれたんだなぁって思います。

少し具合が悪そうでしたが、
翌日は母の脳外科の、
定期検診の日だったので、

電車で一時間ぐらいの病院で、
大阪では結構有名な、
脳外科の病院で、

私が連れて行き、
主治医の先生と、
母の様子がおかしい事を、
相談しようと思っていたのですが、

間に合いませんでした。

次の日は病院なので、
母をはやく寝かせてたのですが、

どうも私は、
気になって眠れなかったのに、
おこすと悪いと思い、
様子を見に行かなかったのが、
裏目になってしまいました。

後から、この事も、
何であの時、
様子を見に行かなかったのかと、
自分をせめました。

結局、
明け方に横で寝ていた父が気付き、

痙攣と鼻から大量出血していて、
意識がない状態で、

父はもう動転していて、

慌てて救急車を呼んで、

遠いですが、
救急車で通院予定の病院に、
運んでもらいました。

高速に乗って、
30分ぐらいでしたが、
ずっと痙攣していて、
鼻からの出血が止まらず、
母の心臓が止まるんではないかと、
病院までもつかと、
ひやひやしました。

病院について直ぐに、

覚悟して下さいと言われました。

脳膿瘍の大きさは、
画像で見せてもらいましたが、
かなり大きく、

40度の高熱もあり、
痙攣している中、
手術は危険だが、
しないと命にかかわるとの事で、

緊急手術で頭を開けたのに、
膿がまだ袋状で、
膿になりきれてなくて抜けず、

結局数日、
膿になるのを待つしかなく、

意識が戻らないまま、
集中治療室で、
急変しない事を、
祈るしかありませんでした。

医者からは、
怖い事ばかり言われ、

集中治療室なので、
1日2回、
それも5分ぐらいだけしか会えず、

危険な状態が続き、

8ヶ月という、
脳膿瘍との、
長い長い戦いがはじまったのです。