回顧録 社宅住まいだった頃 ② | みそらの日日是好日 ‪‪ᵕ̈* ニチニチコレコウジツᵕ̈*

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2020年春...
1998年生まれの長男は
東京で社会人に。
2000年生まれの長女は
うどん県で女子大生。
これから わたし時間を楽しむぞ!!(b`>▽<´)-bイエーイ☆゛






ブログのテーマ 社宅 



3ヶ月以上前に書いた記事…書きっ放しだったので 続きを書いてみようと思います。


⬆︎3/15に書いた 前記事です。


前記事では、おもに釧路時代
1997~1998年頃

新婚時代の風呂なし社宅、共同風呂にドン引きした内容でした。



今は取り壊されて無くなったそうですが、引き続き共同風呂の話しをしてみます。
1998.9~の話しです。

全く、需要が無さそうですが(笑)


自己満ブログということで。





共同風呂 は 普通の昔ながらの銭湯のような浴場でした。

結構な広さがありました。

15:00 ~ 22:00まで
木曜日が定休日です。

上の子が生まれて 2ヶ月くらいなると 沐浴はさすがにキツくなりました。

(3,560gで生まれ、4ヶ月検診の記録を見ると8,040gとなってます(笑)デカイです)



勇気を振り絞って、赤ちゃんを抱っこして
大荷物(1泊旅行並み)を抱えて行きました。


少しでも、綺麗なお風呂に入れてあげたくて 15:00 開店と同時に入れるように 行きましたよ。

15:00前から、会社のOB、OGの方々(おじいさん、おばあさん)が共同風呂の前で並んでいます。

懐かしい~~。

早い時間は、おじいさん、おばあさんの社交場的な感じでした。



なので、顔見知りになった、おばあちゃんたちには、とても、可愛がってもらえました。


ただ、番台のオバサンが2人交代で勤務されていたのですが、1人のオバサンは、とても意地の悪いオバサンで…


共同風呂の女湯には

ベビーベッドが 5台も並んでいました。


ベビーベッド5台が全部使用中になることも ザラでした。


当時、釧路の社宅は 子供がたくさんいました。
うちの息子 今年17歳になりますが、同級生は、相当いたなぁ~。

たった、17年前の話しよ(笑)
昭和じゃないよ。平成10年ね。


赤ちゃん連れのお母さんは
まず、赤ちゃんをベビーベッドに置いて、
大急ぎで、自分の入浴を済ませます。

めちゃくちゃ、素早くです。

その間は 赤ちゃんは お母さんが居ないことで、大泣きすることが ほとんど。

優しい番台のオバサンは、赤ちゃんを 見守ってくれて、あやしたり、抱っこしてくれたりします。

意地悪オバサンは、全く、赤ちゃんを見向きもせず、あやしたりすることはまずありません。

番台が意地悪オバサンの日は、
洗った気がしない感じで、猛スピードで入浴し、ダッシュで脱衣所のベビーベッドの赤ちゃんを抱いてもう一度 風呂場へ行き、赤ちゃんを入浴させました。











息子の共同風呂デビューから、数日経ったある日。


いつも顔なじみの優しいおばあちゃんが 一緒に湯船に浸かっていました。

息子は気持ちよくなってしまったらしく、湯船に う◯ちをしてしまいました。

わたしも、初めてのことで
慌てふためき、あわわあわわしていたら

その優しいおばあちゃんが、自分のタオルで う◯ちを上手にすくってくれたのです。

動転していたわたしは、謝るばかりで
何もできませんでした。

これは、忘れられないエピソード。
赤ちゃんあるあるかも。


あの、おばあちゃん 元気かなぁ~。




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画像はお借りしました。


①の記事と重複した内容になっちゃったかも(笑)

また、気が向いたら書きます。