ブログのテーマ 社宅
3ヶ月以上前に書いた記事…書きっ放しだったので 続きを書いてみようと思います。
⬆︎3/15に書いた 前記事です。
前記事では、おもに釧路時代
1997~1998年頃
新婚時代の風呂なし社宅、共同風呂にドン引きした内容でした。
今は取り壊されて無くなったそうですが、引き続き共同風呂の話しをしてみます。
1998.9~の話しです。
全く、需要が無さそうですが(笑)
自己満ブログということで。
共同風呂 は 普通の昔ながらの銭湯のような浴場でした。
結構な広さがありました。
15:00 ~ 22:00まで
木曜日が定休日です。
上の子が生まれて 2ヶ月くらいなると 沐浴はさすがにキツくなりました。
(3,560gで生まれ、4ヶ月検診の記録を見ると8,040gとなってます(笑)デカイです)
勇気を振り絞って、赤ちゃんを抱っこして
大荷物(1泊旅行並み)を抱えて行きました。
少しでも、綺麗なお風呂に入れてあげたくて 15:00 開店と同時に入れるように 行きましたよ。
15:00前から、会社のOB、OGの方々(おじいさん、おばあさん)が共同風呂の前で並んでいます。
懐かしい~~。
早い時間は、おじいさん、おばあさんの社交場的な感じでした。
なので、顔見知りになった、おばあちゃんたちには、とても、可愛がってもらえました。
ただ、番台のオバサンが2人交代で勤務されていたのですが、1人のオバサンは、とても意地の悪いオバサンで…
共同風呂の女湯には
ベビーベッドが 5台も並んでいました。
ベビーベッド5台が全部使用中になることも ザラでした。
当時、釧路の社宅は 子供がたくさんいました。
うちの息子 今年17歳になりますが、同級生は、相当いたなぁ~。
たった、17年前の話しよ(笑)
昭和じゃないよ。平成10年ね。
赤ちゃん連れのお母さんは
まず、赤ちゃんをベビーベッドに置いて、
大急ぎで、自分の入浴を済ませます。
めちゃくちゃ、素早くです。
その間は 赤ちゃんは お母さんが居ないことで、大泣きすることが ほとんど。
優しい番台のオバサンは、赤ちゃんを 見守ってくれて、あやしたり、抱っこしてくれたりします。
意地悪オバサンは、全く、赤ちゃんを見向きもせず、あやしたりすることはまずありません。
番台が意地悪オバサンの日は、
洗った気がしない感じで、猛スピードで入浴し、ダッシュで脱衣所のベビーベッドの赤ちゃんを抱いてもう一度 風呂場へ行き、赤ちゃんを入浴させました。
息子の共同風呂デビューから、数日経ったある日。
いつも顔なじみの優しいおばあちゃんが 一緒に湯船に浸かっていました。
息子は気持ちよくなってしまったらしく、湯船に う◯ちをしてしまいました。
わたしも、初めてのことで
慌てふためき、あわわあわわしていたら
その優しいおばあちゃんが、自分のタオルで う◯ちを上手にすくってくれたのです。
動転していたわたしは、謝るばかりで
何もできませんでした。
これは、忘れられないエピソード。
赤ちゃんあるあるかも。
あの、おばあちゃん 元気かなぁ~。
また、気が向いたら書きます。