明日4月14日は、母方の祖母の命日です。
亡くなったのは、母が中学三年の春
一番下の叔母は小学校に上がりたての一年生でした。
その祖母の妹、大叔母が91歳の生涯を閉じたという訃報を聞いたのは、今年3月始めのことでした。
大叔母は、幼いころから私の憧れの女性でした。
亡くなったのは、母が中学三年の春
一番下の叔母は小学校に上がりたての一年生でした。
その祖母の妹、大叔母が91歳の生涯を閉じたという訃報を聞いたのは、今年3月始めのことでした。
大叔母は、幼いころから私の憧れの女性でした。
女学校を出れば代用教員になれた時代に、
師範学校を出た才色兼備の女性でした。
祖母と大叔母たちは代々、
山形のとある分教場の教員をした家に生まれましたが、
遠縁にあたる農家の跡を継ぐために、
祖母は嫁いできたのです。
東京の工場で働いていて
警察官との結婚が決まりかけていたそうですが
祖母の姉がお産で赤ん坊と共に亡くなり
新たな跡継ぎにと。
昔は家を絶やさない、家を継ぐ時代
電化製品もコンビニもない時代の家事や育児
機械化されない農作業も、
祖母にとってどれほど大変だったか知れません。
手助けしてくれる姑さえいなかったため、
1人で無理に無理を重ね、体を壊して
母たち四姉妹を残して早世してしまったのでした。
その後母たち4姉妹は、
気の強い継母による言語道断な凄まじい虐待の日々。
苦労などという言葉では言い表せない、悲惨な年月。
そんな母たちの、心の支えは大叔母でした。
そんな母たちの、心の支えは大叔母でした。
優しく聡明なばかりか、明るくお茶目な一面もあり、
私は、本当の祖母もこんな人だったのかなと、思い描いていました。
そんな懐かしい大叔母が、教員時代に住んでいた同じ土地に、
奇しくも長女が四月から住むことになり、
不思議な縁を感じています。
第一志望は
第一志望は
私立の六年かかるところだったのですが、
残念ながら不合格。
同じく私立の四年のところも、いくつか落ち、1つだけ補欠の状態。
センター試験の自己採点では、A判定だったので、なぜこんなに不合格なのか、落ち込みました。
あとで分かったことですが、
高校卒業でなく、高卒認定試験でのセンター試験利用入試は、適用されなかったための不合格だったのですが。
こういう時、個人での入試は不利ですね。
手続きすべて自分でやらなければならず、
高校のように進路指導専門の先生がいないのは、大変です。
そんな経緯もあり、国立の前期試験の数日前までは、受験するかどうかも定かではなかった大学です。
入学が決まったのは、大叔母の訃報を聞いた数日後でした。
3月半ばに大学生協からの紹介で借りた長女のアパートの地名は、
3月半ばに大学生協からの紹介で借りた長女のアパートの地名は、
かつて大叔母からの手紙で見慣れた、懐かしい地名でした。
長女の新たな門出を、祖母や大叔母が祝い、
長女の新たな門出を、祖母や大叔母が祝い、
守ってくれているかのようで、不思議な偶然に涙がこぼれました。
4月5日の長女の入学式、
案内書類によればその大学の前身となった学校の1つが、その昔大叔母の通った師範学校だとのこと。
海老茶の袴姿も凛々しく通ったであろう、大叔母の面影を忍んで、しみじみ感慨深い式でした。