出来上がってしまったので、
いまからどうしようもないが。
育てたように、育ったんだなぁ。
息子が1歳頃
オムツ外しののために、
育てたように、育ったんだなぁ。
息子が1歳頃
オムツ外しののために、
トイレを可愛くしたくて、
カラフルな平仮名ポスターを貼ったのだが、
4歳近くまで、オムツは取れず(;´д`)
面倒くさがりの母親は、
4歳近くまで、オムツは取れず(;´д`)
面倒くさがりの母親は、
余程のことが無い限り
「取れないオムツは無い」
と、どこかで聞いたような?
と、どこかで聞いたような?
聞かないようなことを言い、ごまかす。
2歳頃から、
平仮名ポスターを見て
勝手に文字を書くようになった。
わからない字があっても、
妹の世話が忙しい母親は、
わからない字があっても、
妹の世話が忙しい母親は、
めったに教えてくれないので、
自分でトイレに行って、
見て覚えてきて、
似ている変な文字を書いていた。
3歳のとき、
3歳のとき、
字を書けることがうれしくて、
七夕の短冊を書いていたので
「はらたいらに さんぜんてん」
と書くように教えた。
私が考えたわけじゃなく、
「はらたいらに さんぜんてん」
と書くように教えた。
私が考えたわけじゃなく、
その時読んでいたエッセイに書いてあったので、真似しただけだ。(私は悪くない)
集団で歌ったりする、
集団で歌ったりする、
音楽教室に通ったのは数ヶ月。
下の妹が生まれる時だったので、
やめて引っ越し。
他には何も習わず。
習いたくないと言うので、無理強いせず。
幼稚園のとき、本人の希望で
ボディペイントしたり、
他には何も習わず。
習いたくないと言うので、無理強いせず。
幼稚園のとき、本人の希望で
ボディペイントしたり、
家に入りきれないような制作をする、
絵画造形教室に通った。
通わせたというより、
通わせたというより、
幼稚園にそのまま残ればよかった。
そこで変な本を作って、
妹と二人で賞をもらった。
思えばこれが、初めての著作物?
当時、オモチャ屋さんになりたい、
思えばこれが、初めての著作物?
当時、オモチャ屋さんになりたい、
と言ったので、
オモチャ屋は、
オモチャ屋は、
遊んでいたらご飯も食べられないよ、
売るためのオモチャを仕入れるとき、
お金がかかるのに、
売れなかったらどうするの?
損するだけだよ。
などと、社会の厳しさを
などと、社会の厳しさを
4歳児に語ってやる、変人の母親に、
オモチャ屋の夢を打ち砕かれる。
子供を寝かせるために、絵本ではなく、
子供を寝かせるために、絵本ではなく、
自分が読みたい文庫本を、
適当に子供に分かる言葉に直して、
読み聞かせては、自分が先に爆睡する母親。
絵本を読んで、と頼んでも、
絵本を読んで、と頼んでも、
読みたい本は、
自分で文字を読めるようになれば、
いくらでも読めるから、
というヒドイ母親なので。
本を読めるようになるのが、異常に早く
本を読めるようになるのが、異常に早く
幼稚園児なのに、
母親の育児マンガを読んで笑っていた。
母親が変なので、
母親が変なので、
妹たち二人には絵本を読んでやる
心優しき兄になった。
小学生のとき、学校でみんなで
小学生のとき、学校でみんなで
「おーいお茶」の俳句を作り、賞をもらう。
ある日、
ある日、
ヤカンを貸してくれと言うので、
火事や火傷に気をつけてと、
注意して貸したのだが
コイルをグルグル巻いてヤカンに入れ、
イヤホンで聞く小さいラジオに繋いで、
ヤカンをスピーカーにしてしまった!
黒豚よりも、もっと美味しい豚を作る、
黒豚よりも、もっと美味しい豚を作る、
と言っていた。
この頃は、理系が得意なのかと思っていた。
中学では、ひどいイジメにあって、
この頃は、理系が得意なのかと思っていた。
中学では、ひどいイジメにあって、
筆箱をトイレに流されたり、
首に火傷をさせられたりしたようだ。
上履きを、無くしてしまったのも、
たぶん嫌がらせ。
運動が苦手で、部活では万年補欠でも、
嫌がらずに裏方を引き受けていた。
よく耐えて、頑張ったと誉めてやりたい。
辛抱強くて、根性あるやつなので、
生きててくれて本当によかった。
助けてやれなくて、
不甲斐ない母親だったな。
中学3年のとき、
中学3年のとき、
読書感想発表作文で賞をもらい、
県教育委員会のホームページで、
作文を読む息子の動画が流れた。
高校生になって、
高校生になって、
それまでの田舎の公立中学と違い、
テスト順位が3ケタになり、
本人は相当ショックを受けていたが、
真ん中より上ならいい方なのにと、
のんきな母親は思っていた。
初めてのテスト順位を見た父親から
「3年生までに10番以内に入れよ」
と言われて怯えつつ、必死で頑張る。
そんなに頑張らなくてもいいから、
初めてのテスト順位を見た父親から
「3年生までに10番以内に入れよ」
と言われて怯えつつ、必死で頑張る。
そんなに頑張らなくてもいいから、
寝ろ!といつも言っていたのに、
なかなか寝ないで、
本当に勉強なんかしている、
かなりの頑張り屋だった。
文芸部と新聞委員会の活動は、
文芸部と新聞委員会の活動は、
向いていると思った。
新聞は、文芸部とは違い、
自分の書きたいことを書くわけではない。
取材してその記事を書くというのは、
すごくいい経験だったと思う。
後に、新聞部としても賞をいただき、
朝日新聞本社で表彰された。
卒業式にも、賞を頂いた。
高校1年生の頃、
チラシの裏の白いところに、
初めて作ったらしい短歌を書いて、
私に見せてくれたことがある。
本人は覚えていないだろうが。
偏屈な母親のダメ出しに、
本人は覚えていないだろうが。
偏屈な母親のダメ出しに、
二度と見せてくれなくなった。
ダメ出しはしたかも知れないが、
ダメ出しはしたかも知れないが、
実はすごい原石だと思ったのだがな。
まず、古文習いたての頃だから、
まず、古文習いたての頃だから、
古文の文法が間違っていた。
それを赤ペンで直され、
誉められもせず、がっかりしたのだろう。
「うれしい」
「うれしい」
「かなしい」
「きれいだ」
こんな、誰でも分かる、
こんな、誰でも分かる、
ありきたりな言葉を使うのは、
バカか天才だけだ。
(母の個人的な好みで、事実ではありません)
うれしい、って言葉を使わずに、
うれしい様子が伝わるように書くんだ。
かなしいって言葉を使わずに、
かなしいって言葉を使わずに、
悲しみが伝わるように書くんだ。
「みちのくの母の命を一目見ん、一目見ん」
「みちのくの母の命を一目見ん、一目見ん」
って言うことで、
お母さんに会いたい気持ちを表すんだよ。
「咳をしても1人」
これだけで、寂しさが伝わるだろう。
誰も書かない自分だけの言葉で、
「咳をしても1人」
これだけで、寂しさが伝わるだろう。
誰も書かない自分だけの言葉で、
表現してみろよ。
なーんて、言った気がする。
誉めてもいいくらい、
なーんて、言った気がする。
誉めてもいいくらい、
センスのある短歌を書いていたんだから、
誉めればのかったのにね。
芭蕉くらいの才能があれば
「しずか」ってストレートな言葉を使っていても、
「岩にしみいる蝉の声」
って、うるさい蝉の声を持ってきて、
対比させる技で、静かな様子を際立たせる、
そのくらいのテクニックがなければ、
芭蕉くらいの才能があれば
「しずか」ってストレートな言葉を使っていても、
「岩にしみいる蝉の声」
って、うるさい蝉の声を持ってきて、
対比させる技で、静かな様子を際立たせる、
そのくらいのテクニックがなければ、
使うな、
なーんて初心者に私の好みを押し付けた。
自分が書けるわけでもないのに、
自分が書けるわけでもないのに、
偉そうにダメ出ししちゃったんだよね。
覚えてないだろうけどさ。
悔しかっただろう。
誉めてあげればよかったんだろうか?
母は残念ながら、
覚えてないだろうけどさ。
悔しかっただろう。
誉めてあげればよかったんだろうか?
母は残念ながら、
そういうキャラじゃないんだもん。
翌年、短歌と、俳句で
翌年、短歌と、俳句で
ローカルな賞をいただいた。
大きい封筒の郵便の出し方もわからないやつで、
しかも、締め切り間近かなのに、
大きい封筒の郵便の出し方もわからないやつで、
しかも、締め切り間近かなのに、
修学旅行に行くからと、私が出してやった。
だからもらえた賞だ。感謝しろよ、なんて。
もっと誉めてあげればよかったんだろうか?
私って、そういうキャラじゃないんだもん。
高校卒業の頃には、
父親に言われた目標をクリアして
「母ちゃん、努力は人を裏切んねぇんだな」
と言われた。
なるべく楽な方へ楽な方へと生きてきた私。
その息子なのに、全然違うので、びっくりする。
高校1年の夏、
高校1年の夏、
宿題が出来なくて死のうとして、
線路に横たわったのを知っていたから、
ほーらね、死ななくてよかったべ、
とだけ言ったのだった。
(田舎すぎて昼間は滅多に電車が来なかった)
普通には育たなかったかも知れないが
育てたように子は育ったなぁと、思う。
27年前、かなり危険だったけど
(田舎すぎて昼間は滅多に電車が来なかった)
普通には育たなかったかも知れないが
育てたように子は育ったなぁと、思う。
27年前、かなり危険だったけど
無事に生まれてきてくれて、ありがとう。
こんな母ちゃんで、ごめんな。
お誕生日、おめでとう。
こんな母ちゃんで、ごめんな。
お誕生日、おめでとう。