俺の本棚~面白いッ書 第689回

令和6年7月26日

四日連続の真夏日、室内温度は、最高31.5度である。 午後7時を過ぎても29.6度もあった。 翌日は30.3度、勿論、9階の部屋6枚の窓は全て開け放している。 戸建ての方々は正に連日の熱帯夜であろう。 我が家は夜になっても窓を開けたままカーテンをするので風は適当に吹き込んでくる。 流石に戸建ての方は、窓を開けたまま寝れないだろう、と思う。 

・・・名古屋場所、二日続けて大村昆がいた、黄色のポロシャツ、翌日はピンクである。 今の住まいが名古屋なんだろうと思う。 それにしても桟敷席15日間連続の、前回紹介した3人は桟敷席料金や着付けや髪結いを含めて、一体どのくらいの経費がかかっているんだろう、と感嘆する。

 

 

PGAは久常涼だけ。 LPGAはカナダで5人。 渋野日向子、勝みなみ、吉田優利、西郷真央、西村優奈。 ・・・男女とも予選一日目の成績はあまりよく無い。 さて、何人予選通過するか?

日本は男女とも試合無し。

 

 

堂場瞬一「罪の年輪」(書き下ろし文庫)

岩倉剛・55才は、警視庁の捜査一課から所轄署への移動を認められてから、南太田署、立川中央署と異動になって早や7年になる。 捜査一課時代の後輩で今や理事官に出世した、二つ年下の上司・宮下真が警視庁に呼び出しもせずに、自ら立川中央署に訪ねて来た。 どうせイイ話ではあるまい。 →実は捜査一課・石本課長の名代です、ガンさん、捜査一課に戻ってくれませんか? 所轄にず~ッと置いておくのは捜査一課の損失です、もう、面倒な事はありませんし・・・ 石本課長は、岩倉が一課にいた頃の管理官で、去年の秋に捜査一課長に就任したばかりである。 この4月に法改正があって、定年が段階的に引き上げられ、岩倉の年代は65才となるのだった。 →だからアト10年、捜査一課に戻り、その類い稀な才能で捜査一課の若手刑事を育成して欲しいのです。  数年前に離婚した、脳科学者で大学教授の元妻、会いたい時に会う、娘の大学三年生の千夏、最近できた恋人の実里は舞台女優、岩倉は自由な独り身を謳歌していたのである。 →課長はちょっと天狗になってるし、自分の在任中に起きた事件は一切取りこぼしさせない、と豪語しているので下の者には物凄いプレッシャーです。 だから俺は60才で辞めて山形の実家の老舗料理屋を継ごうかと思っているんです、山形の政財界のお偉方が良く使ってくれる店で、夜の県議会とか、夜の商工会議所とか言われていて、地方の政治・経済をスムーズに運営する為の必要な場ですから。 →石本課長は、ガンさんの為の新しいポストを用意する、例えば指導官みたいな、とまで言ってます。

 

考える時間をもらって、宮下理事官と別れて数分後、交番勤務から刑事課に上って来たばかりの一番歳若い戸澤刑事から、→殺しです、どこですか? 直ぐお迎えに行きます、と忙しない口調である。 3分後に来た戸澤の下手糞な運転は、急停止と急発車の連続で、岩倉の神経系にダメージを与えてすっかり酔ってしまった。 金毘羅橋から急斜面を下りて、玉川上水の河川敷にブルーシートを掛けられた遺体があった。 遺体に手を合わせて注意深く見ると、白いポロシャツの胸から腹にかけて大量の出血がある、その血痕が数か所に飛び散っている、年令は80才? まさか90才? と思う程の高齢相であった。 戸澤が、→被害者は小村春吉さん、財布に保険証と診察券が入っていました、87才、立川市若葉町在住です、ここから結構離れていますから歩いてこれる距離じゃありません、と岩倉に報告する。 そこに刑事課長の末永がやって来た、→今、被害者の自宅に他の刑事を向わせていますが、ここが殺人現場ですかね、よそから運んだとしたらいろいろなところで目撃される可能生がありますから死体の遺棄場所としては雑過ぎます、と言うのに、岩倉も全く同感であるが、戸澤はイチイチ必死にメモっている。 若い刑事を教育するには、こういう事も入っているのだろうか、俺には出来ないナ、と本気で心配になった。

 

戸澤と二人で近所の聞き込みに入るが目立った情報は無かった。 しかし、遅くなった時間にようやく有力情報があった。 被害者の小村春吉は、元小学校教諭で自宅を解放して「小村塾」なる無料で勉強を教えていたという。 20年ほど前に教え子だったという主婦の友野美優は、→結構厳しい先生で、無料でしたが、親はお中元とかお歳暮とかを送っていたようです、二年前に奥さんが亡くなられてそれで塾を畳んだ筈です。 この主婦からはアトで何回も聴取出来そうだ、と質問を打ち切った。 小村さんの自宅に向かうと、中年の長男・照英さんが青褪めた顔で立川中央署の刑事と立ち話中だったが、岩倉に代わって貰った。 →母親が無くなって急にガックリ来て施設に入れました、横浜の私の自宅で同居しないかと勧めたんですが、慣れないところは嫌だ、と意固地になって・・・、少し足も弱くなっていたので、ウエルネス立川中央に入れました、私は59才・ホテルマンなので介護も充分に出来ませんから・・・、という事情だった。 アトを中央署の刑事に任せ、施設を訪問することにした。

 

ウエルネス立川中央は広い敷地に建つ二階建だった。 園長と管理部長の名刺を持った女性二人が対応してくれた。 豊かな白髪の園長先生が、→今朝から小村さんがいないのに気付いて捜していました、夕方までに見付からなければ警察に届けようと話していたところです、亡くなったって本当ですか?と不安げである。 小村はスマホを持っていたが部屋には見当たらない、と言う。 遺体傍にも無かったから犯人が持ち去った可能性が高い、園長から番号を聞き出してスマホの追跡をするよう、戸澤に指示したが、コイツは指示されるまで理解出来ないのか、と暗澹とした。 小村は膝が悪くて毎日リハビリに精を出し、施設の大きなお風呂で汗を流すのが一番の楽しみだと言っていた、トラブルは何も無かった、院内では車椅子で動く事が多かった、今まで一人も勝手に夜中に外に出た人はいない、小村さんは当直の目を盗んで裏口の鍵を開けて抜け出した、としか考えられない、と園長は言う。 誰かに呼び出されて秘かに抜け出して、殺害されたのか? 岩倉は憮然とした。

 

夜8時からの捜査会議に石本課長が出席して、激を飛ばす。 意外に張り切っているナ、と誰もが思う。 岩倉は情報を箇条書きにした。 ①午後6時、夕食。10時、12時、2時の巡回時に就寝中を確認。 朝6時の巡回で部屋に居なかった。 ②その後、施設内、近所を捜索するも見付からず、遺体発見の一報が入った、直後、岩倉が到着。 ③施設内では松葉杖だが、外へ出る時は車椅子を使用、但し、介助人が必要。 ③遺体の所持品は財布のみ、保険証と診察券が入っていたがスマホはない。 外へ車椅子で出た時に誰かがいたのか? 介助したのは誰か? 車椅子は見付かっていない。 スマホの電源は切られているか、処分されたのか、追跡は出来ていない。 まるで手懸りが少ない、こりゃ、難儀するナ、とイヤな予感がした。 石本課長が、→ガンさん、と大きな声で近寄ってくる。 幹部席の更に奥まったところで、→宮下の話、聞いてくれたよナ、ガンさんを新しい戦力として考えているんだ、アンタの記憶力を駆使して第一線で捜査してもらう、その間、若手にノウハウを伝授して欲しい、岩倉塾と言う名前も考えている、と矢継ぎ早やの攻勢である。 同じく、時間を下さい、と頭を下げた。

 

小村の葬儀に戸澤と二人で出かけた、もしかして犯人も来るかも知れない、不審者を見付けるのが仕事だ。 教え子たちが随分多くて150人程が参加していた。 教師を退任してから随分経つのに余程評判のイイ先生だったらしい。 教え子二人にいろいろ尋ねたが、先生に殺意を持っているほど憎んでいる人がいる訳がない、と怒りの表情で断言されてしまった。 ・・・事件が長引くと交代で休みとなる。 岩倉の休みは土曜日、都心の実家に住む恋人の実里に電話を掛けると、嬉しい事にこちらに向かっている途中だと言う。 →母が転倒して右の脛を骨折したの、大騒ぎして入院したから今日はガンさんに慰めてもらいたくて・・・、と大歓迎の理由だった。 夕食は軽くお酒を吞んで蕎麦で〆て・・・という実里の希望通りにした。 辛口の酒を徳利で数本、〆は鴨南蛮だった。 実里は日曜日も泊まって行った、岩倉は出番だったが実里は気にせず、兎に角寝かせて、と睡眠充分に月曜日の朝を迎えて、スッキリした顔で帰って行った。 久し振りの情交にも満足したのだろう。 

 

朝出勤すると捜査本部がざわついている。 末永課長が、→今朝7時過ぎ、署の当直に電話で自首して来たので今、連行して来ます。  犯人だと名乗った男は、三嶋輝政・87才、小村と昔からの知り合い、立川市内在住。 →ガンさん、9時の捜査会議の始まる前に事情聴取して下さい、と末永課長が言う。 岩倉の過去最高歳の被害者と容疑者である。 犯人しか知り得ない事実がいくら出てくるか? 62㎏の小村さんをどうやって遺体遺棄したか?と訊くと、→フェンスにグッと押し上げて更に押して向こうに転がしたら、シャツの背中が破れた、死体は流れてどこかへ行くだろうと思った、多摩川は遠いし、車の運転も最近は面倒になっていた、と淡々と自白する。 確かにシャツは30cmほど破けていたから、犯人しか知り得ない事実であった。 岩倉は午前中いっぱい掛けて話を引き出し、別班はその間、三嶋の軽自動車から血痕を発見し、小村さんの血液型と一致した。 自宅捜索もしており、新たな証拠も出てくるだろう。 しかし、三嶋は頑なに殺害動機を言わない。 →言えないものは言えないんだ、いくら60年前からの知り合いだと言っても・・・と、慌てて口を噤んだ。 午後1時、岩倉は逮捕を宣言した。

 

その後の取り調べは捜査一課の浜田にバトンタッチした。 動機について訊いたら急に態度が頑なになって話さない、小村さんと60年以上前からの知り合いだと言ってる、と言う引継ぎをして置いた。 岩倉は60年前に何があったか、記憶を探ると、66年前に砂川事件があった。 米軍立川基地の拡充に反対した農民や学生が闘争を始めて、デモ隊の一部が基地内に立ち入った。 学生ら23人が検挙され、7人が起訴された事件である。 直、調べると、三嶋はその時逮捕されたが不起訴になっていた。 小村さんも闘争に参加していた可能性がある。 古い事を調べる事が山積みだった。

 

横浜の小村照英(息子)を訪ねて砂川闘争の関りを訊き出したが、学生運動のような事は結構嫌っていた、という。 教員時代の同僚、大崎彦一の名を訊き出して中延駅近くの自宅を捜した。 6階建てのマンション、その最上階にその名前があった。 →警察です、以前同僚だった小村春吉さんが殺されました、その件でお話を・・・と、お願いすると、驚いた相手がオートロックを解除してくれた。 このマンションの土地は親譲りで、そこにマンションを建てて、悠々自適な生活らしい。 今は新聞も辞めたし、テレビも滅多に見ないから、小村が殺された事は知らなかった、と20畳くらいの広さの居間で話し始めた。 確か、施設に入っていた筈、今は年賀状のやり取りだけで、殆ど会った事も無い、あの小さい葉書が真っ黒に成る程、近況を書いてくる奴だった、と言う。 逮捕された三嶋輝政のスマホを見てもらったが、顔も見たことが無いし、名前も知らない、と言う。 小村は学生運動にも極めて批判的で、彼が砂川闘争に参加していたなんて事は絶対ない!と言い切った。

(三嶋が動機を自白しないのは、娘一家を守る為だった。 岩倉の機転で、小村の犯罪に関わる証拠が自宅の畳の裏に貼り付けられていたし、施設の私物の中にも発見された。 60年以上前の罪がまたぶり返されるかも知れない、それを恐れた三嶋の犯行だった)

 

(ここ迄、約4,900字)

 

令和6年(2024)7月26日(金)