令和6年6月29日
俺の本棚~面白いッ書 第683回
昨年9月に図書館に申し込んでいた単行本、楡周平「限界国家」が、やっと9ヶ月で手元に届いた。 人気作家とは言え、これだけ待たされると、えい、買っちゃうか!と待つ根気が崩壊しそうである。 それだけ、図書館が親しまれているのだろうが、やはり、書き下ろしや三年遅れの文庫本が年金者には相応しい。 ・・・少子高齢化が招く絶望的な未来、政治・経済界を牛耳る高齢者達はそのツケをこれからの若者に先送りした。 すぐそこに見える、人口が一億人を割ると国内需要が大幅に減退し、自国経済が崩壊する。 自動運転技術が確立すると、バスやタクシーのドライバー及び整備等々の周辺事業者も失職する。 労働から解放する為の新技術とは、固定費の最も高い人件費を省くことであり、結局は失職者を増大させる事なのか? 出生率の低下は、周辺国で最も低いのは韓国の0.7、そして一人ッ子政策の長かった中国の1.0、日本は1.2で次の順位であることが少しの慰めになったが・・・。 兎に角、重い溜息しか出ない小説だった。
PGAは久常涼だけ。 ・・・カットラインをギリギリで予選通過。
LPGAはダブルスで、渋野日向子、笹生優花、古江彩香、勝みなみ、畑岡奈佐、西郷真央、吉田優利の7人。 古江、笹生、吉田が予選落ち。 渋野・勝組と他国人とコンビの畑岡組、西郷組が予選通過。
欧州ツアーはイタリアで、川村昌弘、桂川有人、星野陸也の3人。 ・・・星野、桂川が予選通過。
日本女子第18戦は神奈川・戸塚で、道産子は小祝さくら、菊池絵里香、阿部未悠、内田ことこ、宮澤美咲、吉本ここね、政田夢乃の7人。 二日目は雨天中止、54ホールに短縮となった。
池井戸潤「俺たちの箱根駅伝 上巻」(単行本新刊、U内科から借用)
かっての箱根駅伝の名門「明誠学院大学」の四年生、主将・青葉隼人と前島友介は、箱根駅伝予選会で快走中だった。 友介は一年の時に箱根を走った、チーム唯一人の箱根経験者である。 参加46校、各チームが上限12人が出走し、500人以上が上位10人のタイムを競う21kmのコースである。 そして10位までのチームが一月二日・三日に行われる箱根駅伝本選への出場権を得るのである。 監督の諸矢久繁・65才が、走行中の12人のスピードや個性、調子による作戦を実行中だった。 しかし、隼人は10km辺りから脇腹が痛み出し、次々と抜かれて行った。 自分の予想タイムより30秒以上も下回ってのゴールだった。 チームの中でひとり、足を引っ張ってしまった。 ・・・結果が発表されると、明誠学院大学は10位内に入れず11位でその差、僅か10秒だった。 ・・・オレのせいだ、隼人は大声で、→ごめん、みんな、俺のせいだ、ごめん、と言い放った時に滂沱の涙が溢れ出た。 すると、諸矢監督が、→精一杯頑張った結果だ、仕方が無い、みんな集まれ、肩を組もう、お前らはこの一年、全てを出し切って頑張った、良くやった、と涙を流している。 強面だった監督の初めて見る涙だった。 →この一年の努力の尊さが失われる訳じゃない、素晴らしい敗者がいるからこそ、勝者が輝くんだ、負けは勝ちより人間を成長させてくれる、明日を信じて胸を張れ、お前らは俺の誇りだ、ありがとう! 選手たちの号泣が始まった、監督も誰憚ることなく涙を流している。 ・・・かくして明誠学院大学の箱根駅伝への挑戦は終りを告げたのだった。
バスで寮に帰り付くと、監督室に呼ばれた隼人に、→俺は監督を辞める、38年間、充分にやった、今年は近来にないベストメンバーだったのに箱根に連れていけなかった、だから潔く身を引く、後任は甲斐真人・34才だ、本人も承諾している、今、総合商社・丸菱の課長だ、と呆気に取られる連続である。 甲斐は、「明誠エクスプレス」の異名を取ったランナーで、一年の時からレギュラーで箱根を4度走って区間賞も三度、しかし、卒業して陸上競技から一切足を洗った伝説の男だった。 →丸菱には社会貢献制度があって、一年間、ボランティアで働くことが奨励されていて、監督の件も会社の承認が下りている、と諸矢監督が言うが、一年間の腰掛け監督かよ、指導者としての実績もないのに・・・と隼人は白々しくなる。 しかし、→このチームには甲斐の力が必要だ、あいつ以外に誰も思い付かない、と普段から手伝ってくれている貢献度の高いOBも無視である。 更に、→隼人、お前は学生連合チームだぞ、友介は箱根を経験済みだから出られないルールだし、11位の大学の主将が連合チームの主将、監督も甲斐で問題ないと、学連から返事をもらっている、隼人、イイ走りをして、連合チームの10人に必ず選ばれろ、と叱咤激励されたのだった。
大日テレビの正月番組「箱根駅伝」のチーフ・プロデユーサー、徳重亮は、チーフ・ディレクターに任命した入社10年目の宮本菜月と予選会の映像の打ち合わせ中だった。 花形ポジションに女性で初めて、更に先輩ディレクターを押しのけて任命されたから、社内では一つの事件であった。 しかし、場面選択の的確さやコメント、優れたバランス感覚と構成力にかけて、菜月を凌ぐ者はこの局にはいない、という徳重が指名した最大の理由があった。 →明誠は惜しかったですね、処で、諸矢監督が勇退されて後任はあの甲斐真人ですって、と菜月が徳重に振ると、心底驚いた顔で、→陸上から引退した筈の甲斐か、学生連合の監督もチームの為に甲斐にやらせるって、諸矢さん、本気だナ、と重い吐息を漏らした。 学連チームはオープン参加であり、正式記録に残らない、例え区間賞を記録しても実際にその栄誉を手にするのは次点者であり、ただ未経験者に走らせる為の寄せ集め集団でもある。 毎年、最下位争いの常連でもあり、チームとしての一体感も無いし、モチベーションを保つ方が無理なのである。 これに比べて優勝を狙おうというチームの箱根駅伝にかける気合の凄まじさ、眦を決した選手たちの意気込みは、伝統という重み、出られなかった部員たちへの思い、応援してくれる家族への感謝、歴史と情熱を繋ぐタスキを背負う重さがある。 だから連合チームのタスキは確かに軽い。 徳重は、連合チームの甲斐監督はどうチームを纏めていくのだろうか?とその困難さを思いやった。
部屋に帰ると友介が、→次の主将は三年生の持田研吾だろ、とこっちの胸の内を察してくれた。 →明日の朝のミーティングで選ぼう、と隼人は決断した。 ・・・→俺達、4年生はもう引退するけれど、来年こそ箱根を目指して今年の雪辱を果たして欲しい、だから新主将を決めたい、自薦他薦どっちもOKだ、手を上げてくれ、と誘ったが、誰も上げない。 二年生の岸本が、→俺たち、研吾さんがイイなって話していました、と発言すると、多くの部員が頷いている。 願っても無い流れである。 と、そこに甲斐真人が入って来た、諸矢監督が悠然としているから、彼が呼んだのだ。 隼人はすかさず、→全員起立! 甲斐真人さんだ、と声を上げると、全員が顔は知らなくてもその名前を知らない者はいない、小さなどよめきが起こるのも無理はない。 甲斐は、→邪魔して申し訳ない、続けて下さい、と椅子に座った。 ・・・研吾が、→ホントに俺でイイのか、と言った途端、甲斐が大きな拍手を送った、真っ先に賛同してくれたのだった。 部員全員も拍手で承認した。 そして隼人は諸矢監督にこのアトを振った。 →俺が監督になった時、27才だった、箱根を二度走ったのと主将だった経験だけだった、ただ、がむしゃらにやるしかなかったが、偶然、予選会を勝ち上がり本選に出場し、翌年のシード権も得た、そして明誠の黄金期が始まった、俺は勘違いをして鉄拳を奮って従わせた、しかし、このやり方はいつしか通用しなくなっていた、成績が低迷し始めたら更に通用しなくなっていた、肝心な事を忘れていた、お前ら部員たちの声に耳を傾ける事だ、昨日の結果しかり、敗退の原因は全て俺にある、だから、このチームの監督を辞任する事にした、これから先は新監督の甲斐真人に委ねる、と甲斐を呼び寄せる。 →監督、本当にお疲れ様でした、と甲斐が手を差し出すと、→よろしく頼む、甲斐、・・頼んだぞ!と、強靭で知的な雰囲気を醸しだす甲斐を力強く握り返した。 →諸矢監督から指名を頂き、栄光の明誠学院大学陸上競技部の監督に就任する事になった甲斐です、卒業して12年、丸菱に就職して陸上競技とは一切関係の無い人生を歩んで来ましたが、このままサラリーマン人生を続けて何が残るのか、そう自問していた時に諸矢監督から声を掛けて頂きました、原点に帰って来い、と。 自分を信じ、仲間を信じ、諦めない気持ち、勝っても負けてもそれを受け入れ、未来に生かそうとする姿勢、それが箱根駅伝だったと気付きました、もう一度、箱根駅伝に挑みたい、その挑戦こそ、自分を成長させてくれるものです、来年こそ、一緒に箱根に行こう、そして名門・明誠学院大学を復活させよう、と新主将の研吾に右手を差し出した。 ・・・ここに新監督と新主将が全員に承認されたのだった。
部屋に戻ると、友介と研吾がやって来た、→OBの米山さんに聞いたら、丸菱の社会貢献制度を利用して一年間だけ監督をやる積りらしいぞ、それって、単なる腰掛けだよな、この制度を重視している丸菱では本人の出世にも繫がるじゃないかってサ、明日、諸矢監督に聞いてくれよ、何故、甲斐さんなんだって? それとお前、連合チームに出るんだろ、良かったナ、隼人、俺たちの分まで頑張ってくれよナ、みんな応援しているからサ、と嫉妬の籠った手をひらひらさせて部屋を出て行った友介を茫然と見送った、4年間の友情はこんなに脆いモノなのか? ・・・翌朝、監督室は引っ越し作業のまっ最中だった、何故、甲斐監督なのか、と疑問をぶつけると、→俺は甲斐がやってくれると言うから辞任するんだ、他の監督の選択肢なんか無い、老兵は去り行くのみ、アトの事は甲斐に任せる、とケンもホロロだった。
シード校10、予選会10校の20校で本選が行われるが、連合チームは21番目の、箱根を経験させる為の、オープン参加という公式記録に残らないチームである。 隼人は自分だけが箱根を走れる、という高揚感に包まれながら、チームメイトからの嫉妬感を痛切に感じていた。 自分だけがイイ目を見るのか、と言う嫉みの籠った目である。 チームは選手とマネージャーを含め約100名、その重圧は凄まじい。 ・・・甲斐新監督は連合チームに対して異例の課題を課した。 諸矢監督から引き継いだ弱点と各自が克服する課題である。 そして自らが考える事を求めた。 どの区間も20Km以上の長丁場である。 事前の戦略は、必ず予測しなかった何らかのトラブルが起きる、その時に狂った戦略をどこで仕掛けるのか。 その見極めが勝敗を決める。 想像力と思考力は絶対必要だ、それが無いランナーは決して成功しない。 箱根駅伝の難しさはここにある。
しかし、甲斐監督への不信感は増すばかりだった。 隼人は意を決して監督室を訪ねた、すると、→連合チームの戦い方を部員の諸君に知ってもらおうと思っている、それでダメなら私は身を引く、必要なのは実績だからナ、その為の舞台が今度の箱根駅伝だ、それまでは言いたい者には言わせて置けばいい、隼人、君もだ、納得して貰える走りを見せろ、とやかく言う奴はいなくなる、今度の箱根で私は監督としての可能性を賭ける、文句は箱根のアトに訊く、皆を認めさせるしか俺も君も道は無い、と力強い声はひとりのランナーとしての覚悟を問うていた。 →やれます! 胸の奥底から強力に渦巻く意志が膨らんでいた。
連合チームが揃った最初の日、甲斐監督は、→私の目標は本選三位以上だ、と声を発すると、場がしんと静まり返った。 →本気で闘わないレースからはなにも得られない、しかし、本気で戦った者にとってはきっと君達の人生に役立つ、本気の挑戦にこそ神が宿る! どうだ、皆、一緒に挑戦してみないか! 集まった16人がパラパラと拍手をするが、呆気にとられた部員が多かった。 毎年最下位の連合チームが3位以内? こんな暴言を誰が信じるのだ。 しかし、甲斐は10,000mの上位記録者が10名もいる事にその可能性を信じていた。 勿論、隼人もその一人である。
(ここまで、上巻・全373ページの内、僅か156ページまで。 3位目標宣言に対して、優勝を目指すシード校からも、明誠OBからも強烈な批判が渦巻く。 マスコミもそれに追随した。 箱根を甘く見るナ、という叱責交じりの声である。 甲斐は結果を出すしかない、と腹を括っていた。 連合チーム内の軋轢が練習そのものに支障を来すメンバーが頭をもたげて来る。 隼人はどうチームを纏めるのか、 ・・・読後の快感が満載、つい、上・下巻とも、二度読みしてしまった)
(ここ迄、5,300字越え)
令和6年(2024)6月29日(土)