令和6年3月19日
俺の本棚~面白いッ書 第670回
PGAは松山英樹と久常涼。 久常が予選落ち。 松山は最終日、-5と追い上げたが6位(875千$)に。 優勝者はアメリカ人で450万$を獲得した。
日本女子は鹿児島高牧CCで。 臨場感タップリの高牧CCが堪らない。 道産子は小祝さくら、菊池絵里香、阿部未悠、宮澤美咲、内田ことこ、吉本ここねの6人。 阿部、内田、吉本が予選落ち。
最終日は荒天で9ホールに短縮、小祝がプレーオフで負けて2位(900万円)、勝った鈴木愛は2週連続の勝利、天晴れ! 菊池7位(234万円)、宮澤22位(90万円)だった。 これで日本人の3連勝。
楡周平「黄金の刻 小説・服部金太郎」 ・・・前669回の続き
禍福はあざなえる縄のごとし、とは二年目に入った服部時計店に襲った災扼だった。 店は大繁盛していた、中古品であっても分解掃除したアトの服部の時計は故障しない、一年の保証付きだ、その間の万一の故障は修理代金無料、と評判が高まった。 だから飛ぶように売れたのである。 父親の喜三郎も元気を取り戻し、古物商の人脈を活かして中古時計の仕入れに忙しい日々を送っている。 店番は母とはま子が熟しながら、家族皆が多忙にしていたが、はま子が身籠った。 商売は大繁盛、嫁を娶り、子供も出来た、何もかにも順風満帆、そろそろ店を拡大し、中古時計に加え、新品時計の販売に乗り出そうと考えていた矢先だった。 明治16年3月、東京大火である。 はま子を風上の実家に逃げさせる、自分は米櫃をひっくり返して、そこに売り物の中古時計、修理に預ったお客様の時計を放り込み、胸に抱えて逃げたが、店は炎に包まれて全焼した。 翌朝、鎮火した所へ、はま子が逃げ込んだ実家の亀田時計店・長次郎が駆けつけてくれた、大店の亀田時計店で金太郎の売り場を作ったらどうだ、とこれからの有難い手を差し伸べてくれた。 翌日は辻粂吉がお見舞いに来てくれた。 →禍福はあざなえる縄のごとし、と君は思っているだろうが、禍を転じて福と為す、と正反対語がある、二度ある事は三度あると三度目の正直、七転八倒と七転び八起き、だから神も仏もないのか、と悄然とするよりも、初志貫徹、今こそ時計と言う人間が作れる宝石を目指すべきだね、手元資金も潤沢だろう、と再起を促してくれた。
やる!と決めたからには一刻も早く再建に向けて動き出した。 新しい店舗は銀座と決めた。 二年にも満たない間に資金は一千五白円にもなっていた。 火災で消失した預った修理品は、一年後にまでにお返しすると店舗に貼り出した。 中には虚言を弄して預けてもいないのに言い出してくる客もいたが、預かり台帳も残ってないので、全て応じる事にした。 新店舗の打ち合わせに始まる不眠不休が続いた中で、はま子が女児を出産した。 信ずるに値する人、信を重んじる人、そういう人間になって欲しいと信子と名付けた。 そして火災から僅か三ケ月後に「服部時計店」の看板が上がった。 従業員は4名、国産の新品時計も加えた。 店は景気良く回り始めた。 そこに辻粂吉が来店し、横浜のスイスコロン商会の輸入時計を始めないか、という申し出だった。 日本人の番頭で尾形吉郎から信用出来る取引先を紹介して欲しいと頼まれているらしい。 ツケで売る限り支払いがしっかりしていなきゃ紹介も出来ないが、服部君なら大丈夫だ、と太鼓判を推してくれた。 そんな時にはま子が実家に行ったまま帰ってこない。 怒り狂った両親が亀田時計店に乗り込んで、離縁を申し渡し、信子を連れて来た。 それほどまでに舅・姑との仲がこじれていたのか、と気付かずにいた金太郎は己を責めたのだった。
明治20年8月、フランス・ブルウル兄弟商会の番頭・吉村英恭が、ここ半年の服部時計店との商売で、噂に違わず、支払いがキチッとしていると感心された。 取り引きの契約を30日以内と定めているにも拘らず、盆暮れ二度の支払いで構わないと、勝手に支払いを延ばしている時計商が多いらしいのだ。 金太郎は、親戚の保証債務で身ぐるみ剥がれた修業先の親方の悲惨さが身に染みているから、信用が最も大事、金銭の約束は一番の重要事と、己に厳しく律してきた。 コロン商会を始め、複数の外国商館との取り引きでは一度たりとも支払いに遅れたことがない。 それが功を成して、フランス製の時計をもっと数量を増やしてもいい、という申し出を受けたのだった。 ウチが数量を増やすと、きっと他の商館も取り引きを申し込んで来ますよ、と吉村番頭が言ったが、本当にその通りになった。
再婚した群馬生まれのまんは信子を実の子のように可愛がっている、そのまんが次々と福を運んできた。 母のはる子は、はま子との離縁で思うところがあったのだろう、まんに対する気遣いに溢れていた。 再婚翌年に、次女・直子が生まれた。 商売も数量の増加に伴って外国商館は割引もしてくれるようになった、約束を守る事、信用を得る事の大切さを改めて思い知った。 そんな時に、剣呑な顔で乗り込んできたのが日本橋の時計店・石倉太吉、他二名の時計店主だった。 →アンタ、横紙破りは困るねェ、皆がどれだけ迷惑しているのか、分かってんのか!と怒声を浴びせて来た。 要するに盆暮れの年二回払いしか出来ない時計商に、肝心の時計が廻って来ない、という筋違いのイチャモンだった。 更に、服部時計店が外国商館との取り引きが増加して割り当てが少なくなった、割り当ての無い店も出てきた、このままだと首を括る奴も出て来るぜ、だから買い付け量を減らしてくれ、と滅茶苦茶な申し入れである。 金太郎は言い返した、→ウチが減らしたってその分が皆さんの所に廻りますか、年二回払いじゃその間の金利を外国商館が負担しています、私は当初の契約通りに30日以内に支払っています、契約通りに改めるべきはそちらの方じゃないでしょうか、三人の顔が白く引き攣って引き上げて行った。
吉村番頭にその話を打ち明けると、→こうなりゃ、服部さんが時計を作るしかありませんね、量産化出来れば輸入品より遙かに安価になるし、それを全国の時計商を通じて日本中に広めればいい、全ての時計商との共存共栄です。
(ここ迄、全442ページの内、182ページまで。 読み応え充分、かつ、示唆に富んだ名言が溢れている。 今月の30日(土)夜9時にテレビ朝日で放送される。 ご覧あれ! 恐らく感涙の名場面が続出するのではないだろうか)
(ここまで、2,700字超え)
令和6年(2024年)3月19日(火)