令和5年(2023年)8月11日  第630回

PGAはPレーオフ第1戦、松山は如何に?

LPGAはイギリスでメジャー戦の全英女子オープン、日本人は過去最多の16人もの参加である。

日本人のレベルが上がってきている、と解釈しよう。

日本女子第23戦の道産子は、小祝さくら、菊池絵里香、宮澤美咲、阿部未悠、内田ことこの5人。

さて、週末はどう楽しめるのかなァ。

 

甲子園の高校野球、北海道の北代表クラーク、南代表北海、共に天晴な一回戦勝利だった。 二回戦以降が楽しみである。

 

 

佐伯泰英「竃(へっつい)稲荷の猫」(文庫書き下ろし)

竃河岸の小さな稲荷神社を凡その住人が「竃稲荷」とか「猫稲荷」と呼んでいる。 10年以上前に野良猫が産んだ子猫が一匹だけ残り、住人が餌を与えて今は何代目かになっているのだ。 このところ、一番熱心に黒猫の所に通ってくるのは竃河岸の裏長屋、その名も三味線長屋の、間もなく15才になる小夏である。 餌をやっていた母親が流行り病で亡くなってから一人娘の小夏が続けているのである。 父の伊那造は幻治店の三弦(三味線)職人である。 長屋は代々続く三弦師五代目・小三郎親方の持ち物で、故に、三味線長屋と粋な名で呼ばれている。 中村座や市村座の芝居小屋が近く、遊里の吉原と隣接し、芸どころの旦那衆に認められた職人が数多く住んでいる。 年季の入った伊那造は長屋に繋がっている材料置き場の三味線の材料管理も任されている。 撥(ばち)は象牙、弦は絹糸、この二つは親方が直々に保管しているが、アトの樫、桜の棹材、胴には桑で、全てここにある。 半年前に亡くなった小夏の母親は、→稲荷神社のオスの黒猫は、お父っつあんには内緒だよ、三味線の胴に張るのは猫皮だからね、とキツク言われていた。 →一才を過ぎたオトナシイ黒猫は喧嘩もしないから奇麗な毛皮でなかなかの値が付くからネ。 小夏は今日も餌を持ってきた、→クロ、お前の代わりにウチのおっ母さん、死んじまったよ、昼間はサ、お父っつあんは作業場で棹づくりに励んでいるからサ、小夏は一人で淋しいよ、と語り掛けると、みゃう、みゃうと判ったような返事の泣き声だった。 →やはり、ここだったか、女将さんが小夏がどうしているか、見てこいと言われてサ、と声がすると、小三郎親方の一番若い弟子の善次郎が提げていた包みを小夏に差し出してくる。 甘味屋むらさきの大福だった。 兄弟子に当たる父は、→善次郎は覚えは悪いがよ、一旦覚えたら決して忘れない、その内、兄弟子の技量をあっさりと抜くナ、俺は不器用だから棹作りしか出来ねえが、善次郎は5~6年も経てば皮張りもして、ひと張りの三味線を作れるようになるぜ、とほろ酔い気分で言っていた事がある。 →善次郎兄さんは三味線造りが好きなのよね、と聞くと、→ああ、好きだ、親方は自分で造った三味線で調べを出すんだが、嫋々(じょうじょう)とした余韻があってよ、自分で造った三味線と曲弾きは、おれの目標よ、と目を輝かして答えた。 →このクロの事は誰にも言わないで、と口止めすると、→おめえの親父さんも親方も既に承知の事よ、猫稲荷の黒猫をうちの三味線の猫皮に使ったら罰が当たる、と良く言ってるぜ、と心から安心させてくれたのだった。 →深川の漁師の息子に生まれたが、祭りで聞いた三味線の音色が耳に残ってナ、13の年に弟子に入ってもう7年よ、ところで、おめえの奉公話があってナ、親父さんと親方からおめえが聞き出して来い、と言われて来たのサ、おめえが料理茶屋に奉公に出たいと思っていないだろうナ、と案じているのよ。 →呆れた、私が奉公に出たらお父っつあんの世話は誰がするのよ、私は奉公には行かないわ、と断じると、→良かった、イイ判断だよ、息子二人しかいない親方は、小夏の婿はオレが探す、と張り切ってるからナ、と安心している。 そんな話中に、→オイ、新公、黒猫がいるじゃないか、こっちに連れて来い、と荒んだ顔つきの男が仲間のチビに言い付けている。 →鶴吉のアニキ、合点だい、と言いながら小夏が抱いているクロを、寄こせ!と迫って来たが、小夏は、→すっとこどっこい! 稲荷神社の猫はお稲荷様に飼われているんだよ、罰が当たるよ、ちびの新公、面を洗って一昨日(おととい)来やがれ、と叫ぶと、鶴吉が匕首を出し、新公は樫棒を抜いて、→この娘、猫と一緒に岡場所に叩き売るぞ、と迫って来たが、善次郎は素早い動きで、新公に迫り、襟首を片手で掴むと、もう一方の片手で樫の木刀を掴み取り、一気に蹴り飛ばした。 →おめえら、樫の木がどれだけ硬いか知らないナ、と言いながらびゅンびゅんと振り回して鶴吉の肩口や腹を叩きのめした。 痛えッ!と悲鳴を上げて逃げ出すと新公も慌てて逃げて行った。 →善次郎兄さん、喧嘩が強いのね、と恥ずかし気に顔を向けた、あれは思わず出た啖呵だったのだ。 →漁師町じゃこんなのは喧嘩と呼ばないぜ、ただの餓鬼の遊びだ、それにしてもイイ啖呵だったぜ。

 

親方にその顛末を報告すると、→伊那造の女房が亡くなってからしばらく線香も上げてねえ、今夕、線香の序に、小夏親子とわしと三人で気兼ねなく話がしたい、と伝えてきてくれ、という事で善次郎は三味線長屋に告げに行った。 親方が!と吃驚した小夏は伊那造に伝えると、早めに仕事を上がり、井戸端で手足や顔を洗い、一応サッパリした。 小夏は湯屋に行き、お湯に浸かり浴衣に着替えた。 番台の女将さんに、→小三郎親方がお線香を手向けに来るの、と告げて長屋に戻ると、父も浴衣に着替えていた。 親方は仕事場兼材木置き場をざっと見回し、→邪魔するぞ、小夏、と上がり込んできた。 線香を手向けて長い事合掌していたが、携えて来た風呂敷包みには女将さんが拵えた稲荷ずしが入っていた。 →伊那造、小夏の通い奉公が決まった、と言い切ると、父娘は茫然自失した。 ど、どこだ?と父親が泡食って問うと、親方は、→うちよ、小夏はこの材木置き場の帳面付けをする事になった、幸い、字を書くのが苦手な伊那造と違って、小夏は大人並みの読み書きが出来る、材木はどれもそれなりの高値だ、今、どれだけの材があるのか知っておかなくちゃならない、大事な帳面付けだ、給金は高くはねえが小夏の季節毎の四着くらいは贖えよう、どうだ、伊那造、小夏を奉公に出すか、と聞くと、言葉を失っていた父娘がガバッと顔を伏せて、→親方、ありがとうございます、と感謝の言葉が走り出た。

 

翌日、朝餉のアトに、→お父っつあん、宜しくお願い申し上げます、と頭を下げた。 長屋の一角、父娘の住まいに接した作業場と二階の材木置き場は併せて50坪程である。 作業場には角材にする前の丸太があり、二階には材木の中でも高値で仕入れた桜材や樫材が三尺の角材に揃えられており、細棹、中棹、太棹と仕上げられて玄治店で胴と組み合わされるのだ。 角材は長い棚に突っ込まれており、材木の年期や育った土地、乾燥させる時間、仕入れ値、等々の区別があるのに、それは伊那造の頭にあるという。 小夏は言った、→半年前に亡くなったおっ母さんは私に何でも教えてくれたから家の事は何でも知っていると思っていたのに、今は、次から次と分からない事が出てくるの、お父っつあんが万一、急に亡くなったら誰もここの材木の事を分からなくなるわ、と訴えても、頑固な父は、→おれが生きている間はおれのやり方で任せてもらう、親方も認めてくれている、と頑なだった。 →ここの材木は大変なお金でしょ、お父っつあんの持ち物じゃなくて親方の物よ、と言い捨てて長屋に戻ると、善次郎が待ち構えていた。 →親方からの言付けだ、父娘で暮らしにも仕事にもゆっくり向き合いなされ、頑張り過ぎても物事は上手く行かないから、と仰せだ、親方は小夏の気性も伊那造親父さんの頑固さも承知なのサ、と諭すように言われて小夏はその心遣いに涙が溢れた。 →伊那造親父さんが小夏の手出しを得心するまで何日もかかるだろう、ゆっくりとやるがイイ、と帰って行った。 

・・・数日、小夏は作業場に入らなかった、父が何か考えながら棹を粗削りする音が聞こえるだけだった。 そして、朝餉のアト、お父っつあんは自分の名前について語り始めた。 →信濃の諏訪湖から出てきてこの竃河岸に住み始めた先祖が、故郷を忘れるナ、と名付けてくれたそうだ、幾度も親父から聞かされたモンだ、おれも小夏も信州伊那なんて行った事もねえ、でもふる里は信濃伊那だ、お国許だ、明日から材木置き場の整理をするぞ、と決心したように行った。 小夏はこくりと頷いた。

 

その事を告げに親方の元へ向かうと、先客がいた。 三味線と踊りの師匠、にしきぎ歌水(うたみ)は小三郎親方も、かっては小夏も弟子である。 →お師匠さん、お父っつあんとふたり、何とかやってます、と亡くなった母のアトを気遣ってくれた師匠に挨拶すると、→気晴らしにうちにお出でなされ、小夏くらい三味線も踊りも熟すのは大人にもいないよ、うちの養女にして跡継ぎにしたいくらいサ、ねえ五代目、と親方に振ると、→何、師匠が褒める程の腕か、小夏は、と魂消て、→じゃ、師匠抜かしてふたりで三味線の二挺弾きをやるかえ、小夏、と上機嫌だった。 伊那造が承諾した話を聞いた親方は、→明日から善次郎ともう一人、手伝いにやる、おめえは伊那造父っつあんの頭の中にある材木の目録を帳面付けしな、重い角材を運ぶのは善次郎たちだ。

・・・善次郎が連れて来たのは15才・トボケの銀次という弟子入り四日目の若造だった。 小夏とほぼ同い年である。 貧乏長屋育ちで、荷船宿で小遣い稼ぎの仕事をこの2~2年繰り返して来たが、三味線作りの職人仕事があると聞いて船宿の親父さんに相談したら、小三郎親方へ連れて来られたらしい。 銀次は、→取り柄は力があります、と十尺余りのかなりの重さの硬木を持ち上げて肩に担いで見せた。 荷船で鍛えた足腰は本物だろう。

四人は二階に上がり、小夏は伊那造から角材の一つ一つの説明を受けて書き溜めて行った。 奥の棚にあった花凛は異国産で何年も前に三味線になっていなければならない上等品であり、伊那造が忘れていた事が判明した。 頭の中に入っていてもこんな事になるのである。 →ほらね、この花凛が泣いているわよ、と小夏に突っ込まれて伊那造が黙り込む始末だった。 ひとつひとつ角材の特徴を話してもらい、小夏が角材の隅に短く書いておく、それを善次郎と銀次が棚に寄り分ける、という段取りが始まった。 仕入れ値も親方に聞いて「仕入れ簿」をこさえて毎年書き足していく。 毎年毎年書き足していく事が増えて終りは無いだろう。

小三郎親方は四弦の三味線とか、極太棹の三味線とか、色々考えているから、俺達は親方の企てに応えなきゃなりますまい、と伊那造親父と善次郎が話し込んでいるが、そういう新しい考えはお前達若い者に任せるしかなるめえ、と伊那造は結論付けた。 だから親方は善次郎に伊那造の棹作りをじっくり見せる為なのだろう、只の角材を揃える手伝いじゃない、と小夏は察した。 善次郎は、→親方は小夏ちゃんの存在を高く買っているから、新しい三味線を造る智恵も借りて、何としても新しい三味線を造る手伝いがしてえ、伊那造親父さん、よろしく、と頼むと、→善次郎、最後までやり通して新しい三味線を造りな、但し、兄弟子たちの前では口幅ったい事を言って浮き上がるなよ、と念を推していた。

 

昼の握り飯を頬張りながら銀次はしみじみと、→伊那造親父さんも、善治郎兄さんも、小夏ちゃんも三味線が好きでたまらないひとばかりだ、おれは好きか嫌いか考えた事もねえ。 善次郎は、→伊那造親父さんは33年、おれは8年目、銀次はこれから何でも見聞きして親方や兄イ達の言う事を聞いていれば、三味線がおめえに寄って来るぜ、と諭している。 更に、→おれは伊那造親父さんの作業場に親方に連れていかれたのは弟子入り三年後だ、おまえはたった四日で伊那造親父さんの仕事振りをみた、角材の仕分けの仕事が終るまで棹造りが見られるぞ、三味線造りの第一歩だ、いいか、これから三月、ケツを割るな、親方を信じろ、伊那造親父さんの棹造りを信じろ、小夏の三味線好きを信じろ、と続け、帰りの橋の上から、四年乾燥させた異国材の木っ端を落とすと、静かに沈んでいった、→いいか、鉄のように硬い木材を細工するのが伊那造親父さんの仕事だ、徒やおろそかに見ちゃならねえ、と自分にも言い聞かせた。

(ここ迄、全310ページの内、取り敢えず67ページまで)

 

(ここ迄5,100字超え)

 

令和5年8月11日(金)