令和5年(2023年)8月5 日  第628回

Oさんから単行本新刊2冊、堂場瞬一「鷹の惑い」、太田愛「未明の砦」(初めての作者)である。

Oさんはエアコンを入れても連日の寝苦しさは我慢できないと嘆いていた。 これから会社に出て、Mが本を借りに来るらしい。 夕刻、そのMから℡あり、Oさんと翌日、小料理Sで三人で吞むことになった。 彼の家にはエアコンがついていない、と言う。 熱帯夜の嘆き節を聞くことにしよう。

 

PGAは松山だけ。 予選落ちした。

LPGAはイギリスで、渋野日向子、勝みなみ、畑岡奈佐、古江彩佳、西村優奈の5人。 全員が予選通過、特に渋野がトップ通過とは期待が大である。

日本男子の道産子は、植竹勇太、片岡尚之、安本大祐、佐藤太一の4人。 安本と佐藤が予選落ち。

日本女子第22戦の道産子は、地元開催だけに、小祝さくら、菊池絵里香、内田ことこ、阿部未悠、宮澤美咲、藤田光里、吉本ここね、山田彩歩、田村亜矢、成沢佑美の10人と3人のアマチュアである。 

 

 

原宏一「間借り鮨 まさよ」 ・・・前回の続き

第二貫 能登栗の声(金沢市の老舗菓子補の物語)

第三貫 四方田食堂

東京の蒲田駅から普通電車を乗り継いで千葉県富津市の竹岡の無人駅に降り立った時はすっかり陽が落ちていた。 晃成は、情けない男になってしまったなァ、と自虐する。 アクアラインを高速バスで来れば二時間ちょいで来られるのに、三時間以上もかかる電車の方が安いからだった。 ほんの数年前までは輸入車を飛ばして小一時間で帰っていたのに、今や、全て財産を失ってしまった。 隆盛だった頃の晃成は見る影もない。 実家までは二キロ半、歩いて30分ほどだ。 俯きながら歩き続けて20分、竹岡漁港に注ぐ白虎川を跨ぐ千歳橋、この橋を渡ると晃成が生まれ育った集落がある。 途中の四方田食堂の角を曲がって5分程が実家である。 母親は居るだろうか?と考えていたら、四方田食堂の一階に灯りが点いている。 確か営業時間は朝6時から午後一時半までだったから、何だろう?と思って格子戸を開けた。 いらっしゃい! ぽっちゃり丸顔のおばちゃんに挨拶された。 和食用の調理白衣を着てカウンターに置かれた白木の板に握った鮨を置いている。 それを摘む6人の大人、「鮨 まさよ」の暖簾も壁に吊るされている。 →あの、四方田食堂はなくなったんですか?と思わず尋ねると、おばちゃんが微笑みながら説明してくれた。 →四方田夫婦の体がキツクなったから朝九時迄の時短にしたの、夜は私が間借りで鮨屋をやってるの。 するとカウンターに座っていた女性が、→ねえ、アンタ晃成? 二才上の姉の同級生、葉月さんだった。 →これ、夫の正孝、と日焼け顔の男性を紹介してくれた。 おう、オレはそろそろ帰るからここに座んナ。 葉月さんが、ありがとう、山藤さん、と礼を言って、晃成、ここにきて、と空いた座席をポンと叩いた。 おばちゃんが、→摘まみにする? 直ぐ握る? と聞かれて、さっき食べたばかりなので、と嘘をついた。 昼過ぎ、蒲田駅でカップ麺を啜ったキリだった。 葉月さんが、→だったら飲もう、うちら、夫婦で漁師、今週は大漁が続いたから驕ったげる。 すると、おばちゃんが湯呑茶碗を差し出してくる、先ずお茶か、と湯呑を口にした途端、むせた。 →吃驚したでしょ、雅代さんの湯呑酒、と葉月さんが笑っている。 たしか葉月さんは青山のアパレル会社で働いていたのに、と疑問をぶつけると、6年前、正孝と結婚して竹岡に戻ってきて竹中さんに弟子入りしたの、と言う。 竹中のおっちゃんは竹岡でも腕っこきの漁師だ。 若くして妻を亡くして一人暮らしだった竹中さんは、四方田食堂の常連で、大漁の時は、ほれ、小遣い、といつも千円札を晃成のポケットにネジ入れてくれた。 葉月さんもそうだったらしい。 夫婦は三年間の修業の後に中古の漁船「正月丸」を買って独立したと言う。 正孝と葉月から一字ずつの目出度い船名である。 →夕方に出航して翌朝4時に帰港、そして市場に持ち込むの、昔の晃成の両親みたいにね、と説明を聞いていると、腹がぐうとなった。 →あら、晃成、折角だから雅代さんのお鮨最高だから摘まみなさい、と言うのと同時に、はい、先ずは太刀魚、と煮切りを塗っておばちゃんが付け台に置く。 痩せ我慢も限界、→じゃ、遠慮なく、と口に運んで目を見張った。 赤酢を使ったシャリがホロリと崩れて太刀魚の旨味が更に際立っている。 次は黄金鯵、どちらもこの夫婦の水揚げよ、と雅代さんが自慢げに言う。 こりゃ銀座の一流店にも負けない味だ、と華やかだった昔を思い出す。 そこに二人連れが入って来た、→ありゃ、晃成か、流石は東京で一旗揚げた社長さんだナ、スーツで凱旋かい、とからかい口調で笑っている。 上京後の晃成の事を知っているようだ。 居ずらくなって、→葉月さん、そろそろ、おふくろも待ってますんで・・・、ご馳走になります、と早々に引き上げて来た。

 

家に入ると母親が座卓に突っ伏してうたた寝していた。 大きな音のテレビを消すと目を覚まして、→何しに来た、こっちは父ちゃんの遺産と年金で無駄に生きとるのに文句あっか、と睨み返してくる。 4年前に癌で他界した父親と同様、相変わらず口が悪い。 メバルの煮付けが残っていたのでご飯をよそって食べ始めると、→おめえ、皆、知らんとでも思ってるんか、田舎は悪い噂程広まるんだよ、そんなよれよれの背広着て逃げ帰ってくりゃ皆、陰で笑ってッぞ、と忌々し気に腐された。 するとさっきの食堂の葉月さんもアトからきた先輩も知っていたんだろうか、いたたまれなくなった。 →だいたい、おめえは魚のお陰で育ったくせに肉なんぞ売るからバチが当たったんだ、肉でちょぴッと儲けて浮かれていたから見る間に落ちぶれちまった、天国の父ちゃんもほれ見た事か、と笑っとるわ、と、けッと吐き捨てた。 恵比須で起業した高級焼肉チエーンの事を言っているのだ。 全てはコロナだったが、更に、資金繰りを任せていた大学からの親友(・・・だと思っていた)の克哉にも他の従業員にも逃げられ、多額の借金を背負って倒産、晃成は自己破産申告してすっからかんになったのである。 →晃成、明日から朝と晩の二食、わしの為にメシを作れ、落ちぶれても食い物屋をやってたんだ、それぐらい朝飯前だろうが、そのかわりお前が立ち直る迄、二階に家賃なしで住まわせてやる。 そして茶箪笥の引き出しから、分厚い封筒を取り出して、→これ、覚えてっか、おめえが調子こいていた時に小遣いだと抜かして置いてったやつだ、こんなあぶく銭、そっくり返す、と投げて寄こした。

 

翌朝、6時半過ぎに目が覚めた。 このところ、半年余りの野宿生活だったが、昨夜は久し振りの風呂だったし、柔かい布団に包まれて極楽気分、おまけに今日からはちゃんとメシも食える。 あの茶封筒の金もある。 今日から心機一転だ! 気合を入れてカマスの塩焼きと野菜サラダ、玉ネギの味噌汁と漬物を作り、メシ、出来たぞ、と母親を呼んだが、不味そうにそそくさと平らげた母親は、→何だこの朝飯は、ホントにプロの料理人だったのか、とちッと舌打ちである。 カチンときて家を出た。 四方田食堂が開いている。 挨拶しようと店に入る。 若い女店員が出迎えて、いらっしゃい!と元気のイイ声である。 漁上がりの数人が朝から酒を飲んで寛いでいる。 店主の四方田大将が、→おや、東京から帰ったのかい、とつるっぱげになった頭と鈍くなった動きで応えてくれた。 キンピラを小鉢に盛っていた女将さんもにっこりと笑い顔だ。 →おう、ご無沙汰だな、こっちでおめえも吞め、とビールを冷蔵庫から取り出して栓を抜く。 竹中老だ、葉月さんはレジェンドと言っていたが、老翁の方がピッタリ来る老けこみようだ。 →あら~、イイ飲みっぷりね、と言いながらさっきの若い店員がビールを継ぎ足してくれる。 →晃成、大将の妹さんの孫娘、莉子ちゃんだ、21才のぴちぴち盛りだ、と竹中老が嬉しそうに紹介してくれた。 そうか、ひと回り以上下か、とボンヤリ思う。 高齢者施設の介護職員だが、朝九時に食堂を手伝い終えると遅番勤務で夜7時過ぎまで働いて、竹岡駅近くのアパートに一人暮らしで頑張っているという。 実に10時間以上もの労働時間である。 →ゴメンねえ、もう閉店!と吞んでいた漁師を莉子が追い出す、そして自転車に跨って出勤して行った。 正に元気印である。 最後に残った晃成に大将が、→次の仕事が決まっていないならウチを手伝ってくれねえか、たいしたアルバイト代金も払えないけど、夫婦ともキツイし、此の儘だと莉子にもお客さんにも迷惑を掛けちまう、と懇願されたのだった。 翌日は5時前に起床した、つべこべ言わせない食事を作ってやると気合が入っている。 莉子の働きっぷりにも刺激されていた。 あの後、スーパーに寄って、封筒の万札で鰻の蒲焼き、本鮪の大トロ等々を買い込み、朝食を作った。 豪華メニューにも拘わらず、お湯割り焼酎をグビリと飲みながら、ちょこちょこと摘んだだけで、→無駄金を使ってんじゃねえぞ、と奥の座敷に引っ込んで寝て仕舞った。 くそ、明日の朝こそは、と考えた献立は、甘鯛の松笠焼き、本鮪納豆、しらすおろしのイクラのせ、蛤と絹さやの味噌汁、千枚漬けを揃えたが、仏頂面で、もそもそと食べ始めた。 要するに何であろうと気にくわないのだ、四方田食堂には6時5分前に着いた。 昨日は、ちょっと考えさせて下さい、と返事を保留したのだが、母親に対する反発心が足を運ばせたのだろう。 →あら、晃ちゃん、ありがとう、と女将さんが喜ぶと、厨房にいる大将も、イヤ~、助かるナ、と笑みを浮かべている。 →あら、晃ちゃん、手伝いに来てくれたんだァ、と莉子までが気安い声である。 はい、これ、と白いエプロンを手渡された。 すると、バケツを手にした漁師が、→ビールといつものやつ、と言いながら、魚を莉子に預ける、大将は即、魚を捌き始めた。 こうして魚を仕入れているんだナ。 →ほう、今日から手伝うのかい、よろしくナ、と挨拶し、いつものやつのモツ煮を旨そうに食べている。 その後も数人の漁師の常連客が、→四方田食堂から再出発か、頑張れよ、と励ましてくれる。 基本j的に心根は優しい人ばかりなのだ。 9時になっても莉子が出て行かない、金曜日は介護施設への弁当作りと配達だという。 寄る年並みに勝てず疲れてへたり込んでいた大将が、よいしょッと立ち上り、鯖を焼き出した、40人分の弁当作りである。 晃成が高校生の時からやっているから遊びに来ていた莉子は、カツどんを頬張って直ぐ出ていく晃成を何度も見かけていて男らしくて格好イイなァ、と子供心に思っていた。 良くお店を手伝ってもいたらしい。 それが縁で介護施設に就職できたそうだ。 →晃ちゃん、最近は大将が心配で・・・ 今日もへたっているでしょ、今日から店の片付けも手伝ってくれないかナ、それと最近、厄介な事があるの、この土地を買収してリゾートホテルを立てるって、付近の土地買収を仕掛けている会社があるの、と心配げな顔だった。 朝4時から仕込みに精をだしていた大将夫婦はグッタリしていて、あと片付けどころでは無さそうだ。 アトはやりますから二階で休んで下さい、と追いやった。 なんやかんやで一時過ぎまでかかったが、不思議と徒労感が無かった。 久々に働いた充実感と四方田夫婦の役に立てたという満足感が勝っていた。 こうなったら二人の為に明日も頑張ろうと帰り支度を始めると、雅代さんが入って来た。→あら、晃成さん、手伝ってたのね、女将が随分心配してたのよ、じゃ、今日は喜んだでしょう、と仕入れて来たトロ箱から魚をクーラーボックスに移し替えている。 そういえば、宅配便でトロ箱がふたつ届いている。 →そうなの、今日は上物が沢山獲れたって電話が来てたの、それなら酢締めや昆布締めを多めに仕込もうと思って早目に来たのよ、と中身を確認している、持ってきたトロ箱は葉月さん夫婦から、宅配のトロ箱は能登の漁師からなの、有難いわよね、とにっこり笑顔である。 更に、→能登の猟師は元々築地の仲買店だったの、豊洲移転でごたごたした時に見切りを付けて能登の実家の船宿と漁師を継いだの、一番弟子に仲買店を譲って、二番弟子が葉月さんの旦那さんの正孝さん、葉月さんと大胆に舵を切ったのね、との説明だった。 成る程、立派な人脈であるが雅代さんの人格と相まった信頼関係なのだろう。 富山で間借りしていた雅代さんの元に、葉月夫婦からお願いされたのだと言う。 →四方田夫婦が弱ってきている、朝9時閉店と時短させるので、夜、間借りしてくれないか、間借り料金で少しは四方田夫婦の助けになるし、夜やってくれれば漁師の憩いの場が生まれる、どうか四方田食堂を助けてやって欲しい、と。 それで早目に切り上げて竹岡にやってきたのだった。

(ここ迄、第三貫・四方田食堂の三分の一ほど。 自己破産の恥を知られたくない晃成だったが、周りから押し上げられて毅然と立った。 いつもハッピーエンドに終わるほのぼの原宏一の世界である)

 

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令和5年8月5日(土)