令和5年(2023年)6月5日  第615回

PGAは松山と比嘉だったが、比嘉が予選落ち。  松山は優勝出来るかも知れないスコアで予選通過だったが、決勝で75、76と崩れて16位(271千$)に終った。 優勝者は360万$である。  

LPGAは畑岡、勝、西村、笹生、古江の5人の内、勝だけが予選落ち。 古江4位(118千㌦)、笹生7位(70千㌦)と健闘した。 畑岡と西村は共に33位だった。

欧州はオランダで、星野、川村、岩崎、久常の4人だったが、星野だけ予選通過。 33位(13千€)に終った。 

今回、海外のゴルフで11人もの日本人が活躍している。 野球メジャーも大谷を始め、日本人が花盛りである。 バスケットもバレーもサッカーも卓球も、今盛りのハーフパイプとかも、世界中で日本人の活躍が素晴らしい。 ヤマト民族に天晴れ!万歳!

 

日本女子第15戦の道産子は、菊池、小祝、内田、阿部、宮澤、田村の6人。 初日は雨で中止、2日間競技となったが、土曜日は濃霧でサスペンドデッド、翌日曜日の午前中に残りを実施。 田村だけが予選落ちだったが、70人の予選通過者の内、セカンドカット(競技成立の為、決勝ラウンドの人数を減らす)で、33人だけが午後からイン・コース9ホールの決勝となり、阿部と小祝だけが出場出来た(結局、27ホールの試合となり、こんな少なさは前代未聞である)、更にプレーオフとなって、’17年以来2度目の優勝を飾ったのは涙の28才・川岸史果だった。 キャデイの母親に優勝を見せた孝行娘である。 もう、川岸良兼の娘と言われなくても済むだろう。 これで14勝1敗、天晴れ! 道産子の小祝も阿部も12位だった。 

男子の道産子は、安本、佐藤、植竹、片岡の4人で安本、植竹だけが予選通過。 25才・金谷がメジャー優勝、3,000万円を手にした。 安本23位、植竹は47位だった。

 

 

久坂部羊「オカシナ記念病院」(文庫本、単行本は2019年、図書館から借用)

・・・久坂部の作品は10数年振り以上で、彼は1955年生まれの現役の医師である。 最初の頃の医療小説「廃用身」「破裂」等々を2000年前半に読了以来である。 その後の作品に手を出さなかったのはどうしてだろう? 医療小説のハジメだったと思う。

 

27才・新実一良(にいみいちろう)は、二年間の初期研修を母校の附属病院「白塔病院」で終了し、残る二年間の後期研修を、奄美大島と沖縄本島の中間地点の人口3,000人の南沖平島(みなみおきひらしま)の「岡品記念病院」で、医師と患者の濃密そうな、離島での人間味のある医師になりたくて自ら望んで来たのだった。 院長の岡品は67才、白塔大学の大先輩でもあった。 (岡品と題名のオカシナ・・・) 空港に出迎えに来てくれたのは、アロハシャツにゴム草履姿の小太りな平良(たいら)事務長だった。 空は強烈な青さ、純白の雲、ソテツやガジュマロが大きく枝を拡げている。 市街地手前のサトウキビ畑の真ん中に4階建ての病院が見えてきた。 4階の病棟は永らく入院患者がいないので、その一室を新見の宿舎としてリフォームされた、と聞かされて驚いた。 台所もシャワーも付けたとは言え、24時間、病院で生活となるのか、と悄然とした気持になった。 アトから聞かされたのは、病院としては初めての研修医の受け入れで、街中にはワンルームマンションなどある筈もなかった。 院長室に挨拶に出向く、ロマンスグレーの白衣姿で風格がある。 →院長の岡品意了です、ここは辺鄙な島だけどのんびしたイイところだよ、君もゆっくりやればイイ、私は生まれも育ちも東京だが父がこの島の出身でね、相場師としてひと財産を築いた、それを元手に財団を設立して故郷の島に病院を造ったんだ、それがこの岡品記念病院だよ、東京や大阪から優秀な医師を集めてスタートさせたんだ、私は20年前、老いた父に要請されて白塔病院から赴任したのさ、と少し誇らし気に説明してくれた。 更に看護部長兼看護師長の50代ほどの貫禄十分の福本さんを紹介してくれた。 →福本さんは元・白塔病院の看護師で私の考えに賛同してくれてここまでついてきてくれたんだ、口は悪いが人は悪くない、と太鼓判を推した。 福本看護部長に病院の中を案内して頂いた。 内科病棟の宇勝なるみ看護師を始め、主任看護師やスタッフ看護師のアト、内科医長の30代後半、速石覚先生、速石先生よりも5才程年長の外科医長の黒須静先生、副院長の阿部和彦外科医、等々を紹介され、外科病棟の次は眼科や耳鼻科を廻り、最後は医局の大部屋である。 泌尿器科部長の服部勇三・医局長は40代半ばだろう、如何にも体育系らしい物腰である。

 

その夕刻、さっそく歓迎会が模様された。 総勢30人はいる。 上座には院長、副院長、福本看護部長がおり、新実は院長の横に座らされた。 白っぽい刺身だナ、と思っていたらヤギの睾丸だという。 ヤギの赤身、もも、皮も出てきた。 この島ではヤギは縁起物、結婚祝いとか新築祝いには欠かせない、目出度い歓迎会だからヤギ尽くしにしたと言う。 睾丸と聞かされて一瞬味覚を失った。 ヤギ肉の炒めもの、みそ煮、串焼きと続き、ヤギ汁は結構キツイにおいだった。

 

さっそく外来診療を担当する事になって、内科外来には丸顔で小太りの高梨操看護師が待っていた。 昨夜の歓迎会には子供が熱を出して欠席したという。 さっそく、→あら~、大城のオバアやアランね、どうしたの、 →新しい先生が来たち聞いたもんで、どんな先生かと思うて来たわけさ~ 先生、わんねえ、飛蚊症がある訳さ、三年位になるかねえ、那覇の目医者に行っても治らんち言われたっちゃよ、すかさず、高梨が、→そらあ、飛蚊症は治らんさ~、と口を出汁、まるで二人の茶飲み話が始まった。 最初は笑顔で聞いていたが段々苛立って来て、→高梨さん、次の患者さん、と診察の終了を告げた。 作業服姿の中年男性が半袖の腕をポリポリ掻きむしりながら入って来た。 →ジンマシンさ、早く痒いのを止めてくれんば、注射はいらん、飲み薬もいらん、ぬりぐすりをたっぷり出しんに、と患者が医者に処方を決めている。 高梨がさっさと患者を部屋から出して、小声で新実に言う、→この患者は注射が大の苦手で針を刺しただけで卒倒した事があるんです、偉そうに言うのも怖がりだからです、先生がイライラするのは時間の無駄です、と軟膏を処方している。 次の気管支炎の患者にはレントゲンを、→それはエエ、と断わられ、脱水気味の患者に点滴を指示すると、→そんな大袈裟な、と鼻で嗤われ、タール便の患者に胃カメラを勧めると、→もう少し様子をみるさ~、と拒絶された。 白塔病院の時は患者に指示を断わられるような事は一度もなかった。 ここでは新実先生の指示を吟味し、承諾するか否かを決めている。 →高梨さん、こんな患者ばかりで手遅れになったら本人たちが騒ぐんですよ、見落としだ、医療ミスだと、こっちのせいにするに決まっている、と言っても、→この島の人はそんな事はしません、病院の先生を信用していますから、と肩を竦めるばかりだった。

 

外来担当は火、金の週二回が割り当てられた。 照屋里子・68才、真っ黒に日焼けして声も掠れている。 →いつもの睡眠薬、といって椅子に座ったが首に親指ほどの膨らみがある。 ちょっと失礼、と腕を伸ばすと、→なんばしよるね、しこりなんてないさ~、と反射的に身体を引くが、強引に触診をした。 →甲状腺の腫瘍です、キチンと検査をしましょう、 鹿児島か那覇の大学病院で精密検査をして下さい、と言ったトタンに、目に怒りをたぎらせて、→や~は大学病院の廻しものか! クソガキのくせに偉そうに言うナ、と睨んで来て、荒い足取りで出て行った。 一良は三階の院長室に直訴した、甲状癌の患者が拒否して帰って行った、と。 岡品院長は、→治療が上手く行かない時の患者に与える苦痛や弊害を与えたり、下手したら命を縮める事だってある、照屋さんは今、家で二年前に脳出血で倒れたご主人の朝栄さんの介護をしている、四肢の麻痺で寝たきりで里子さんはどんなことがあっても朝栄さんの世話をすると決めている、そして、うすうす自分の死期を悟っている、本人が甲状腺癌を治して欲しいと言った訳じゃ無いだろう、睡眠薬を貰いに来てそれを与えず求めていない事をしようとした、君の治療したい気持は解るが、里子さんが不在になったらご主人の世話は誰がする? その犠牲を払っても治療をした方がイイという保障はない、それなら本人の望む通りにすべきじゃないのか、この病院の方針は、まず患者に満足を与える事、患者の気持ちは最大限優先する、患者がやってくれという治療はどんどんやればイイ、しかし、患者が求めていないのに病気を治そうとするのは医者の驕りだ、と時には怒りの表情を交えながら断定した。 一良は出口のない迷路に踏み込んだような不安を覚えた。 釈然としない気持の儘、外来に戻った。

 

三週目、四角い顔の奥村禮蔵・76才が杖をついてやってきた。 →先生、今日も点滴をお願いします、とうっすらと黄疸の出ている顔で申し入れてきた。 カルテには膵臓がんとあり、黄疸が出てくればエンドステージ(終末期)だ。 →三か月前に院長先生が診断してくれて、手術はもう無理やけん、抗癌剤で治療したら半年は延命出来ても副作用はキツイ、というから、此の儘で生きてりゃイイ、と決めたのサ、もうそろそろかナ、と他人事の様に笑った。 東京では最良の治療を求めて症状の無い病気を見つける予防診断をする人が多いのに、ここでは症状があっても医療を受けない人がいる。 →人生の最後さ~、死ぬのはもう怖くない、76になって生き過ぎさ~、これ以上生きたらかなわん、耳も遠いし脚も弱ってるし、わははは、と豪快だった。 おかしい、おかし過ぎる、ここは医療だけではなく患者もおかしい、どうやら自分はとんでもなくオカシなところに来てしまったようだ、と一良は何度も思った。   

 

その後も肝硬変で昏睡の状態で運び込まれた64才の男性、泡盛が大好きで→酒がの面の奈良生きてる意味が無い、呑むだけ呑んでこの世とオサラバするなら、それでも構わん、退院するわ、と勝手に決めている。 84才の胃癌の女性は、肝臓に転移していて抗癌剤を1クール終えた所でサイズが半分以下に縮小した、院長に直訴して退院を決めた、→あんなゲーゲー吐く薬は身体にいいわけない、クスリをやめたら元気になってメシも旨くなってさ、家に帰れるんはほんに嬉しい。 58才の女性は、一昨日、目眩と息切れで外来に来た。 心音を聴くと、大動脈弁狭窄症である、弁置換術が必要であるが、先生は検査が好きねエ、と屈託が無い。 速石医師は、→よけいな検査をして万一、癌が見付かったらどうするんだ、患者がどうしても検査をして欲しい時だけにすればイイ、病気は出来るだけ見つけるナ、病気が見付かると治療しなくちゃならん、治療すると正常になったかどうか、確認の検査が必要になる、正常になっても再発の定期的な検査、そんな事を繰り返すばかりだ、自然に治る事もあるしナ、症状がないのにあれこれ病気をさがすなんてのは余計な事だ、医療は出過ぎたまねをしちゃイケない、岡品院長のモットーだ、と院長と同じ考えの医師ばかりであった。

(ここ迄、全344ページの内、51ページ迄。 読みながら、オカシナ病院の治療方法に納得する事ばかりである。 患者の望む儘に寄り添う、確かに症状の無い内から、発病の恐れあり、検査値が高い、予防薬を、といったような事が多すぎると思う、人工透析を拒否して逝った同期生のKのような生きざまも必要なのかも知れない)

 

(ここまで、約4,800字)

 

令和5年6月5日(月)