令和5年(2023年)2月20日 第591回

PGAは松山と中島敬太が予選落ち。 ジョン・ラームがPGA通算10勝目をあげて360万$を手にした。 欧州ツアーは川村、星野が予選落ち、比嘉が11位(33千€)、金谷が28位だった。 アジアンツアーは岩田、堀川、池村が予選落ち、谷原5位、木下26位、香妻・大西47位、久常51位、大槻57位(予選通過70人中)だった。 サウジレディス(サウジアラビア)は、畑岡8位、笹生58位(予選通過62人中)だった。 日本のオフシーズンに世界でプレー出来る場が増えてきている。 前週の金谷のようにぜひ優勝を期待したいものだ。 

 

 

早見和真「ザ・ロイヤルファミリー」(単行本は2019年)

・・・ザ・ロイヤルファミリーとは馬主一家の事である。 また、この作家が愛媛に移住して、愛媛の景色から見える小説や絵本を数冊、発行している内容のテレビ番組があった。 高校時代に野球の正選手になれなくて挫折した過去がありながら、ここまで這い上がった経緯も語っていた。 読後だっただけに、そのタイミングに吃驚した。 

 

馬主は山王耕造、横浜の人材派遣会社の社長である。 持ち馬に全て冠にロイヤルと付けている。  馬主専属のマネージャーが栗須栄治、税理士の資格を有している転職社員であった。 キッカケは初詣でに、妻子連れの大竹との遭遇だった。 大学時代の数少ない友人だった大竹から声をかけられたのだった。 卒業後、ず~っと疎遠になっていたが、勿論、記憶には残っていた。 →先月、久し振りにサークルの集まりがあってサ、懐かしい顔がいっぱい来てたし、加奈子もいたぞ、結婚して生意気盛りの男の子って言ってたぞ、と昔の彼女の名前を出された。 下戸の栄治を知ってるくせに調布駅傍の居酒屋に連れ込まれて、思わず大手の税理士事務所からの転職を考えている事を打ち明けてしまった。 長野で税理士事務所をやっていた父の元へ税理士資格のある兄貴が帰って一年が過ぎた頃、父が62才で亡くなった。 兄弟で父の跡を継ぐ気持で資格をとり、父と一緒に働く、という事が叶わずに茫然としていたこの一年で、大きな悔いが残っていたからである。 まるで未来を失ったかのような状態で瞬く間に二年が過ぎていたのだった。

 

大竹雄一郎は、→明日、競馬場に付き合え、叔父さんが馬主の「ロイヤルダンス」が出走するから、お前も、友達を連れてこい、と言われているのサ、野崎加奈子も来るしサ、実家の野崎牧場の生産馬も金杯に出るんだ。 しかし、丁寧に断わったのは、万が一でも加奈子と顔を合わせるのは億劫だし、正月休みの最後に気疲れしたくないという思いだった。 ただし、テレビで中継されていたパドックに目をやると、「ロイヤルダンス」は2番人気、歩く姿に風格を感じさせた。 香奈子の実家の生産馬は「ラッキーチャンス」、9番人気だが妙な愛嬌があり、嬉しそうに跳ねて綱を引くスタッフを困惑させていた。 すると、家の電話が鳴った、大竹からだった、→ロイヤルダンス、どう思った? →いや、ダントツに強そうに見えたけど、と答えると、傍に居る誰かに継げていた。 恐らく馬主だという叔父さんなんだろう。 →加奈子の馬も良く見えたナ、と言ったアト、→オーケー、じゃその二頭を応援しとけ、9番と10番、どっちもグリーンの帽子だ、単勝をたった1,000円? まァ、買っとくワ、と電話が切れた。 ・・・初めて観たレースのゴール間際は、9番と10番が同着のように雪崩れ込んだが、「ロイヤルダンス」がハナ差で「ラッキーチャンス」に勝利したのだった。 電話が鳴って、大竹は、→新宿に出てきてくれ、馬主の叔父さんがお前にお礼を言いたい、ビギナーズラックでハナ差で勝てたと、言い出したら訊かない人だから、俺の顔を立ててくれ、当たった馬券も渡したいし。 指定された新宿の天婦羅屋には遅れて付いたら、途端に、→遅い! どれだけ待たせるんだ、時間は金で買える、次からはタクシーで来い、時は金なりだ、と野太い声で、馬主の山王耕造が怒鳴っていて、それは強烈な精気が漲っている顔だった。  宴会が進んで、→転職するなら、今の仕事にキチンと決着を付けて来い、それでいつからウチに来られるんだ、と徐に右手を差し出してきた、思わず、両手で握りしめたら驚くほどの温度の高い血が流れていることが感じられ、どうしょうもなく安堵した。 そして、雄一郎!と叫んで、一枚の紙が彼のバックから取り出されて、お前の馬券だ、と手渡された。 「馬連、9ー10」30,000円の馬券だった。 1,000円の単勝を頼んだ筈なのに、→1,000円だけ寄こせ、ケジメだ、残り29,000円は入社祝いだ、但し、入社後は絶対に俺を裏切るナ、と真顔で言い除けた。 数日後、新宿の場外馬券場で換金すると、428万7千円になった。 ・・・これが山王社長との長い馬主生活の始まりだった。

(ここ迄、全610ページの内、僅か34ページまで。 長編過ぎて意欲が沸かない。 お許しあれ!)

 

(ここ迄2,000字越え)

 

令和5年2月20日(月)