令和5年(2023年)1月12日 第583回

大相撲初場所が始まった、面白そうな展開が予想される。 今場所は絶対強者ゼロ、又もや平幕の優勝者が出るかも知れない。 溜まり席の妖精が姿を見せない、東京地元なのに溜まり席が入手出来ないのだろうか? まァ、芋焼酎の水割を楽しみながら観戦しよう。 ・・・毎日4時間弱もの時間を相撲観戦に費やしているものだから、ここへの書き込みが滞ってしまう。

 

新年初のU内科、心電図を見た先生が、→血管は60代初めの如し、と言ってくれたが、これも永年、乙類焼酎を吞んで来たお陰だろうか? 血栓を溶かす物質は本当にあったのだろうと確信する。 文庫本4冊を借用してきた。

 

文庫本3冊購入、畠中恵「わが殿」上・下巻(単行本は2019年)、宮部みゆき「さよならの儀式」(単行本は2019年)、及び図書館から文庫本1冊(図書館、昨年は39回だった)、正月は買い置きと借用分で間に合った。

 

 

遠田潤子「銀花の蔵」(単行本は2020年)

1968年夏・・・

山尾銀花・10才はお土産上手な父・尚孝が大好きだった。 ホントに素敵なモノばかり買って来てくれる。 そして約束してくれている、新幹線に乗った事があるのは父だけ、いつか母・美乃里も銀花も乗せてやるが、再来年の大阪万博は好感が持てないので、と渋々了承だった。 全国が大騒ぎしてバカみたいだと言う。 →あのお祭り騒ぎ、僕の美意識が拒否してるんや、と父の美意識は難しい。 綺麗な花を付ける夾竹桃には毒がある、と教えてくれたのも父だ。 花や葉、木の周りの土、燃やすとその煙にも、全てに毒がある、と。 文化住宅、5軒の一番手前が銀花の家で、家族で住んでいるのはもう一軒だけ、アト3軒は万博の工事現場で働く作業員がギュウギュウ詰め込まれている。 銀花の家にだけ電話があったから近所の電話も取り次いであげている。 けど、電話が怖いから母は絶対に取らない。 ・・・電話が鳴って嫌な予感がした。 →山尾さんのお宅ですか、おもちゃ屋の柴田です、万引きされました。 又だ、手癖の悪い母は時々、無意識で万引きを起こす。 駆けつけると、母は店の奥で項垂れていた。 →銀花、ごめんね、お母さん、また勝手に手が動いてん、知らん間にね、としくしく泣き出した。 財布には札が何枚も入っている、欲しくもない玩具にお金を支払って、何回も謝って、頭を下げて許してもらう。 店の奥さんは、→小学四年生にこんなに尻拭いさせて・・・、とカンカンだった。 店を出ると、→ずっと我慢出来てたからもう大丈夫やと思ったのに、何でこんなことになるんやろ、とめそめそと泣き出したが、まるで他人事だった。 母は料理が上手である。 →今日は銀花の好きなロールキャベツにしようか、ともう笑顔である。 洗濯もアイロンがけも得意でただ手癖だけが悪い、そんな母を父は大切にしていた。 →身寄りのない可哀想な人なんや、苦労ばかりして来た人や、優しくしてあげてナ、と父が言う。 可愛い花が咲くけど毒がある、それが母だった。 翌朝、香ばしい匂いがする、起きると父が帰って来ていた。 蜂蜜とバターをタップリ塗ったトーストに被り付いている、砂糖と牛乳たっぷりの紅茶、その横に嬉しそうに眺めている母、銀花が、→お父さん、何処に行ってたんや。 →海、いい絵が描けた、アトから見せたる、と喜色満面である。 美乃里さん、尚孝さん、と呼び合っている父・母。 食事が終わると父の描いた画を見せて貰った。 「老人と海」と名付けた、海岸に佇む良く陽に焼けた皺だらけの怖い顔の老人が描かれていた。 今回のお土産は土鈴のふくら雀、ころんころん、と軽やかな温かい音がする。 →これが最後のお土産や、来週、奈良橿原市の実家に引っ越しする、父さんが亡くなって醤油蔵を継ぐ事になった、母さんに頼まれたんや、と吃驚するだけだった。 150年続く老舗の長男だったが、画家になりたくて家出をした、大阪で結婚して銀花が産まれたと言う。 「雀醤油」という老舗だという。 →醤油蔵には座敷童がいるんや、家を守ってくれる子供の神様で、格子縞の着物を着た男の子や、それが見えるのは山尾家の当主だけ、その家の長の資格があるんや、けど、お父さんの醤油造りはこれから勉強や、銀花、お父さんを助けてナ、それから年の離れた恥かきっ子の妹・桜子がいて、銀花の一つ上の叔母さんがいる、大原杜氏の息子と娘もおる、皆仲良くしてやってくれ、とややこしい「雀醤油」の人間関係を話してくれた。 →お祖母ちゃんはお母さんの手が勝手に動く事、知ってんの?と問うと、→醤油蔵はず~ッと田舎にあるんや、環境が変わったらお母さんも変わるかも知れん、と願う様に言い、銀花も、蔵には座敷童がいる、皆を守ってくれる、お母さんの手も動かなくなる、皆で幸せに暮らせる、と内心、強く願ったのだった。

 

奈良の屋敷は竹藪を背負った大きな家で長い塀に囲まれていた。 大きな門にも瓦の屋根が付いていて「山尾」と表札が掛かっている。 飛び石伝いに玄関に入ると、広い土間になっていた。 母は真っ青な顔で今にも倒れそうな風情で父に寄り添っている。  磨かれた長い廊下を右に曲がったところが広い台所だった。 今朝まで居た文化住宅ならとっくに外に出てしまう。 父が、→お母さん、来たよ、ほら、実乃里さん、銀花、僕の母や、と紹介してくれた相手は、大きな釜を洗っている中年の女だった。 挨拶すると、釜を洗う手を止めて、細面で意思の強そうな顔でじっと見られた。 →いらっしゃい、山尾多鶴子です、とニコリともしないで返してくる。 四角四面で、決まりに厳しそうだ。 →尚孝、今、忙しい、家の中を案内してあげて、とまた、釜を洗い始めた。 53才だという。 座敷には女の子が待ち構えていた。 色白で桜色の頬と唇、目は大きく睫毛が長い。 長い髪は艶々、飛び切りの美女である。 →桜子だ、お父さんの妹、銀花よりひとつ年上、と紹介されて見とれてしまった。 →あたしの事、絶対に叔母さんと言わんといてよ、もし、言ったら許さへんからね、それとお母さんをお祖母さんと呼ばないで、ときりきりと眉を吊り上げた。 納戸には茶道具、輪島塗、洋食器、テイーカップ等々、高価そうな道具が並び、更に琴が螺鈿細工の箱に収まっており、蒔絵細工の小道具もある。 庭には大きな柿の木が青い実をビッシリとつけていた。 秋になっても柿の実を食べたらあかん、座敷童の柿だから・・・、と勿体ない事を言う。 →尚孝さん、お帰りなさい、と声がして、作業着を着た杜氏の大原さんだった。 →大原です、奥さん、お嬢さん、宜しく、と短髪で眉毛が太い厳しそうな顔で続けた。 蔵に入ると、一瞬にして醤油の匂いに包まれた。 大きな木桶がずら~ッと並んでいて、大原杜氏に言われて踏み段を昇って中を覗き込むと、諸味がボコボコと音がしていた。 大原杜氏は、→蔵には麴室、諸味を絞る機械、ボイラー等々いろいろありますから気を付けて下さいね、と念押しを忘れない。

(ここまで全488ページの内、わずか51ページまで。 尚孝よりも先に銀花が座敷童を目にした。 多鶴子亡きアト、醤油蔵を継いだのは銀花だった。 奮闘する銀花は山尾一族の秘められた過去を知ることになる。 長編過ぎて纏めが出来ない、降参である)   

 

 

 

驚いた、今は旭川の施設に入っている亡き父の弟・Hさん(S・11年生まれ 叔父)から賀状が来て、翌日、携帯電話が入った。 電話では心臓疾患の大病を患った事、週三回の人工透析中である事、等々を知らされた。 我が現役時代、旭川方面に出張した度に寄っていた程に親しくさせてもらっていたが、約二十年振り位の会話である。 奥さんも認知症になっていて一緒の施設らしい。 Hさんの亡き兄・Aさんの未亡人が同じ年齢で間もなく施設に入る事、妹・Mさんとは交流が無くて近況は知らない事、等々を知らせてくれたが、肝心の用事は何だったのか、ただ、懐かしくだったのか、不明である。 (両親の年下を叔父・叔母と言い、伯父・伯母は両親の年上だと今回知った。 今までは、父の兄弟姉妹を叔父・叔母、母の兄弟姉妹を伯父・伯母だと勘違いしていた、この年になって恥ずかしい限りだ)

 

新年初の麻雀は±ゼロだった。 卓代・飲食代がタダで遊ばせてもらった、と言う事で嬉しい。 又、要請があれば付き合う事にしよう。

(ここまで、3,400字越え)

 

令和5年1月12日(木)