令和4年(2022年)12月2日 第573回

サッカーワールド杯、何と、日本がスペインに逆転勝した。 惜しまれるのは第2戦コスタリカ戦の惜敗だが、これで予選トップで決勝トーナメント進出である。 果たして夢のBEST8以上に勝ち残れるか、見モノである。

 

ゴルフ日本男子最終戦、今季上位の選ばれし30人の戦いが始まっている。 毎度のことながら、このコースの17番ロングのイーグルかバーデイで終わるのか、18番の魔のショートホールでパーを拾えるか、興味津々の2ホールが楽しみである。

欧州ツアーは、オーストラリアで川村、金谷、久常が参戦していたが、川村が一日目で棄権した。 棄権した詳細がない。

 

 

馳星周「黄金旅程」 ・・・前回の続き

藤澤敬子は門別競馬場の人達に平野敬の事を相当訊き回った、と話が山盛りだった。 権藤との事は権藤が悪い、渡辺さんの後継者として期待されていた、渡辺夫妻は、敬は頑ななところがあってジジ臭い、敬ちゃんのお嫁さんにどう?と言われた、本当の息子だと思っている、本当は騎手になりたかった・・・etc。 敬も答えた、美人の獣医さんが来たから嫁に貰え、自分は親不孝の放蕩息子です、背が伸び過ぎて馬に未練があって装蹄師になった、養老牧場は頭数を増やしていきます、競馬は美しい、人馬一体となって誰もが関わった馬の勝利を願っている・・・etc。 深田が、→敬が熱く語るなんて珍しい、この人が気に入ったナ、こいつは馬鹿が付くくらい馬が好きなんですよ、気を付けないと馬鹿がうつりますヨ、と茶々を入れるが、敬子は、→私も馬馬鹿です、と笑っている。 楽しい酒である。 そこに非通知の電話が来た、和泉亮介だった。 門別競馬場で亮介と親しく話していたという若手騎手に電話をくれるように頼んでいたのだ、→何の用だ? 牧場を売る決心が付いたか? →借金取りの国重と言う男がここに来たぞ、出所したばかりでもう借金か? →違う、刑務所に入る前の借金だ、現役で稼いだ金は、もう、ねェ、金を貸してくれ、もうボロを後片付けするような仕事は出来ねェ、金策で忙しい、と早々に電話を切られた。 自尊心が人間の皮を被って歩いているのだ、深田夫婦も、ウチで働いても貰ってもイイ、と言ってくれたが亮介には馬の耳に念仏だろう。 リーデイングジョッキーを目指してイイ馬、イイ馬を選んで乗り続けた。 最高年間150勝を上げたがその時の首位との差は22勝だった。 その二年後に覚醒剤で逮捕された。 常に上を目指していたから浦河や門別の馬には乗らなかった。 浦河町長でさえ、日高の生産馬に乗ってくれればG1ホースも夢ではない、と公言していたのに、日高の馬は簡単に見捨てられてきた。 亡くなった和泉社長夫婦はきッと肩身の狭い思いをしていた事だろう。

 

深田は、このアト、札幌からキサラギさんが炊き込みご飯だけを食べに来ると言う。 名物馬主の真木芳治さんは所有するサラブレッドに頭に必ずキサラギと名付けている。 80才を超えているが深田の料理が食べたくなって、札幌から車を飛ばしてきてメシを食ったらまた札幌に戻るという、元気なジイさんなのだ。 ・・・180cm近い長身のキサラギさんは上品なスーツでやって来た。 →日高昆布で出汁をとったお吸い物、それと炊き込みご飯ナ、と注文を終わってから、敬は挨拶に伺った。 →装蹄師の平野です、こちらは門別競馬場の獣医師の藤澤さんです、と紹介すると、→ウン、敬ちゃんだったナ、何度か会った事があるよナ、和泉牧場を継いだんだろ、養老牧場? じゃ、引退した俺の馬の面倒を見て貰おう、 獣医師?若い女医さんなんて珍しい。 更に、敬は、→和泉亮介が出所しました、馬にしか取り柄がない男です、金に困っているようなので何か仕事があったら紹介して下さい、と頼み込むと、→馬鹿な奴だけど、和泉の息子だしナ、何か考えておくよ、と言ってくれた。 怒ると怖いキサラギさんだけど、本当に炊き込みご飯をたいらげただけで帰って行った。 敬子は思い出したように、→そういえばエゴンウレアが浦河に帰って来てるんですよね、会えないかしら?ハンサムなあの馬、私、大好きなの、あの馬は必ずG1になる、何だか確信があるんです、と言うので、明日、連れて行く約束をした。 深田がテンコ盛りのウニ丼を持ってくる、敬が、→ウニ、多過ぎだろ、と抗議するも、→大フアンのエゴンウレアの話が聞こえて来たら奮発しなきゃな、と丼一杯5,000円を軽く超えるウニの量である。 ワインボトルも空けたし、今晩の会食費はいくらになるやら、と覚悟した敬だった。 深田が俺も見に行きたい、というから約束の8時に遅れるナ、と遅刻常習犯に念を押した。

翌朝、深田は藤澤さんの手前か、時間通りにやって来た。 いつもの20分遅れは何処へ行ったやら。 吉村ステーブル迄、二台の車で向かった。 厩舎の奥から、栗木さんがエゴンに語り掛けているのが聞こえてくる。 →お前ほどの才能がある馬がG1馬に成れないなて信じられ無い、あの平野敬だって毎年何百頭の若馬に装蹄をやっていて、これほどの才能を秘めているのは素晴らしい、と激賞したんだぞ、頼むから本気を出して走ってくれ、そうして、種馬になってカムイカンナの子を産ませてくれ、夢を叶えてくれ、と懇願して両手を併せて拝んでいた。 →栗木さん、そっちにいますか?と声を掛けて馬房に向かう。 →こちら、門別競馬場の獣医の藤澤さんです、と紹介すると、→ああ、聞いているよ、新しく入ったっめんこい女医さんがエゴンの大フアンだってナ、噛み付きに来るから手を出すナ、と席を譲ってくれた。 明らかに苛立った顔付でしきりに前脚で寝藁を掻いていた、迂闊に馬房に入ると、蹴りが飛んでくる。 蹴る、噛む、壁に押し付ける、エゴンウレアは人の嫌がる事は何だってやってのけるのだ。 エゴンは一年前よりも更にトモが発達していた。 晩成型の体質なのだろうか、サラブレッドとして完成するのは6才になってからか? それでも並みいる強豪たちと互角に渡り合えて来たのは持っている類い稀な競争能力の賜物だろう。 栗木と敬子が熱心に競馬談議を交わしているのを残して厩舎を出ると、深田が、→昨晩、お前達が帰ったあと、亮介から500万円貸してくれと電話があったが、そんな金、ある訳ないだろうって怒鳴り返してやったけどナ、というから、敬の所にも札幌から借金取りが来た、と教えた。

 

JRAの育成牧場でエゴンウレアが走るという、キャンターという駈足程度だが、それでも敬子は見たいという。 しかし、乗り役のインド人が恐怖で顔を引き攣らせている。 乗せる前にエゴンがひと暴れしたのである。 →この馬、無理、乗れないよ、荒ぶる悪魔だよ、とヘルメットを脱いで立ち去って行った。 栗木が、→ここで運動をやめる訳にはいかない、そうだ、キャンターでイイから敬さん、頼む、乗ってくれ、と振られたので頑として断わったが、栗木の懇願に負けてしまった。 溜息を洩らし、エゴンの顔を見ると、イキナリ睨んでいなないた、必ず落馬させてやる、そう吠えた気がした。 プロテクターを装着し、ヘルメットを被り、右手にはステッキでエゴンの背中に跨った。 溜息が出るような背中の乗り味だった。 兎に角、柔かい。 鐙(あぶみ)に足を掛け膝を曲げる。 手綱を両手で握り、前へ進むようエゴンを促した。 並歩、駆歩、と変えるも盛んに首を上げ下げして敬の指示に抗っている。 駆歩で馬場を一周してから少しずつ速度を上げさせた。 5~6割の速度と思うが、完歩は大きく、まるで宙を飛んでいるような感覚に包まれた。 エゴンは馬場の真ん中を走っていたが突然、右に向かって行った、馬場の外ラチに向かって突進している。 手綱を引いても止まらない、激突する!と目を綴じた瞬間、エゴンが急激に走る方向を変えた。 遠心力で敬の重心が右に逸れるとエゴンは後ろ脚だけで立ち上った、敬は背中から地面に叩き付けられ、呼吸が止まって痛みが襲い掛かってくる。 栗木が飛んで来た、→藤澤先生、診てやって下さい! 幸い骨折は無く打撲で済んだが、エゴンは敬を一瞥すると鼻を鳴らした、お前に俺に跨る資格はない、とその目付きが言っていた。

 

「深山」の定休日、前回の電話で深田は三人で呑もうと亮介を誘っていた。 店先に停まっていた札幌ナンバーの軽自動車には無造作に畳まれた毛布と枕が並んでいる。 既に亮介と典夫がジョッキを傾けていた。 →聞いたぞ、エゴンウレアに落とされたんだって、と亮介が嬉しそうにいう。 苫小牧のおんぼろアパートに住んでコンビニでアルバイトしている、と見え透いた嘘をいう。 中学時代の懐かしい面々の噂で盛り上がったところで、→亮介、お前、吉村ステーブルで乗り役をやらないか、クスリに二度と手を出さないと誓約書を書くなら吉村さんは雇ってくれる、寝泊まりは俺の家でイイ、家賃もいらない、俺の手料理で我慢すればメシ代もタダだ、ただし、牧場の手伝いはして貰う、エゴンウレアの調整役が必要で吉村さんも必死なんだ、俺はエゴンウレアがG1で勝つところが見たい、その為には何でもする、最高の乗り役がここに居るんだからそいつに乗って貰いたい、但し、エゴンは金色の悪魔だ、と口説くのだった。 ・・・昨夜酔い潰れた亮介を車に運び代行で帰宅した。 午前4時、亮介は台所で湯を沸かしていた。 →何にも変わってないナ、この家、と言う。 かって亮介が使っていた部屋は、母親の八重子さんが集めた亮介の写真や新聞記事、雑誌等々で埋め尽くされており、敬は一切手を付けていない。 夫婦の部屋も使わずに客間で寝泊まりしていた。 好きな部屋を使っていいぞ、と言われて亮介は、→俺の部屋を見てもイイか?と断って、ドアを開けた。 馬に跨った亮介の写真パネルが至る所に飾られている。 スクラップも何十冊もになっている。 愛する息子を誇る、八重子さんのストーカー紛いの思いが満開であった。

 

吉村ステーブルではさっそくエゴンウレアに乗せられた。 クスリをキッパリ止める自信とエゴンウレアを御せるのか、否か、だけが面接の要点だった。 和泉亮介はやり切った、敬の時と同じようにエゴンは抗ったが全て亮介は手綱を締めて乗り切った。 手綱とステッキを巧みに操り、エゴンウレアの好き勝手を許さなかった。 もう一周して来ます、と叫んでエゴンウレアに気合を付けて疾駆して行く、黄金色の鬣(たてがみ)と尾が風になびく、走るサラブレッドはみな美しいが、エゴンウレアのそれは群を抜いていた。 亮介の騎乗フォームもあいまってこの世のモノじゃない美しさだった。 →決まりだナ、と吉村が言った。 →エゴンだけじゃなく他の馬の調教も格段にレベルが上がる、と満足そうだった。 戻って来た亮介の顔が綻んでいる。 何年振りかで騎乗した満足感、その慢心を見抜いたのだろうか、エゴンウレアがイキナリ全速力で走り始め、体を沈めて急旋回した。 遠心力で亮介は放り出されて地面に転がった。 しかし、亮介を見下ろすエゴンの目は穏やかで、乗り役としての亮介を認めたのかも知れない。 →性悪だナ、こいつは、御し甲斐がありそうだ、と立ち上りながら細めた目でエゴンを見詰めた。 →怪我は大丈夫か、気を抜いた時に振り落とす、コイツはよくやるんだ、亮介は合格だ、明日から乗り役で働いてくれ、と吉村社長が駆け寄って来た。 →コイツ以外にもびしっと追いきって貰いたい馬が何頭もいるんだ、宜しく頼むよ、と手を差し出してくる。 握手に応えて、亮介は弾む言葉に喜びが滲んでいる。 騎手を辞めて以来、まともに給料を貰える仕事にあり付けたのだ。

 

渡辺一枝から日曜日の夜、→心筋梗塞で主人が倒れた、と連絡が入った。 翌朝一番で門別の病院に駆けつけた。 まだ、60代だが、競馬に関わる仕事はどれも過酷である。 一枝が不安顔で迎えてくれた、→軽い心筋梗塞だって、暫く安静が必要だって、と実の息子のように打ち明ける。 →おとうさん、敬ちゃんがきてくれたわよ、と四人部屋に声を掛ける。 →すまんナ、敬、カテーテルで詰まりそうな血管を拡げて貰った、充分暖かくなるまで仕事を休めと言われた、そこで相談だ、その間、お前に渡辺装蹄師の弟子として二ヶ月ちょい、代役を頼みたい、調教師のみんなには既に了承を貰っている、お前じゃなきゃダメなんだ、師匠が頼むと頭をさげるから・・・、と切り出されては否応もない。 →あの女医さんにショッチュウ会えるでしょ、と一枝が思わせ振りに言う。 藤澤敬子が自ら浦河で平野敬とデートしたと言いふらしているらしい。

 

門別の谷岡調教師宅に伺って、水・木だけで装蹄を纏めて貰う事にした。 浦河を疎かに出来ないから、早朝に浦河を発って一泊二日で熟す事で合意して貰った。 そこに高一の息子・明良(あきら)が早退して帰宅した。 →装蹄師の平野さんて、あの権藤さんを殴ったっていう?と聞き返された。 →はんかくさい事言うナ、と父親が咎めると、そそくさと二階に上がって行った。 →乗り役になりたいって言ってたが背が高くなり過ぎてね、厩務員でもイイなんて言い出してね、騎手なら兎も角、親としては反対しているのサ、と事情を打ち明けてくれた。

(ここ迄、全413ページの内、143ページまで、・・・また書き込むかも知れない)

 

(ここ迄5,400字越え)

 

令和4年12月2日(金)