令和4年(2022年)8月27日 第540回

東京のYさんがまた格安旅行でやって来る。 積丹へのバスツアーでウニを堪能し、帰途、小樽の友人と懇親してから、この旅行に組み込まれている札幌のホテルに戻るらしい。 札幌三泊の内の一日を付き合う事にしたが、今回はジンギスカンを所望との事。 かって、娘夫婦も連れて行った事のある美味しいジンギスカン店、そこの店長が独立して開店した、ススキノのビルの10階の三面ガラス張りの見晴らしの良いジンギスカン店「Y」に決めた。 自分もまだ二回しか行ってないのでYさんが来る前に様子を見に行こうと思っている。  ・・・ビール2杯とジンギスカンで3,000円だった。  

 

 

原宏一「佳代のキッチン② 女神めし」(単行本2015年、①以外、ここにUPしていなかった)

・・・①は第392,393,394回にUPしています、お先にどうぞ!

第一話 港町へ

「いかようにも調理します」 調理代金は一品500円(四人前以内)、二品以上は300円増し、5人前以上も割増料金となる。 そんな木札が下がっている。 佳代は富山県・氷見市で調理屋を開店した。 もう、二週間を過ぎた。 その前に寄った松江の婆ちゃんの肝いりで始まった「佳代のキッチン松江支店」こと、家坂昌枝さんにも魚介メシのレシピを伝授した。 そして婆ちゃんからの願いは、→他の港町にも支店をこさえてくれんかね、女手一つで子育てしている人、一人暮らしで料理に難儀している人、どちらも佳代のキッチンで助けられると思うし、厨房車の費用や開業資金・運転資金は融通する、えらく貯まった金もあるからそれに使いたい、というモノだった。 佳代の譲れないルールはその土地の湧き水を使う事だった。 今は、20分ほどの隣町の高岡市の「影無し井戸」まで汲みに行っている。 相変わらず魚介メシの評判が上々で固定客も増えてきた。 松江の婆ちゃんの願いがあるから、車のボデーに、「お手伝い募集中、調理屋の仕事に興味のある方限定、但し、薄給」のチラシを貼ってある。 間もなく応募があった。 魚介メシを買ってくれた人だ。 →梓と申します、応募したいんですが・・・、と頭を下げている。 地元で生まれ育って平々凡々に主婦をやって来たが、40才の節目に料理好きな自分を試してみたい、との事だった。 今からでも大丈夫です、というのも気合が入っていてイイ。 さっそく、魚の下処理をやって貰ったが、梓さんは手慣れたもので瞬く間に終わった。 黄色い軽自動車は魚介メシを買ってくれたお爺ちゃん、加戸倉さんと名乗って、トランクからトロ箱を下ろすと、→いやあ、えらく旨かったんでまた来ちゃったよ、と中に入っていたのは鰤の子のフクラギ二本、60cmもの立派なモノで、囲碁仲間の寄り合いに差し入れたい、お造りと照り焼き、アト一品は佳代さんにお任せ、という注文だった。 以前は、飯島さんと言うお婆ちゃんは紫色に染めた髪で、お任せします、と言いながら、→何だい、結局、酢締めかね、とか、→若いアンタが普通のモンこさえるとは思わんかった、とか、二回とも言い出したから、調理代金は固辞した。 こんな厄介な人とは関わり合いたくない。

 

ところが夕刻、引き取りに来た加戸倉さんにアト一品の説明をしている時、紫色が視界に入って来た。 →昨日の鯵の北欧風マリネな、食べられんかった、と三度目のクレームである。 加戸倉さんは、→いやあ、素晴らしい料理を作ってくれたねェ、食べるの楽しみだよ、と飯島さんに当てつける様に賛辞して帰って行った。 →もう一回、チャンスをやるから、これで何か作って見んさい、と丸々な鯖を三匹差し出してきた。 上から目線の意地悪か、と頭に来たが、グッと堪えた。 二時間後に来ると言うから、脂の乗った鯖だけに、トルコの屋台料理・鯖サンドを思い付いた。 話を聞いた梓さんが、→それ、美味しそう! 旨いバゲットを買って来ます、と飛び出していった。 ところが又もや、飯島さんは見た途端に、→ふん、こんなモノ、と放り返したのである。 四度目となれば佳代の堪忍袋の緒が切れそうになったが、去っていく西島さんを見ながら、梓さんが必死に止めた。 →こんな美味しいモノを・・・ あの人は心に何かが棲んでいて、佳代さんに八つ当たりしていると思います、 忘れてあげましょう、と妙に西島さんの肩を持つではないか。 違和感を覚えた、佳代のプライドを逆撫でされた気がした。

 

それから二日後、魚市場でセリを眺めていると、加戸倉さんとバッタリ。 4年前の定年までここの菅理事事務所で働いていた、と言う。 奢るからここで朝めしを食べよう、と誘われて、揉めていた西島さんの話になり、今度来たら教えてくれないか、と携帯番号を渡された。 ・・・来た!直ぐ加戸倉さんに連絡する。 そしてレジ袋を持っている飯島さんに先んじて断わった。 →申し訳ありません、注文がいっぱいなので今日はお受けできません、 途端に怒りの目が佳代を睨んでいる。 →逃げる気か! わしを納得させる料理を作ろうと思わんのか! そこに加戸倉さんが来て、→キヨ子さんですよね、久し振りですし、お茶でも飲みませんか?と柔和な顔で微笑みかけた。 キョトンとする飯島さんの背中を押して軽自動車に乗せて走り去った。 梓さんが小首を傾げ、→キヨ子さんて、飯島一族の喜代子さんかしら?と呟いた。 昭和初期から、船主四族と呼ばれたひとつで、隆盛を極めた事は言うまでもない。 ただ、バブルに煽られて不動産に手を出した飯島家が大きな痛手を被り、一気に凋落したのだった。  

 

そして一ヶ月、梓さんの採用は大成功だった。 テキパキと熟すし、魚介メシのレシピも教えて作らせてみたが立派なモノだった。 これなら安心できるだろう。 加戸倉さんが現れて、→飯島さんの事で話したい、と岸壁に連れていかれた。 やはり、彼女は飯島喜代子さんだった、飯島家の主が病死して没落後、喜代子さんは水産加工のパートを見つけて、唯一死守した古屋敷で残された義母と細々と暮らし始めたが、内助の功が足りなくて息子は事業に失敗したと責め立てられ、船主の奥方だった私に惨めな生活をさせて・・・、と日々辛く当たり続けた。 食が細くなった義母を思いやって色々工夫しても、この味噌汁はうちの味じゃない、ホタテのバター焼き?ガイジンじゃない、また酢漬けかい、馬鹿の一つ覚えだね、と散々にいびり続けた。 そんな生活が5年ほど続いたが、半年前の厳冬のさ中に肺炎をこじらせて呆気なくこの世を去った。 すると、その足かせがなくなった途端、今度は自分が姑と同じ事を町のあちこちで仕出かすようになった。 佳代以外のところでも何度も悪たれをついている。 シャドウ理論によると、自分の心の影(シャドウ)を他人に投影することで心の安泰を得ようとする心理が働く、らしい。

 

佳代は梓さんにも打ち明けた、→実は私は三年前に子宮を取りました、子供が出来なかったのはこの病気のせいだったンですね、退院後、子供を産んだ友人知人に卑小な悪意をぶつけていたのを夫が気付いてくれました、だから、喜代子さんの気持が良く判ります、と神妙に言うから吃驚した。 そんな重い気持のまま、いままで明るく接してくれたのだ、と愕然とした。 そして、密やかに言った、→実は加戸倉さんと喜代子さんが手を繋いで楽しそうに海浜公園でデートしていました、と。 自分がダメな時に寄り添ってくれる人がいるかどうか、私もそうでしたけど、喜代子さんはもう大丈夫じゃないでしょうか、ここは大人になってあげましょう、と梓さんの優し気な声が心に響いた。

 

一際大きな日本家屋は飯島さんの古屋敷である。 今朝がた、加戸倉さんがトロ箱にぎっしり地魚を詰めて現れ、→今日は喜代子さんの誕生日でネ、これを使って佳代さんの好きなように調理して欲しい、と照れ臭そうに言った。 逡巡していると、梓さんが、→佳代さん、やりましょうと背中を叩かれた。 午後の営業は休み、厨房車ごと出張料理となった次第である。 喜代子さんはどこか険が取れたような柔和な面持ちで会釈を返してきた。 大鍋に仕込んだ「和クワパッツア」からはイイ匂いが溢れ出ている。 皿によそい分けると、喜代子さんが、→ああ、美味しいお出しだねェ、佳代ちゃんこれ本当に美味しい!と大きな声で褒めてくれたのだった。 ・・・梓さんが、佳代のキッチン氷見支店を了承してくれたので、松江の婆ちゃんに報告すると、そこはアト二ヶ月で終えて、次の候補を見つけて欲しい、こっちは年寄りで時間がないんジャ、と急かせるのであった。

 

第二話 女神めし 下田のサーファー・海斗と彼女の麻緒、大評判になった魚介メシが女神めし?

第三話 ミンガラーバー 船橋のミャンマー留学生とナマズ料理と、漁師の真鍋昌男・芳子夫婦

第四話 砂浜の夢 尾道の塩田造りと父・娘の想い

・・・・・・

第六話 ツインテールの沙良 長崎・福江島の実家にUターンした離婚した父と小1の娘

 

第五話 ママンのプーレ

檀ノ浦パーキングエリアで下関と門司の絶景に見とれていた佳代に、ヒッチハイクの若者が、SAGA NOSEKIと書いた紙を差し出してきた。 佳代は松江の婆ちゃんのお父さんの故郷・福江島を目指すのだ。 反対方向だ、一旦はノーと答えたが、そこは関アジ・関サバの本場である、食べ物に釣られてしまった。 →オーケー、佐賀関、ゴー!と言ってしまった。 若者はフランス人のアラン、21才と聞いて驚いた。 一ヶ月前に来日してヒッチハイクでノンビリ、生まれ故郷のプロバンスと同じ港町を見たいらしい。 佳代も、港町を巡って来た、奇遇だなァ、と話が盛り上がる。 調理屋の仕事だけど別に儲からない、と言えば、アランは、→フランス人はどれだけ人生を楽しんでいるか、そっちが大事だよ、と屈託ない。 佐賀関に着いてスーパーから出て来たおばさんに尋ねた、ここで関アジ・関サバが買えますか? とんでもない、普通の鯵・鯖しかない、海鮮レストランとか、料理屋にしかないよ、高嶺の花よ、と言われた。 それよりもウチの店にお出でナ、薄焼きが美味しいよ。 連れて行かれた所が「まさえ屋」だった。 店主の正枝さんが一人で切り盛りしている。 お好み焼きに似た薄焼きは二枚で280円、格安で美味しかった。 その日は漁港傍の無料駐車場に泊まった、アランは厨房車の横にテントを張るというから、じゃ、呑もう、と合意した。 アランは、お礼にプロバンスの家庭料理をご馳走するというので、嬉しく期待する。 ママに教えて貰ったプーレ煮込み、佳代は魚介メシを作った。 ワインを継ぎつ継がれつ、楽しい夜会だった。 一夜明けてここで調理屋をやってみようかナ?と呟くと、→だったら僕もやりたい、と言う。 アランはこのアト、鹿児島へ向かうが、それまでこの調理屋を経験したいそうだ。 正枝さんの店に顔を出すと、→佳代ちゃん、ここで調理屋やらん? 相乗効果があってイイと思うよ、とあっさり店の横でやることに決まった。 「まさえ屋」の裏に井戸水がある、それを汲んで佳代は魚介メシ、アランはプーレを作ると、最初の注文はまさえさん、食材を渡されてたまには煮物が食べたいとの事だった。 来客に正枝さんが勧めるものだから、噂が近所に広まり、次々と客があって、初日はそこそこに仕事になった。 プーレの儲けは別れるときに餞別として渡そうと心に決めた。 お風呂にお入り、部屋に泊まりナ、晩酌の相手になっておくれ、と正枝さんの要望に全部応えていた。 夫と息子の三人暮らしだったが、息子は高卒と同時に、俺は漁師を継ぐ、と決めて父親に頭を下げた、夫はえらい喜んで漁師人生の全てを教えると毎日海に出ていたが、三年を過ぎてその年の冬、時化に巻き込まれ、父子とも帰らぬ人になった、と悲惨な話も聞かされた。 佳代は福江島、アランは鹿児島に向かう為、精々一ヶ月間ですね、と正枝さんに答えると、→その間、ウチに泊まって、朝ご飯と夕ご飯作って、食材はあたしが買って来るし、とお願いされてしまった。 ふらりと現れた旅人二人との食卓の賑わいが嬉しいのだろう。

 

佳代のキッチンは、以外や、アランのプレーン煮込みが思わぬ評判を呼んだ。 めっちゃ美味しい、シエフは若くてイケメン、食材を持っていけばフランス料理も作ってくれる、と噂やSNSで拡がったらしく若い女性が車で列を為した。 初めての休日、アランは温泉に入った事が無いと言うので別府市から左折して由布岳に足を延ばした。 明礬温泉の看板には美白の湯とある。 混浴の露天風呂の案内もある。 佳代は年下のアランに揶揄いながら、入ろう、と誘った。 白濁の湯だから入ってしまえば裸が見えない。 混浴初心者には何とも心強い。 青空の元、開放感が半端ない、アランも感激しきりだった。 帰途、突然、→ウチのパパも漁師だった、地中海の嵐にやられた、正枝さんと一緒だ、と悲しそうに打ち明けた。 正枝さんの悲しい話を聞いた時、アランが涙ぐんだ訳が今、判った。 途中、廃墟になっていたレストランが近付くと、→ちょっと停まって、とアランが言いながら助手席から抱きしめられた。 何年振りのキスだろうか、と思いながら唇を受け入れた。 それから数日後、アランが階下から上がってきて、→佳代と結婚してフランスで調理屋をやりたい、とまさかのプロポーズだった。 佳代は嬉しさながらも冷静に、→あたしはこのまま調理屋を日本で続けたい、今の生き方を貫いて生きたいの、ゴメンね、と謝り、アランの頬にキスしてから全力で体を押し戻した。

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令和4年8月27日