令和4年(2022年)8月8日 第535回

LPGA・全英オープンは、渋野が一打足りずの3位(488千$)、P・Oの4ホール目で優勝した南アフリカ人は、3年前に渋野が優勝した時の同組、LPGAで初優勝で、かつ、メジャー優勝とはこの33才は遅咲きの大器かも知れぬ。 今回は最後まで渋野が応援していた姿が何回もテレビに映っていて、3年前に優勝を称えてくれた恩返しをしていた。 畑岡7位(161千$)、山下13位(116千$)、堀15位(100千$)と日本人4人の活躍が素晴らしかった。 夜中12時から観ていたので流石に眠い。 PGAは小平智が36位、これで来季の出場権は獲得できなかった。 日本女子第22戦、韓国人が優勝。 これで20勝2敗。 一打届かなかったママさん・横峯さくらと18才新人・桜井心那が惜しかった。 道産子の小祝9位(2,000千円)、菊池19位(850千円)は先ず先ずか。 日本男子のメジャー・日本プロゴルフ選手権は、29才・堀川未来夢が優勝。 石川遼は20位だった。

 

 

佐伯泰英「新酒番船(しんしゅばんふね)」(文庫本、書下ろし)

18才の海次は眼下に拡がる篠山の水田を眺めていた、青山家が治める篠山城下の領地である。 海次の家は代々、丹波杜氏で今は親父の長五郎が四代目の頭司(とうじ)を務めていた。 丹波杜氏は灘五郷に百日稼ぎと呼ばれる出稼ぎに出て酒造りに励んできた。 この冬、海次は初めて灘五郷のひとつ、西宮の酒蔵に百日稼ぎに出る事を許された。 海次は背に背負った杣弓と矢をしっかり落ち着けると、手作りの木刀を手に山峰に向かって走り出した。 十一の頃から山歩きが好きで、猪、鹿、熊などとは幾たびとなく出会ったが、獣同様に迅速に走る海次を仲間と思ってか、海次に危害を加える生き物はいなかった。 あと数日で蔵人見習いとして働くが、親父が丹波杜氏の頭司で兄も蔵人で何の不安もなかった。 ただ、幼馴染の小雪と会えないのが淋しいナ、と想いながら、→いつか、鳥になりたい、と走り抜けた。

 

海の見える西宮郷の酒蔵・樽屋松太夫方に、親父が百日稼ぎの時に生まれたから海次の名前が付けられた、と聞かされた。 長男は頭司を継ぐ山太郎である。 海次は去年、新酒番船の勇壮な船出の光景を見て海の仕事に惹かれていた。 新酒番船とは、灘五郷から江戸までその年の新酒を運ぶ船の事だ、酒蔵ごとに仕立てられた船が江戸品川まで到着を競うのだ。 自分も新酒を運ぶ水夫になりたい、と思っているが親父が許す筈も無い、どないすれば良いか。 その時、二千石船・三井丸がゆっくりと入ってきて舳先を沖に向けて停船した、西洋の快速帆船を感じさせた。 数日後には、この西宮浦から十五隻の新酒番船が江戸を目指して一斉に出帆する。 灘五郷の酒は江戸で珍重されていた、鉄分の少ない湧水と良質な播州米、それを生かす丹波杜氏の技と勤勉な働き振りが生み出した銘酒である。 下り酒では伊丹酒を抜いて灘五郷が生産高一位となっていた。

 

海次は、大海原が見たい、江戸に出てみたい、との想いがますます強くなっていった。 丹波杜氏が樽屋で仕込んだ新酒「神いわい」四斗樽(約90㎏)の3,000樽以上を新造船の三井丸に積み込む手伝いをしなきゃならない。 新酒番船で品川沖に3~4日かけて一番に着いた船は「惣一番」と呼ばれ、御祝儀相場で取り引きされ、次の年の新酒番船の競争迄高値で売られる。酒蔵の樽屋さんに入ってくる金子は惣一番と二番以下じゃえらい違いとなる。 惣一番になれば三井丸のような新造船の費えなどは直ぐに取り戻せる。 樽屋はここ何年も「惣一番」の栄誉と特権を得た事がない、今度こそはと、満を持して三井丸を新造したのだった。 樽屋の番頭・七蔵に三井丸の樽運びを願い出ると、→沖船頭の辰五郎さんは、疾風の辰五郎の異名がある人や、頼んでやる、と請け負ってくれた。 荷船で如何に早く積み込むか、既に競争気配は始まっていた。 滑車で提げられた網篭に四斗樽を入れるのだが、馴れた水夫に邪魔にされていると思った海次は、樽を担ぎあげて縄梯子を上がって行った、正に怪力である。 荷船と三井丸の水夫は唖然としている、誰もこんな事の出来る奴はいない。 沖船頭の辰五郎がそれを見て、→小間まで運んで水夫頭の指示に従え、と船倉に入る階段を指差した。 水夫頭は、→荷積みは数日続く、こんな力自慢で終わらんぞ、最後までやるんだろうナ、と嘲る様に言う。 →オヤジさん、俺は最後までやり通す、と力強く返して、結果、見事にやり切った。 海次はひとりで運び込む特権を使って、船倉の構造を頭に刻み込んだ。 水夫頭は酒樽が高波や大嵐の檻でも動かぬように見事に指図していった。 船底の一番低いところが「アカ間」という船底に溜まる水の部屋だった。

 

丹波篠山に戻れば兄・山太郎と小雪の祝言が如月の初めに行われる。 幼馴染の小雪を義姉さんと呼ばなきゃならない海次であった。 戻るよりも海の仕事がしたいというのは、そのせいかも知れなかった。 荷積みは3日間、4日目の早朝に十五隻が一斉に出帆するのだ。 三日目の早朝、海次は風呂敷包みを小脇に抱えて荷船に乗り込み、黙々と酒樽を積み込んだ。 熊野灘、遠州灘、相模灘の荒海を沖走りする命がけの仕事が始まるのだ。 海次は去年の光景をまざまざと思い出す。 新酒番船が錨をあげて帆を張って紀伊灘に向かう豪壮な光景を見送ると、何処の廻船問屋も前祝いに飲み明かす、その数日後、江戸から早飛脚が届いてどこの廻船問屋の持ち船が惣一番か判明する。 杜氏たちはその結果を知ってからそれぞれの故郷に戻るのだった。 酒蔵・樽屋と廻船問屋・藍屋は、何としても「惣一番」を得たくて新造した三井丸だった。 海次は三井丸の前祝いの席に、親父が持たせてくれた「神いわい」の一斗樽を疾風の辰五郎にに差し出した。 約二時間後、宴を終えて帰る挨拶後、秘かに船底のアカ間に潜み、風呂敷包を枕にして横になった。

(ここ迄、全302ページの内、僅か46ページまで。 要するに密航である。 海に投げ込まれても許されるという水夫に囲まれながらも、怪力と、船酔いもしない体質と、敏捷な動きで帆柱を軽々と昇る海次の働きっぷりが三井丸で大活躍する。 かつ、伊豆沖で海賊に襲われるが相手の鉄砲を海次の杣弓で阻止することが出来た。 もう一艘の番船にも若い娘の密航者とそれを手助けした水夫がいたが、その理由は? そうして品川沖での惣一番に危うい三井丸、疾風の辰五郎が考え抜いて海次に願った逆転策とは? この作者の連載モノは途方もない数に昇るが、今回の「新酒番船」、529回・532回の「出紋と花かんざし」、528回の「浮世小路の姉妹」等々、新しい題材で次々と読み切り文庫本を発表する能力は凄まじい。 余程の文献調査がされていると思う。 これからも期待しよう)

 

(ここ迄2,800字)

 

令和4年8月8日