令和4年(2022年)8月4日 第533回

文庫本4冊購入した。 佐伯泰英「新酒番船」(書き下ろし)、小杉健治「風烈廻り与力・青柳剣一郎(58巻)約束の月・上巻」(書き下ろし)、山口恵似子「食堂のおばちゃん⑫ 聖夜のおでん」(書き下ろし)、伊坂幸太郎「クジラアタマの王様」(単行本は2019年)である。 Oさんからは文庫本1冊だけ、珍しい。

 

 

百田尚樹「影法師」(単行本は2010年)

・・・前編は第530回にUPしています、お先にどうぞ。

戸田勘一は磯貝彦四郎の屋敷を仲間と訪ねていた。 葛原虎之丞、中村信左、飯田源次郎と、合計五人の集まりだった。 彦四郎が上覧試合で一位を収めた祝いの会だった。 →大儀な事だが、兄が一席設けたいと申すのでナ、と彦四郎が苦笑しながら招いてくれて、六歳上の兄の又左衛門は機嫌良くひと言挨拶だけで引き下がっていった。 勘一は会席料理は初めてだった、旨い! 鯛も初めて食べたし、部屋も広くて豪華だった。 しかし、婿入り先が無ければこの屋敷の部屋住みで、一生、兄から小遣いを貰いながら嫁も貰えずになってしまう。 文武に優秀な彦四郎に限ってそんな事にはならない、と確信しているものの、この侍の世界の非情さを改めて思い知るのだった。 勘一は禄は低くても長男であるから己の家を継ぐ事が出来る。 嫁も貰える。 彦四郎は、→俺は婿入りする積りはない、いずれ磯貝の家を出る、という。 虎之丞は、→侍を捨てる気か、馬鹿な事を!と、憤るが彦四郎は黙って笑うだけだった。 仲間の話は、勘一が夢見ている大坊潟の干拓に及んだ。 我ら、下士や中士の身分では上士を動かせない、それは干拓よりも難しい、との結論になって皆が押し黙った。 そこに下女らしき娘が茶を運んで来た、大層美しい顔立ちをしていて、少年たちは見惚れた。 彦四郎は、→みね、茶なんぞ運ばなくても良い、と声を掛けたが、→奥方様がお持ちしろと。 勘一は隣家だった丸山家の保津に似ている、と胸がドキンとした。 闇夜に阿漕な札差「丹波屋」の三人組を殺害して、丸山家の借金の証文を焼き捨てた。 亡くなった丸山家の主は大恩ある人だった。 みねが下がると、虎之丞が、→下女の娘か、あんな美しい娘が生まれるんだな、と言いながら年を訊く、彦四郎は、→十四だ、と答えて、→みね、もう一杯お茶をくれ、と仲間の暗黙の要望に応えるべく大きな声で呼びかけた。(後に、みねは彦四郎の強い後押しがあって勘一に嫁いだ、部屋住みの彦四郎には、例え下女でも嫁を貰う事ができなかった) 虎之丞の誘いがあって、竹刀で打ち込みを始めたが、勘一はみねに気を取られた瞬間に胴を撃ち抜かれた。 恥ずかしかった。 その夜、みねの顔が何回も浮かんだ、これが懸想する、という事かと自分を下司な人間だと貶めた。   

 

上覧試合の半年後、勘一に出仕の沙汰が届いた。 郡奉行与力付きの下役で普通は中士以上の家柄であるが、天覧試合での勘一の豪剣が藩主・晶国公の目に留まり、直々の沙汰があったと陰ながら聞いた。 戸田家にとっては一挙に三倍の石高となって極貧の生活から抜け出る事が出来た。 彦四郎は町奉行与力助役として出仕した、この職は世襲で、部屋住みの次男坊の職では無かったが、やはり、天覧試合一位の非凡さが晶国公の目に適ったという事だろう。 町奉行は城下の治安を守る、彦四郎には打ってつけの職分だった。 塾長の明石先生は、→郡奉行は何より大切な農政を直接司る、お前にはこれから大きな道が開かれていくだろう、と激励してくれた。 年が明けて中村信左も出仕した、父のアトを継いで勘定方となり、庄左衛門と名も改めた。 部屋住みの葛原虎之丞と飯田源次郎には出仕も縁談も無くて、心の奥に焦りがあった。

 

勘一は二つの代官所の内、領内の東端にある田宮代官所に勤める事に決まった。 田の管理と年貢の取り立てが大きな仕事だった。 浅尾代官からは、→この仕事は歩く事、見る事、聞く事だ、と薫陶を受けたので、兎に角歩き回って聞きまくった。 米は気の遠く成るほどの手間暇をかけており、今更ながら米の大切さを教えられた。 勘一の熱心さは代官所の上役たちを感心させていた。 私心を捨てて働く、それが「丹波屋」を殺めた自分が、ひたすら国と民の為に生きる事だという覚悟があった。 ある日、棚田を見回っていた、急坂を昇ると老婆が畔を直していた、田には満々と水が張られている。 →こんな上に川が流れているのか、と尋ねると、→いいえ、あの下の川から水桶でここ迄担ぎ上げるのです、と驚く事を平然と言う。 大変な労力だ、こんな老婆が・・・米は一粒とて無駄には出来ぬ、と勘一は強く思った。 古稀を超えた老婆は、→百姓は死ぬまで働くんです、と歯の抜けた口を開けて笑った。 数えると棚田は25枚だったが検地帳には23枚と記されていた。 恐らく上の2枚を見逃したのだろう。 勘一は目をつぶろうと決めた。 2枚から獲れる年貢なぞタカが知れている。

 

5人の仲間が会う事が無くなっていたが、早朝、城下の外れで思い掛けなくみねと会った。 一年半振りのみねは更に美しい女になっていた。 →やっとうをしていた戸田勘一様ですね、彦四郎様はいつも褒めておられます、そして、いずれ大事を為す方と仰ってます、まるで自分の事のように誇らしく仰います、彦四郎様にそこまで褒められる方は本当に素晴らしい方だと思います。 勘一は胸が熱くなって全身が痺れるような喜びを覚えた。 →いや、家中一の侍は彦四郎の方だ、剣も学問も私は一つとして敵うモノがない、本当に見事なモノです、と言い返したが、→彦四郎様の素晴らしいのは剣や学問ができるからではありません、と深々とお辞儀して蜆の籠を持って去って行った。 暫くして、今度は彦四郎とバッタリあった。 半年振りだろうか。 誘われて一年半振りに磯貝家の門を潜った。 →久し振りに稽古でもするか、竹刀で打ち合ったが、相変わらず彦四郎は迅い、とても捕えきれない、であるから、あのお寺の住職に教わった剣を使ってみるか、と考えた途端に、→待て、勘一、仕合はよそうぞ、と竹刀を下ろした。 →やはり、彦四郎には敵わない、と降参すると、→いや、真剣なら勘一の方が上だ、それよりもさっき何かやる積りだったろう、殺気がした、自宅で怪我しちゃつまらんからナ、と天性の勘で何かを察したのはただ事ではない。 みねが茶を運んで来た、→また、やっとうのお稽古ですか、→お前もどうだ、護身術になるぞ、→彦四郎様はみねが小さい時から一生護ってやる、と仰ってくれました、と逃げるように去って行った。 →あれが小さい時、近所の餓鬼どもに悪さをされた、俺は奴の腕を叩き折った、その時言った言葉を覚えているんだナ、全うしなけりゃいかんナ、実はな、兄がみねの母に、みねを妾にしたいと言い出しておる、今の俺にはどうする事も出来ない、と苦しそうに顔を歪めた、当主と部屋住みとは主従同然だった。 あの無敵の彦四郎の無力の表情を初めて見た。

 

年が明けて信左が勘定方書き役として大阪に行く事になった、勘一は五つの虫籠を並べて、→職人が作ったモノだ、上方で売れないかと思っている、と希望価格を今の倍の価格を告げた。 三月後、信左の手紙には五百個の受注が記されており、総額五十両となっていた。 今の価格の二倍である。 狂気の価格を五郎次親方に告げて下士に技の伝授をお願いした。 →下士は貧乏です、生活の足しにしたい者にお願い出来ませんか、すると、五郎次は、→お前にはもう全ての技を伝授した、お前が教えてやるが良い、と言ってくれた。 勘一は下士の家を廻ると、七人が集まって来た。 丁寧に教えながらも一方で編み上げる前の状態の竹を数百本揃えて貰った。 これさえあれば難しい組み上げは五郎次と勘一の二人で数を稼げる。 何とか間に合うだろう。

 

そんな時、彦四郎与力が商家を狙っていた押し込み強盗の三人を切り捨てた、と大評判になった。 強盗を重ねていた四人組の内、生け捕った賊の一人から訊き出して廃寺に隠していた100両余りの金も回収して更に名声を上げた。 中士家の嫡男でも無いのに、与力助役から与力に取り立てられ、晶国公からの直々のお褒めの言葉を賜った誉れな男であり、きっと、良い養子縁組の話が舞い込むだろうと、誰もが確信していた。 ・・・春になって、勘一はみねに募る思いを彦四郎に打ち明けた。 →見下げ果てた男と蔑んでくれ、この半年、苦しくて堪らぬ、笑ってくれ、想う女はみねだ、嫁に欲しいと思うている、本気だ、命がけで惚れている。 彦四郎は黙って勘一の告白を聞いていたが、→みねは命を賭ける値打ちのある女だ、まだ、間違いなく未通女(おぼこ)だ、兄にしっかり頼んで見る、と断言した。 数日後、磯貝又左衛門から遣いがあり、みねを戸田家の嫁にする儀が伝えらえた。 その年の晩秋、ごく内輪の宴だけで祝言を上げた。 初めて会って四年後、みね18才、勘一は21才になっていた。 ・・・みねはできた妻だった。 掃除や洗い物、縫物も上手だった。 磯貝家での働き振りが察せられた。 勘一は竹細工も教えるがみねは呑み込みが早く器用だった。 そして、彦四郎に教えてもらった読み書きも達者だった。 その様を思うと嫉妬があったが別に昏いモノではなかった。 みねが彦四郎に想いがあった事が間違いないが、だからこそ、彦四郎の為にも絶対幸せにしなければならぬ、と心に誓った。

 

年が明けて勘一は「大坊潟干拓の覚書」に取り掛かった。 明石先生と何度も大坊潟に通い、実測した。 干拓が成功すれば千町歩の新田ができる。 そうなれば領民が飢える事はない。 この大きな汽水湖は長い砂州で海と隔てられていたが、満潮時にはいくつも開口部が出来て海水が流れ込んでいた。 昔から何度か埋め立てが試みられていたが、塩が浮き出していた。 明石先生は、先ず海に対して大きな堰を築き、海と潟を完全に隔てて潟の淡水化を図り、塩が抜けてから干拓作業に入る、というモノだった。 一気にやるのでは無く、潟を区分けして淡水化と干拓を行い、順次拡げて行けば、最初の区分けは十年ほどで成果が出る、最初の淡水化だけの結果は早ければ五年で分かる、と纏めた覚書を浅尾代官に提出した。 あの一揆事件から八年、今でも「潰れ百姓」が頻発していたから、いつどうなるか分からない藩の貧しさが続いていた。 これさえ為せば、一揆の首謀者・万作の、幼い子供までの犠牲者が出なくてすむ。 勘一はこれさえ出来上がれば命さえ惜しくは無かった。

 

しかし、浅尾代官は、→あれは取り上げられなかった、と肩を落とした。 しかし、与力の先輩が聞き込んできた、→お主の建白書は執政会議の面々が大きな関心を寄せたが、筆頭国家老・瀧本様が頑強に反対された、昔の干拓事業の失敗は全て家老が絡んでいる、時の筆頭家老の父の掃部殿の威光を借りて強引に推し進めて藩が大きな借財を背負った。 誰も責任逃れをして、父の跡を継いだ今では筆頭国家老よ、キナ臭い話もある、借財をした相手は蔵元屋からだったが、その返済の利息の一部が瀧本家に流れているとナ、瀧本様にとっては触れられたくない傷であり、もし、成功したりすると都合が悪い、瀧本様が実権を握っている限り無理であろうナ、と裏側の話は何とも腹黒いモノだった。

(ここまで397ページの内、276ページまで。 虫籠は4年目を迎えて二千個を超える受注があった。 今では下士どころか中士まで生活の臨時収入となっていた。 晶国公から上意討ちを命じられた勘一と彦四郎は、強豪の相手二人を辛うじて倒すが、その時、不覚にも彦四郎が卑怯傷を背中に負って、勘一だけが晶国公から取り立てられ、彦四郎は上々だった養子の話も断わられてしまった。 そして、ある奥方に無礼を働いて脱藩したのである。 江戸のお側用人に取り立てられた勘一が出発したアト、実は滝川家老からの刺客が迫っていたのだった。 かつ、干拓工事の最中に堰を破る不埒者を追っている時、背後から二人が襲って来て、危機一髪、助勢があって微かに一命を取り留めたが、それは葛原虎之丞と思っていたが違っていた。 彦四郎が死んだあと、諸々の助けられた内容に全て納得した。 江戸に向かって追いかけて来た刺客は何者かに片足を切断されて、勘一一家を切る事ができなかった。 卑怯傷も、彦四郎の絶妙なる間合いで見切ったモノであり、それは勘一を出世させる手段だった。 みねと共に一生涯護ってくれた彦四郎だったのだ。 ・・・今、全てを知った筆頭家老・名倉影蔵は、干拓が成った広大な大坊潟で、犬のような咆哮を上げてただ泣いた)  

 

 

 

PGAは正念場の小平、来季の出場権を賭けてのギリギリの土壇場である。 世界女子は全英オープンに日本人はプロ・アマ含めて12人も出場するが、果たして何人予選通過するのか。 日本女子は札幌国際・島松コースで三日間プレー、又も道産子優勝を期待しよう。 日本男子は6週間振りのツアー再開とか、ホントに試合数が足りないナ。 欧州は日本人の名前が無い。

リブ・ゴルフ第3戦が終了して優勝者も決まっているのに、賞金額が公表されていない。 その筋からプレッシャーが掛かっているのだろうか? 日本人4人の賞金額を知りたいが・・・。

(ここまで約5,400字)

 

令和4年8月4日