ぼくの目は8歳まで見えていた。1メートル先の人の顔はわかる程度だった。10センチまで近づけば、ブラウン管のテレビが見えた。当時の野球アニメのタッチをみて甲子園に憧れたり、ひょうきん族をみては笑い転げていたりした。本棚に並んでいた沢山の図鑑が眺めるのが好きで、写真は見えていたけれど、文字が読めなくて、いつも悔しい思いをしていた。プラモデルを自分で組み立てたいと思ってときどき買ってもらっていた。設計図が読めなかったから、結局、組み立てられず、いつも兄に完成品まで仕上げてもらってた。
そんな日常生活にデジタルがやってきた。それが「ファミコン」だった。ぼくが7歳のときだった。どういう経緯でどう買ってもらったのかは覚えてないが、父がぼくと兄の二人に対して買ってもらえたことは覚えている。最初に購入したソフトは「ドンキーコングJR」「パックマン」と「ベースボール」だった。近所にファミコンを持っている仲間は少なかったから、必然的にたまり場になった。コントローラのAボタンもBボタンも、十字キーも触れて直感的に操作できたのでプレイそのものにまったく不自由はなかった。ただし、ゲーム中にときどき表示される文字は細かくて早すぎて読み取れなかった。ベースボールは、投げた球の速さや高さを音の高低で表現していたし、守備は自分で球を捕りに行かなくとも基本オートプレイでやってくれたので難なく耳だけで楽しめた。
ぼくの中で印象的なゲームが「ゼビウス」と「ツインビー」だった。一気にゲームがゲームらしくなって音楽がかっこよくなってすごく楽しかった。細かなキャラクターの動きは目で追えなかったけれども、音でキャラクターの動きはある程度理解できた。この頃からか視力が落ちてきた。後日談、当時の学校の先生の話で、ぼくの視力は小学校2年のときの数ヶ月で一気に下がったらしい。だから、この頃には既にほとんど見えていなかったと思われる。脳裏にはインビーが画面上をあちこち飛び回っているし、救急車が突然画面の真ん中に現れてボーナスをくれていたし、イメージができあがっているのだけど、はたしてどこまでが空想でどこまでが事実か、今となっては知るすべはない。
そんな折、ドラゴンクエストが一世を風靡した。RPGは目の見えない人にはなかなか遊びにくいゲームである。ぼくも例に漏れず兄や兄の友達が遊んでいるなかで、ただただ音を湧き出きいているしかなかった。その代わり、ぼくの楽しみは、そのようなゲーム音楽を耳コピして自分でひくことだった。ダブルカセットレコーダーのラジカセでテレビのスピーカーに近づけて録音した。録音した音楽を聴きながらコピーしてピアノでひいた。できばえはともかく、急速に光を失う自分にとってはこれがゲームに対するぼくの楽しみとなっていった。なお、数年後の話にはなるが盲学校の寮生活をしていたときに、先天盲の友達がRPGを楽しそうに遊んでいたのにカルチャーショックを覚えたモノだった。彼らの遊び方は、十字キーの上や下を何回押すとモンスターが出てきて、何回押せばボーナスがあって、という具合で、すべてをボタンを押す回数で覚えていた。
ぼくのデジタルはファミコンから始まり、その後PCへと繋がっていく。高校を卒業するまではゲームセンターによく通ったし、何かしらのゲーム機が手元にあった。卒業後、なぜか遊ぶ方には興味が向かなくなってしまい、作る方へとシフトしていった。デジタルを作る方へと気持ちが切り替わっていった。
これがぼくのデジタルの起源である。