創立九拾周年記念 京急全驛入場券集(昭和63年・1988年) | 記念切符あれこれ

記念切符あれこれ

亡き父が集めていた記念切符、実家からもらい受けたものの、箱に入ったまま納戸にしまい込み10数年、あまりにも雑多に入っているので、少し整理をしようと思い立ち、それならブログに写真を貼ったら一覧代わりにになっていいかも・・・と思い、少しずつ記録することにしました。

これが父のコレクション、最後の紹介です。

古い漢字で記されているのが重みを感じます。
A4を入れる封筒と同じ大きさで、中身は厚めです。

裏の通し番号窓にも色が付いています。
切符を手にすると必ずやっていた加減乗除で10にするヤツ、久々にやってみましょう。
01542→0+1×5×(4-2)=10
順番を変えずにできました。
中身を出します。

封筒と全く同じです。
裏はというと・・・

中身も封筒仕様・・・?
開けます。

封筒ではありませんでした。
まだ開けそうです。

京急沿線の手書き風地図ですね。
三浦半島を網羅している感ありありですが、品川・川崎・横浜という平坦な場所を走り抜け、
南横浜の起伏の激しい街並みを走り抜け、気付けば三浦半島突入といったところでしょうか。
1つずつ大きくしてみましょうか。

ご存じの方だったらすぐわかる「デハ1500形」。
地図では浦賀より先がちょっと違いますね。
いやいや、他にも駅名が違うものがいくつも!
今は「京急〇〇」になった駅名、「京浜〇〇」ではなく「湘南〇〇」になっています。
金沢八景の漢字が古い「澤」を使っているので、古い路線図かもしれません。
 
まんなかです。

ブルーリボン賞を受賞した「デハ・サハ2000形」と、ローレル賞を受賞した「デハ800形」。
「八津坂」が無くて「平沼」が加わっています。
 
右側です。

「デハ1000形」と「デハ700形」懐かしい車体です。
下の部分に
昭和5年作成の「京濱湘南電鉄線路図」と「湘南電鉄沿線名所図絵」を参考に描き起こした
品川~三崎間の鳥観図です。
とありました。
「線路の細い部分は当時予定線だった区間」ともありましたので、黄金町~横浜間は
まだ繋がっていなかったようです。
 
さて、更に中央部分を左に開きます。

各駅の入場券がどどーんと出てきました。
・・・ということは・・・

ここまで広げられました。
1つずつ拡大しますね。

きっぷの下部分にそれぞれの駅の紹介がありました。

開業日と一日の平均乗降人員に順位、そして昔の駅名まで。

昔の駅名で知っているのは「京浜→京急」は置いておいて、南番場・北番場、八津坂、

京浜逗子・逗子海岸くらいです。

今はもっと変わっていますよね。

乗降人員トップは横浜で、2位が品川、3位が上大岡!

金沢文庫は京急川崎、横須賀中央に続く6位でした。

上位4つは納得ですが、横須賀中央はちょっと意外でした。

いくつか抜けていたので一瞬青ざめましたが、京急本線から大師線への切り替え部分だったので
ホッとしました。
 
私は三浦海岸から三崎口へ延びた時代に金沢文庫を最寄りとする町に住んでいたのですけど、
ふと、さらに先まで伸びる計画があったことを思い出しました。
調べてみたら、その計画は凍結されてしまったとのこと。
細かく言うと、3歳から11歳の途中までだったので、文庫の海に友人たちと歩きでも
ローラースケートでも気軽に行けましたが(今考えると無謀ですけど)やっぱり家族で三浦海岸にも行きました。
最近無くなってしまった油壺マリンパークとかも。
京急の記憶は多分、この時で止まっていて、この入場券一覧にあるいくつかの新しい駅名に
なかなか慣れません。
「京急〇〇」とか「能見台」「新馬場」・・・今はもっと違う名前がありますよね?
「花月園前」が「花月総持寺」とか、「仲木戸」が「京急東神奈川」とか・・・
京急路線を空で言えるのが自慢だったのですけど(鉄道大好きな息子も京急はちょっと苦手)、
おかげでところどころつまずきます。
 
5枚目にちょっと写っていたページをあげそびれました。
「懐かしの回想シーン」と題して、戦前の駅舎や車両がセピア色の写真で載っていました。
小さかった頃、溝の口に住む伯父の家に行く時に、茶色い車両に乗った記憶があります。
何線だったのか全然覚えていないのですが、南武線だったのかなぁ?
でも、この写真の京急は茶色に見えて、きっと本当は赤なんでしょうね。
 
最後にどれを持ってこようかさんざん悩んで、これにしました。
一番長く住んでいるのは嫁いだ今の地ですけど、その次に長かったのは金沢文庫でした。
港南台は僅差で文庫より短かった・・・でも、一番乗った電車は間違いなく通勤・通学に使った
根岸線なので、根岸線にするか京急にするか・・・私の心の中になんかよくわからないけど
「京急愛」みたいなものがあるんですよね。
最近『なぜ「京急電鉄」沿線住民の〈愛線心〉はこれほど高いのか』という記事を読んだのですけど、「京急愛」は私だけではないようで変に安心しました。
残念ながら、記事にある「京急ミュージアム」にはまだ行ったことが無いですが。

少し古い記事だと、こんなものもありました。

タモリ倶楽部の京急回、1度ですが見たことがあります。

まだドレミファインバータが走っていた頃のもので、タモリさん楽しそうでした。

 

これで父の遺品の箱の中身はすべて終わりです。
1月17日から1日1つと決めてUPしてきたので、記念切符は全部で149種、
鉄道以外の9種を含めると158種。
記念乗車券の種類が一番多くあったのは、今日を含めて18種類の「京浜急行」でした。
一時、私は乗ったことどころか存在すら知らなかった「豊橋鉄道」が数を伸ばしていましたが、
国鉄・東京南鉄道管理局と並んで14種類の2位。
4位は営団地下鉄の13種類・・・これは私の通勤場所(新橋)のおかげかと。
テーマを鉄道会社別で作ってあるので、5位以降が気になる方はご自分で見てみてください。
 
一時、番外編と称して、箱の中にあるもののほかに、手持ちの鉄道関連のものもいくつか
あげましたが、息子が先述の伯父にもらったものとか上げられませんでした。
このところバタバタしているので、落ち着いたらふらっとあげるかもしれません。