ちょっと見えたかもしれない。
私のお金に関する前提。
「稼いだら助けてもらえない」。
ぢんさん大好き、
ぢんさんオタクな
きみちゃんです。
(心屋カウンセラー認定(コバマス123期)
エリージアム巣立ちコース修了
潜在数秘術マスター)
今朝、ふと浮かんだ。
私、
稼ぐようになったら
また甘えられへん、
また助けてもらわれへん、
私が助ける人にならなきゃ、
私が支える人にならなきゃ、
私が頑張って何とかしなきゃ
になるなぁと。
それがめちゃくちゃ嫌なんやなー、と。
私のお母さんは
小さい頃から
「お金がないお金がない」
って言ってて、
めちゃくちゃ節約する人でした。
傘も下着も
破れたり壊れたりしたら直して直して
使ってた。
下着を新しく買うのは年に一度。
お正月から新しい下着を付けてた。
(子どもも)
学校行く時も
「お金がないから、絶対に公立行ってな」
とずっと言われてた。
だから、
ホンマにうちは貧乏でお金がないのだと思ってた。
それに加え、父からの
「誰の金で生活してると思ってるんじゃ!!」
の言葉。
アルコールが酷くなってから、言われる頻度も上がったな。
その言葉への反発と、
お金がないお金がないと言い続ける母を助けたい思いとで、
いろいろ省略するけど、
私は1つ目の私立大学を中退し、
2つ目の国立夜間大学に編入し、
(一番はやりたい勉強じゃなかったからやけど)
そこからは
奨学金も借りながら、
自分の生活費と学費は自分で稼いで
やっていった。
その後、国立大の大学院にも行って、
そこの学費、下宿代、生活費等も自分で賄ってた。
それに加え、
研究のために全国を飛び回り(チープな旅やけど😅)、
書籍代、研究会代も自分で賄って来た。
借りた奨学金の額は相当にはなったけれども、
私は効率よく稼げるし、
←稼ぐことに時間を費やしたくなかったので、あくまでも効率よく✨
実際、
そんなにピーピーな状態ではなく、
やりたいことはやり、
行きたいところには行き、
好きな勉強もし、
暮らしていた。
学費を自分で払う前の私立大学時も要領よく稼ぎ、
学費以外の部分は自分で賄っていたと思う。
(食費や水光熱費とかは家には入れてなかったけど、なるべく家計に負担をかけないように、ご飯も外で食べたりしてた)
だから。
きっと、今でも頑張って稼ごうと思ったら稼げるんだと思ってる節もある。
でも。
あの時は
家計に負担をかけないように、
お母さんに負担をかけないように、
何とか家計を(間接的にでも)支えられるように、
お母さんを助けられるように、
私が頑張らなきゃ、
私がお母さんを助けなきゃ、
私が何とかしなきゃ、
私が家計を支えなきゃ、
私が負担をかけないようにしなきゃ、
私だけでも少しでも負担を軽くしなきゃ、
そうやって、
頼まれてもしないのに
家計を背負い、
私が家計を支えなきゃって思い、
私がお母さんを助けなきゃ、
私がお母さんを支えなきゃって思い、
私が足でまといにならないようにしなきゃ、
私が負担をかけないようにしなきゃって頑張って、
なんなら、
私がこの家守るって、
私がお母さん守るって、
そうやって
頼まれてもないのに
親の手を借りずに済むように頑張って来た。
そして、
それが出来てしまった。
そんなに必死感なく、
やりたいことはやりながら、
行きたいところには行きながら、
学びたいことは学びながら、
私には出来る、
私には支えられる、
要領よく、効率よく稼げる、
…実際に本当に、苦なく出来たのだけど、
やっていたのだ。
そこに苦しさも必死感もなかった。
それこそ、楽しみながら稼いでいた。
(嫌な仕事はしないようにしてたし、やりたいことをやる時間は死守したかったので、無理な働き方はしてない)
だけど、
私の心の奥底はどんな感じだったかと言うと、
ずっと
「支えなきゃ」の思い、
責任感、
甘えられない、
私が何とかしなきゃ、
私なら何とかできる、
みんな、私に任せといて、
私が何とかするから、
私があなたを守るから、
私が盾になるから、
私が支えるから、
なんなら、私が食べさせてあげるから、
生活させてあげるから、
私に任せといてーーーーーーーー!!!
私が助けるからーーーー!!!
…出来るからこそ
その思いは強くなり、
行動は強くなる。
ますます出来ていく。
反対に、
ますます人に頼れなくなり、
助けてが言えなくなり、
甘えられなくなり、
背負うものが(本当は)大き過ぎて、
感覚もマヒしていった。
(これだけが理由じゃないけど)
背負っている時、頑張っている時は全く自覚はなかったけど、
かなり張り詰めた状態をずっと過ごしてきたのだなぁと思う。
結婚しても
私は頑張った。
私があなたを幸せにするから、
私がみんなを幸せにするから、
でも、
上手くいかない、
モラハラされる、
心病み、パニック障害になり、
どうにも出来なくなって
(めっちゃ端折るけど)
ようやくぢんさんに出会えて、
被害者やめようと決めて、
いろいろ自分で背負うのもやめようと思って、
パニック障害になったお陰で
人に助けてもらってもいい
も少しずつ許可出来るようになって、
実際に
今は夫にめちゃくちゃ助けてもらってて、
経済的にも
もう私が頑張るのはやめて、
夫にお任せしてて。
でも、
定年問題とか、まだ子どもが学生だったりとかで、
私も何とかしなあかんのかな
の思いが出てき始めたら、
また頑張ってしまいそうな自分が居て。
もう背負うのはごめんだ、
もう自分が何とかしなきゃってなるのはごめんだ、
私がめちゃくちゃ稼いでしまったら、
またあの「責任感」と「重荷」を背負ってしまう。
また私が「助ける人」になってしまう。
私は「助けてもらう人」じゃなくなってしまう。
どうやら、そんな風に思っているようだ。
もう自分一人が背負うのは嫌だし、
助けてもらえなくなるのも嫌だし、
そして何より、
もう頑張れない。
あの時みたいに、子どもの時みたいに、
頑張れない。
背負えない。
嫌だ。
もっと安心して生きていきたいのだ。
ようやく、
人に頼ること、
甘えること、
助けてもらうことを少しずつできるようになり、
「安心」というものを感じつつあるのだ。
それが、
「稼ぐ」ということを引き金に
また
私が頑張らなきゃ、
私が何とかしなきゃ、
私が助けなきゃ、
になってしまって、
あの、張り詰めた状態、
緊張感、
責任感
を感じていくことが嫌なのだ。
もう出来ないし。
もう頑張れないし。
もっともっと甘えて生きていきたい。
もっともっと安心して生きていきたい。
子どもの頃から「子ども」として生きて来れなかった私は、
今からちゃんと守られて生きていきたいのだ。
とそんなことが繋がった感じ。
さて、
ここからどうしていったらいいのかな。(。・_・?)ハテ?