3月5日土曜日、
私の人生で2番目に出会った尊敬する人物、
三重大学大学院恩師の森脇健夫先生の退職を祝う会がZoomにて執り行われました✨
(3番目に出会った尊敬する人物がぢんさんだよー🎶)


舅の四十九日法要の準備等々で参加出来ないだろうなぁ、と思っていたけど、

準備してくださった方々の計らいにより、
飛び込み参加OKにしてくれたので、
用事しながら耳だけ参加、
最後の記念撮影のみ顔出し参加出来ました🎶٩(๑>∀<๑)۶

1991年9月21日(土)大阪教育大学にて森脇先生最後の授業「イルカの上がった日」後の記念撮影

久しぶりに聞く大好きな森脇先生のお話、
とても懐かしかった✨

森脇先生と出会ったことも
私の人生の大きなターニングポイントになってる✨



私は歴史学科から教育学部に編入し直したんやけど、
別に先生になりたくて編入した訳じゃなくて。


私自身が中学校時代不登校(当時は「不登校」という言葉もなく、「登校拒否」と言われていた。拒否してる訳じゃないのにって思ってた)で、

でも、
その時の先生方が本当にいろいろと手を尽くしてくださって、

なんでこんなに人のために動けるのだろう、
ってことが知りたくて、
教育学部に編入した。


そこで出会ったのが森脇先生だったんだけど、

卒論受け持ってもらおうと思ったら、
三重大学に転勤してしまった💦


なので、
三重大学大学院に追っ掛けて行った!!!٩(•̀ω•́٩)≡:



そこからは、先生が
「北陸で面白い授業やってる人がいますよ」
と言ったら夜行バスに乗って北陸に向かい、
←先生は行かず(笑)


面白い研究会がありますよ、
でも、一人で行ってくださいね、
といきなり放り出され(笑)、


北海道で研究会があると言われたら、
北海道に飛び✈
←この時は36時間船に揺られて船で行ったけど🚢


研究会や学会、授業見学の行き帰りに、
いろんなところを観光し、


日本全国を飛び回っていました٩(•̀ω•́٩)≡:



そんな私だったし、こんなキャラだったから、みんなには当然のように

「先生になるんやんなー」
「先生に向いてるよなー」

とか言われてたけど、
自分自身は全く先生になるつもりはなかった。



私には、

私の中学校時代の先生たちのようなことは出来ない、
あんなに、全てを投げ打って(のように見えた)生徒のことを考えられない、

そう思っていたから。



でも、みんなは
「そんなことないよ」
って言ってた。



でも、私は
「そんなことあるよ」
って思って、苦しかった。


そんな中、
森脇先生だけが

「別に先生にならなくてもいいじゃないですか」

って言ってくれた。


自分のこの、苦しい思いも含めて分かってもらえたような気がして、

その気持ちを受け止めてもらえたような気がして、

とても安堵した。



こう考えると、
「そんなことないよ」
って言ってくれる人よりも、

「そうだね」
って受け止めてくれる人に
私は弱いのかもしれん😅



と言いながらも、
いろいろあって、私は小学校の先生になったのだが(๑>؂•̀๑)テヘペロ❤



なってみたら、
毎日がめっちゃ楽しくって、

こんなに毎日楽しいのに、
お金もらっててもいいのか?!
って思うぐらい、楽しかった✨
天職やと思った✨


1992年8月、授業づくりネットワーク水上の前にみんなで観光した時に先生と✨

でも、
中学校時代から続く喉の詰まり感が苦しくて、
小学校のお仕事は
3年で退職してしまった。



土曜日、
久しぶりに先生のお話を聞けてとっても嬉しかったし、
懐かしかったけど、

私の心の古傷が傷んだ。



中途半端に退職してしまった私、
喉の詰まり感でいろんなことを諦めて来た私、


今はぢんさんの話をするのが堪らなく好きだけど、

それと同じぐらい、
私は教育について語るのも大好きなのだ。


20数年ぶりに、
地元で「なにかし堂」という場を見つけ、

そこで一昨年、
教育談義に花を咲かせた時、
めちゃくちゃ心踊って居たのだ。


本当は、
ずっと教育の世界にいたかったな、

教育の世界に携わっていたかったな、

それが教職という形かどうかは分からないけど。

親として学校と関わる中で、
いろんな思いもしてきたし。



だけど、
やっぱりやりたかった、
やりたい?という思いが、

先生や研究室の後輩たちの話を聞いていたら、胸の奥からじわじわと溢れ出して来て、
かなり切なくなって来た。


私は、どうして行きたいのかな。


後悔のないよう、
やっていきたいな。


ぢんさん大好き、
ぢんさんオタクな
きみちゃんでした。
(心屋カウンセラー認定(コバマス123期)
エリージアム巣立ちコース修了
潜在数秘術マスター)

 



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