3月5日土曜日、
私の人生で2番目に出会った尊敬する人物、
三重大学大学院恩師の森脇健夫先生の退職を祝う会がZoomにて執り行われました✨
(3番目に出会った尊敬する人物がぢんさんだよー🎶)
舅の四十九日法要の準備等々で参加出来ないだろうなぁ、と思っていたけど、
準備してくださった方々の計らいにより、
飛び込み参加OKにしてくれたので、
用事しながら耳だけ参加、
最後の記念撮影のみ顔出し参加出来ました🎶٩(๑>∀<๑)۶
久しぶりに聞く大好きな森脇先生のお話、
とても懐かしかった✨
森脇先生と出会ったことも
私の人生の大きなターニングポイントになってる✨
私は歴史学科から教育学部に編入し直したんやけど、
別に先生になりたくて編入した訳じゃなくて。
私自身が中学校時代不登校(当時は「不登校」という言葉もなく、「登校拒否」と言われていた。拒否してる訳じゃないのにって思ってた)で、
でも、
その時の先生方が本当にいろいろと手を尽くしてくださって、
なんでこんなに人のために動けるのだろう、
ってことが知りたくて、
教育学部に編入した。
そこで出会ったのが森脇先生だったんだけど、
卒論受け持ってもらおうと思ったら、
三重大学に転勤してしまった💦
なので、
三重大学大学院に追っ掛けて行った!!!٩(•̀ω•́٩)≡:
そこからは、先生が
「北陸で面白い授業やってる人がいますよ」
と言ったら夜行バスに乗って北陸に向かい、
←先生は行かず(笑)
面白い研究会がありますよ、
でも、一人で行ってくださいね、
といきなり放り出され(笑)、
北海道で研究会があると言われたら、
北海道に飛び✈
←この時は36時間船に揺られて船で行ったけど🚢
研究会や学会、授業見学の行き帰りに、
いろんなところを観光し、
日本全国を飛び回っていました٩(•̀ω•́٩)≡:
そんな私だったし、こんなキャラだったから、みんなには当然のように
「先生になるんやんなー」
「先生に向いてるよなー」
とか言われてたけど、
自分自身は全く先生になるつもりはなかった。
私には、
私の中学校時代の先生たちのようなことは出来ない、
あんなに、全てを投げ打って(のように見えた)生徒のことを考えられない、
そう思っていたから。
でも、みんなは
「そんなことないよ」
って言ってた。
でも、私は
「そんなことあるよ」
って思って、苦しかった。
そんな中、
森脇先生だけが
「別に先生にならなくてもいいじゃないですか」
って言ってくれた。
自分のこの、苦しい思いも含めて分かってもらえたような気がして、
その気持ちを受け止めてもらえたような気がして、
とても安堵した。
こう考えると、
「そんなことないよ」
って言ってくれる人よりも、
「そうだね」
って受け止めてくれる人に
私は弱いのかもしれん😅
と言いながらも、
いろいろあって、私は小学校の先生になったのだが(๑>•̀๑)テヘペロ❤
なってみたら、
毎日がめっちゃ楽しくって、
こんなに毎日楽しいのに、
お金もらっててもいいのか?!
って思うぐらい、楽しかった✨
天職やと思った✨
でも、
中学校時代から続く喉の詰まり感が苦しくて、
小学校のお仕事は
3年で退職してしまった。
土曜日、
久しぶりに先生のお話を聞けてとっても嬉しかったし、
懐かしかったけど、
私の心の古傷が傷んだ。
中途半端に退職してしまった私、
喉の詰まり感でいろんなことを諦めて来た私、
今はぢんさんの話をするのが堪らなく好きだけど、
それと同じぐらい、
私は教育について語るのも大好きなのだ。
20数年ぶりに、
地元で「なにかし堂」という場を見つけ、
そこで一昨年、
教育談義に花を咲かせた時、
めちゃくちゃ心踊って居たのだ。
本当は、
ずっと教育の世界にいたかったな、
教育の世界に携わっていたかったな、
それが教職という形かどうかは分からないけど。
親として学校と関わる中で、
いろんな思いもしてきたし。
だけど、
やっぱりやりたかった、
やりたい?という思いが、
先生や研究室の後輩たちの話を聞いていたら、胸の奥からじわじわと溢れ出して来て、
かなり切なくなって来た。
私は、どうして行きたいのかな。
後悔のないよう、
やっていきたいな。