出しゃばってる私、
いらんこと言いな私、
そんな私に✕を付けて来ました
ぢんさん大好き、
ぢんさんオタクな
きみちゃんです。
(心屋カウンセラー認定(コバマス123期)
エリージアム巣立ちコース修了
潜在数秘術マスター)
滅多に出てこない感覚なんやけど、
「私なんてお呼びじゃない」
って感覚も出てきた。
上手く言えないんやけど、
大概の場所では、
求められてる感じがするというか、
役に立ってる?感じで自分が成り立ってる感じがするというか。
だけど、
全く自分が求められてない(と感じる)場では
「私なんかが」出しゃばっちゃいけない、って。
そんなの、求められてないって感じの感覚が出てくる。
(いつもは「私なんかが」はほぼほぼ出てこない。
自分が「求められてない(と感じる)」場で、激しく出てくるのだ。
そう感じる場所自体にも滅多にいないのだけども。)
大抵は役に立ててるのに、役に立てない、
ごめん、役立たずでって感じ。
いたたまれなくなる。
ごめん、求めてもいられてないのに、ここに居てごめん、って感じ😭
求められてない私には生きる価値なしって
自分で思ってるのかもしれん。
役に立ててる、求められてる、
そこにのみ、
自分の価値を見出して来てて、
それだけやってきて生きてきたような気がする。
だから、
役に立てない、
求められていない場面があると
とても居心地が悪い。
いたたまれなくなる。
そこに私が存在していてはいけない気持ちになるのだ。
いや、
その場にだけではなく、
私という存在そのものが
この世に存在していてはいけない気になるのだ。
(大袈裟に聞こえるかもしれないけど、マジでそんなふうに思ってしまって、モヤモヤする)
そんな気持ちを
先日、超久しぶりに味わう場があったのだ。
超久しぶりというのは、
如何にそれ以外の場で
人の役に立つことに力を注いでいて
その気持ちを味わわないでいられるように
無意識でしているかということでもあるけど。
役に立つ私だからこそ、
存在してていい。
役に立つ私だからこそ、
生きてていい。
無意識ではあるけれど、
そう固く固く信じて握り締めて
生きて来たみたいだ😭
そんな私自身の思い込みを手放し、
「役に立たなくても存在してもいい」
「役に立たなくても生きてていい」
「役に立たなくても愛されてる」
「役に立たない私だからこそ、
愛される」
それを自分にインストールするためにも、
「役に立たない」
をやる。
役に立たなくても愛される、
役に立たなくても居てもいい、
それを体感していく✨
幸い、
仲間がいる。
仲間たちの胸を借り、
(苦手な)甘えるをやらせてもらって、
「役に立たない」
をやらせてもらおう✨
出しゃばりで
お節介で
いらんことしぃで
いらんこと言いな私を
そのまま出していこう✨
出さんとこう出さんとこうとするのではなく、
そんな私をガリガリ出していこう✨
(こ、こ、こえーーーー💦)
でも、
「役に立たない」、難しい💧
ホンマに無意識でやってるから、
自分で書いといてアレやけど、
どの行動が「役に立とうとしている」行動なのか、
それすらも分からない💦
人に話しかけるのも、
話しかけたくて話しかけてるのもあるから、
その線引きが自分でも分からん💧
でも、
「役に立たない自分になってみる」が肝なんやろなー、
ということはぼんやり感じる😵
そして、
出しゃばってもいいーーー!!!
いらんこと言うてもいいーーーー!!!
いらんことしてもいいーーー!!!
自分ばっかり目立ってもいいーーーー!!
自分ばっかり楽しんでもいいーーー!!!
それをやってみる。
嫌われるかもしれん。
鬱陶しがられるかもしれん。
でも、
嫌われんかもしれん。
鬱陶しがられんかもしれん。
誰も気にしてないかもしれん。
めっちゃ嫌がられるかもしれん。
どうなるか分からん。
怖く思ってるのは妄想。
自分がそんな自分を認め、許し、
そして、そんな自分を存分に出していってみようか。
こ、こ、こえーーーーー!!((((;゚Д゚)))))))