夜の新幹線は何も見えないなーと思ってたけど、東京タワーがキレイに見えるんやね✨🗼
今日昼前、とってもお世話になったお義父さんが亡くなりました。
私は基本的に男の人の声が怖いので、(滅多になかったけど)声を荒らげたりする時は怖かった。
だけど、私がパニック障害と鬱で家から一歩も出られなかった時、家の中ですら、手の届くところに人が居ないと怖くて怖くて堪らなかった時、5年にも亘って、お義母さんを私の元に送ってくれた。
その間、お義父さんは一人で暮らしてくれてた。
ちょっと動けるようになってからは、これまた、福山の夫の実家で何ヶ月も世話になった。
何もせずに、ずっと窓から見える山を眺めていた。
その時もお義父さんはゆっくり休ませてくれた。
そうやって、私の心と身体は少しずつ回復していった。
10年半に及ぶ別居明けに挨拶に行った時も、何も言わず、私を迎え入れてくれた。
無口な父だったけど、一緒にショッピングに行った時、スーパーでホットコーヒーを買ってくれた。
それがとっても嬉しかった。
そこからコロナが大流行りになって、1年9ヶ月、会えなかった。
持病もあったし、田舎は東京もんが行くだけで村八分にされるので、会いたくても会いに行けなかった。
第5波が収まって、様子見ながら、年末年始に3日間だけ会いに行った。
これで大丈夫そうなら、今度はもっと長く帰ろうと思っていた。
お義父さんも、とても嬉しそうにしていてくれた。
今度はもっとゆっくり帰ってきますね。
そう言って、1月2日に別れを告げた。
第6波が収まったら、必ず会いに行こうと思ってた。
今度はたくさん泊まらせてもらおうと。
でも、その時は来なかった。
朝まで元気だったらしい。
本当に急だった。
でも、その分、苦しまなかったのかな。
お義父さん、ありがとう。
今、会いに向かってるからね。
本当にいろいろありがとう。
私が今、生きているのは、お義父さんとお義母さんのおかげです。
あの時の助けがなかったら、私は死んでたと思う。
あーーー、悲しいなぁ。
悲しいなぁ。
悲しいよぉ。
もう一回、話がしたかったなぁ。
年末年始、もっと長く居れば良かったなぁ。
悲しいなぁ。
寂しいなぁ。
ありがとう。
いっぱいいっぱい、ありがとう。
こんな私を、受け入れてくれてありがとう。
子どもたちを可愛がってくれて、ありがとう。
夫を産んでくれてありがとう。
あの子たち、いい子でしょ。
おじいちゃんの孫やからね。
12年前の1月3日、
私の父親が亡くなりました。
父が亡くなったと聞いた時、
私は心の底から嬉しかった。
もうこれで、
父に恐ろしい思いをさせられることはないのだ、と。
もうこれで、
父に迷惑掛けられることは無くなるのだと。
もうこれで、
父の尻拭いをすることはないのだと。
本当に嬉しかった。
前日まで酒飲みまくりで、
妹の旦那さんがいる前でも
平気で失禁しながらクダを巻いてた。
夜中でも叫び回ってた。
糞尿垂れ流してた。
酒飲んだまま、車運転してた。
お金盗んで、酒飲みまくってた。
本当に
やっとこんな生活から抜け出せるのだと
心の底から喜び、安堵した。
亡くなった時は
酔っ払って、そのままお風呂に入って、
ご機嫌で歌を歌って、
静かになったなぁと思ったら、沈んでたらしい。
手間のかからん亡くなり方はした。
でも、 その直前まで酒飲んでクダ巻いて、失禁して、ホンマに迷惑やったな。
本人は
酒で〇んだら本望じゃ!!
と常日頃から言っていたので、お酒で〇ねて幸せだったのでしょう。
父の時は
亡くなった時はこんなに悲しくなかった。
でも、今はお義父さんが亡くなって
とても寂しい。
でも実父は三が日に亡くなったので
焼き場がいっぱいでなかなか葬儀出来ず、
数日間、家で寝てました。
そうしたら、
黙って、酒も飲まず、クダも巻かず、失禁もせず、
静かに眠ってる父と何日間か過ごしたら、
昔の
優しかった父をうっかり思い出してしまって、
うっかり、いい記憶が蘇ってしまった。
ずるいやっちゃな。