ホンマにそう。

心がスネスネの時は
「ない」ばっかり見てる時。   


「ある」のに
「ある」が全く見えなくなっている時。



心屋大好き心屋オタク
エリージアム巣立ちコース修了
潜在数秘術®マスター
アロマボイジャーセラピスト、
 
「ある」を見るリハビリ中の
きみちゃんです。

一昨日、
お風呂の中で昔のことを思い出してたら…


いろんな「してもらったこと」を思い出してきてね。



「ないないないない」
って思い込んで

勝手に淋しくなって
勝手に悲しくなって
勝手にひとりぼっちやと思い込んで
勝手に拗ねまくってたけど


あんなにいろんなことしてもらってたなぁって。

あんなにいっぱい助けてもらってたなぁって。

あんなにいっぱい愛をもらってたなぁって。




大好きな友だち、

だけど、
大好きが故に


変わってしまったような気がして
淋しかった。

私のことなんてもうどうでもいいように思われているような気がして
悲しかった。

もう私のことなんて見てくれてないような気がして、
淋しかった。


私が勇気を振り絞って話したことを
スルーされたような気がして
あー、やっぱり私のことなんてどうでもいいんや、
やっぱりもう私なんて要らん存在なんや、


(めっちゃ恥ずかしいこと書くで💦)
私はあれだけ話を聞いてきたのに、
私が勇気を振り絞って話した話には
何の反応も示してくれへんのや、

私は話聞いてきたのに、
私のことは誰も話を聞いてくれへんのや、
私のことは誰も助けてくれへんのや…
(ほんま、めっちゃ恥ずかしい💦)



そう勝手に受け取ってしまって、
いじけて
拗ねて
腹が立って
悲しくて
淋しくて
悲しくて
淋しくて
悲しくて
淋しくて…


心の扉をシャットダウンしてしまった(´TωT`)




でも、
お風呂の中でいろんな昔のことを思い出していってた。
(今も書きながら泣いてる)


そしたら、

私ばっかり

って思ってたけど、

私も
いっぱいいっぱい
いろんなことを助けてもらってた。



あの時は話を聞いてもらえなかったと思ってたけど、

もっともっと昔、
毎日毎日がいろんなことでしんどかった時、
毎日毎日話を聞いてもらってた。


長男が入院してた時に三男も嘔吐発熱した時、
動揺する私をなだめてくれて
私が安心するように
夜間に一緒に病院に付いてきてくれた。


私が腰が痛くてあまり動けなくなった時、
段ボール箱2箱分もの食料と水を買ってきてくれて、
しかも、
調理しなくても食べられるような食料を買い込んでくれて、
「これで動かなくても済むやろ♪」
って言って持って来てくれた。


三男が学校に行かなくなった時も
毎日のように家に遊びに行かせてくれた。



いっぱいいっぱい
いろんなものを受け取ってた。
いろんなものを与えてもらってた。



それを思い出したら
涙が溢れて止まらなくなった。

*****
私がいじけたその時もきっと
いろんな形でもらってたのかもしれない。

だけど、
自分の思う形じゃないから

「何ももらってない」
「何ももらえてない」
って

「ないないないない」
言うて
拗ねまくってた。
超いじけまくってた。


昔に「してもらってたこと」
をぜーーーーんぶ忘れてた。


でも
自分が「してあげた」ことだけは忘れてない。
(あーーー、めっちゃ恥ずかしい💦)



だから、
私はこんなにしてあげたのに!!
私には何もしてくれない!!
どうせ私はひとりぼっち!!!
って余計にプリプリしてしまってた…
(ホンマに恥ずかしい。ごめんなさい🙏)



拗ねはまだまだある。
拗ねてることでメリットもある。


だからきっと
また私は
「どうせ私なんて!!!!」
って拗ねちゃうんだと思う。


でも、
めっちゃ時間は掛かるけど、
こうやって気付けるようになってきた。


気付く度に恥ずかしくなって、
気付く度にあちゃーーーー💦ってなって、


でも、
今回みたいに涙が溢れるぐらいに
その時の出来事を思い出せた時
心がとっても暖かくなる。



あーーー、
こんなにもしてもらってた。
あーーーー、
こんなにも大切に思ってもらってた。
あーーー、
こんなにも愛されてた。
って。

*****

まだまだ怖い。
傷付くのが怖い。
やっぱりひとりぼっち、を感じるのが怖い。
見捨てられるのが怖い。
嫌われるのが怖い。


だから
拗ねたりいじけたりもするだろう。


それを感じるのが怖いから
相手を悪者にして。



拗ねたい時は思いっきり拗ねまくる。
いじけたい時は思いっきりいじけまくる。


無理に拗ねないように、いじけないようにっていう軌道修正はしない。



だけど、
こうやってまた「ある」に気付いて
涙して
「そうじゃなかった」
って気付いていく。




こうやって、
「どうせ愛されてる」
それをちょっとずつちょっとずつ
自分の中にインストールしていくのだ。