ふと
トイレで気張ってしまったことから頭が痛くなって、
そこから妄想劇場の始まり。
友だちのお母さんのように、
脳の血管が切れて
死んでしまうんじゃないか…
その妄想に囚われたら最後、
不安も高まるので
吐き気も催してくる。
頭痛+吐き気→最悪の結果を想像…
怖い怖い怖い…
過呼吸気味になっているのか、
手先が冷たくもなって痺れる。
明日の約束もある。
関係各所に連絡したり、
ナースの友だちや
何かあったら飛んで行ったるで
と言ってくれる友だち、
私の現状をよく知ってくれてる友だち、
心の友だち…
いろんなところにSOSを発信する。
ありがたいことに
みんな理解してくれて
みんな力を貸してくれる。
中学校の時、
パニック障害の手前みたいな症状に苦しみ、
学校に行けなくなった。
その時も
たくさんの友だちや先生に助けてもらった。
助けてもらわなくちゃ
生きていけなかった。
15年前にパニック障害になってからも
姑をはじめ
多くの人に助けてもらってきた。
やっぱり
助けてもらわなくちゃ
私は生きていけなかった。
それでも、
中学校時代も
パニック障害になってからの数年間も
助けてもらわないと生きていけない私は、
申し訳なくて申し訳なくて、
恐縮しまくってた。
罪悪感がどんどん募っていってた。
ずるいところのある私、
汚い思いのある私、
そこを
正しい私にして、
クリーンな私にしないと
人から助けてもらっちゃダメだと思ってた。
汚い私のまま、
ずるい私のまま助けられちゃいけないと。
でも
変われない私はダメで。
✕✕✕。
そして。
私自身に対しては
人の助けをもらわないと生きていけない
情けないやつ…
ダメなやつ…
と✕✕✕を付けてきてた。
だから、
助けてもらってても
とっても苦しかった。
ありがたさもあったけど、
申し訳なさでいっぱいだった。
恐縮する思いと
申し訳なさとで
助けてくれてた人たちの気持ちを
受け取れてなかった。
受け取り拒否してたなぁ。
そして、
ずっと
ダメダメな自分を
情けない自分を
責め続けていた。
無意識に。
今の自分は何が違うか。
ようやく、
ようやくやけど、
恐縮する思いがなくなったというか。
申し訳ない、
こんな私でごめんなさい、
という思いではないというか。
ありがとう。
助けてくれて
本当にありがとう。
自分を責める気持ちではなくて、
ただひたすら、
相手に対して「ありがとう」やねん。
助けてくれて、ありがとう。
気に掛けてくれて、ありがとう。
こういう形で
愛してくれてありがとうって感じで。
ようやく、
助けてくれてる人たちの気持ちを
そのまま受け取れるようになった感じ。
もちろん、
迷惑も掛けてるかもしれんけど、
それが申し訳なくて、
恐縮してしまってって感じじゃなくて、
迷惑すらも受けとめてくれてありがとうって。
…もしかしたら
迷惑とも思ってないかも…???
(自分のことで考えたら、
その人たちに何かされても
迷惑とか思わないなって。)
なんか、
今までも助けてもらってきたけど、
恐縮しながら、
申し訳ないと思いながら助けてもらってたら、
本当の意味での相手の思いを受け取れてなかったのかもしれないな、
と
ようやく40年近く掛かって
感じられるようになったかもしれない。
「世界は自分が思っている以上に優しい」
これが本当の意味で
ようやく感じられるようになってきた気がする。
そしたら、
見える景色が全然変わってきたよ(*´ー`)
私を助けてくれてる
たくさんの人たち、
本当にありがとう(*´ー`)
いっぱい助けてくれて、
いっぱい優しさを与えてくれて、
本当にありがとう(*´ー`)
ダメダメな私、
情けない私でもいいんだなぁ
ということの意味が
ようやく
ちょっぴり分かってきたよ(*´ー`)