タイトル---過ぎたるは猶及ばざるが如し。第1342号 24.8.27(月)
通常、聞きならされた言葉ですが、今朝の学問館の勉強の際出てきました。
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子貢問う。「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師は過ぎたり。商は及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈(まさ)るか」子曰く、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」 (『論語』先進第十一)
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〔通釈〕 子貢が「師(子張)と商(子夏)とは、道を修める上においてはどちらが勝っておりますか」と尋ねました。孔子が言うには「師は過ぎている。商は及ばない」。子貢は過ぎたのは及ばないのより勝っていると思ったから、「そうしますと師の方がまさっておりますか」と尋ねました。孔子が、「過ぎたのは及ばないようなものだ」と。
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孔子は、常に中庸を最高なりとして、過不足等しくよくないとされているのであった。賢者の過ぎたのは愚者の及ばないのに比べ勝っているわけであるが、ともに中庸を失っていることは同じであるという観点に立てば、どちらも過不足であるということである。
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〔コメント〕 今朝の『読売新聞』38面に、「修了のメリット少なく」、教職大学院、教委も効果に懐疑的という記事が掲載されています。
名古屋大学の安彦忠彦・名誉教授は、「教員の実践的指導力の養成が目的であれば、教職大学院だけにこだわる必要はない」と語る、とされています。
学歴の乏しい私が論ずるのは一瞬気がこ引けますが、大学院の学生に負けないくらい二十年以上の間学問をしてきた私に言わせると、多くの古典等々を教材にし、森信三先生の『修身教授録』にある学問内容を導入・踏襲して欲しいと念願します。
今の政治家の現状を拝見し、真に日本国家を考えているでしょうか、憂えているでしょうか、疑問に思うのです。彼らが考えているのは保身だけとは言いませんが、それが最優先されているような気がするのです。
支持率が最低ということは、速く退陣してください、という国民の悲壮な声なのです。
今朝の読売新聞の「編集手帳」には、マニュフェスト等々よく見極めよという風な書き方をしていますが、その必要もあるが、それよりか作家・渡辺淳一氏が提唱するように、「橋下くん」にさせてみたらいいのです。
少なくとも、現今の既成政党よりか遥かに良いという評価が降されると信じています。
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.顔淵の死に子は過度に悲哀せり
弟子は同じぞ公平であれ 1151 論語
君子とは事に臨みて対応し
事過ぎざれば執着はなし 1148 菜根譚
商いの極意客から信用を
得て利益をば上げる事なり 1144