葬儀場に関する最高裁判決が出た
「逆転敗訴」
この問題に関しては多くの問題があると思う
もちろん居住する環境を良くしたいと思うのは人間だれしもある
目の前で毎日お葬式があり、黒い服でウロウロされれば気が滅入るだろう
悲しみにくれる人の横で笑うことも躊躇うだろう


しかし、その一方で人は必ず死ぬ
昔と違い今は葬儀を会社にまる投げする
会社を省いて葬儀をすることはまずないだろう
目の前にある「迷惑な」葬儀社を使わなくても何処かの世話になるだろう
それとも自力で葬儀をするのだろうか?
高齢化し、離れた場所の葬儀場へ行きにくくなる
結果、住宅街に葬儀場が出来る
私の知っている限りでは、結婚式場の前の葬儀場や飲食店の前の葬儀場がある


都合よく生きているからこういう問題が起こってくる
これは沖縄の基地問題にも通じる気がする
自分に都合の悪いものは排除し、都合の良いものだけ受け入れる
その根幹にあるのは、「死」
アンチエイジング、長寿社会という問題で「死」というものに目を瞑るからこういう問題が起こる


家の近くにも葬儀場がある
出来るまで、全く気付かなかった
説明会も無かった
出来た以上は文句を言っても仕方ない
(1度言いましたけど)
それとどう付き合うかだ
なかなか出来ないが、こちらの土俵に引きずり込む
それがベストだと思う



今日の結論
「それにしても、最近、葬儀場がやたら目につくな」