「あだ名にその人の歴史あり。」

あだ名を辿ればその人がどのような人で、どんな道を歩んできたのかを少なからず読み解くヒントになるように思います。


僕のあだ名はいたって普通。

苗字の頭に「さん」とか「ちゃん」を付けただけのシンプルなあだ名です。

小学校の低学年の頃は「ちゃん」だったのが、気づいたら「さん」に変わっていたのが未だに不思議で仕方ありません。

一体、誰が「さん」に変えたのか今ではわかりませんが、あだ名には必ず最初に呼び始めた名付け親がいるのは当たり前のことですよね。

その名付け親の何気ない思いつきやセンスを背負って生きていかなきゃならないことを考えると、あだ名をつける人は重要な役割を担っているわけです。

今では普通に呼んだり、呼ばれていても、始めは違和感があったり、定着するのに時間がかかりますよね。

なかには、定着せずにホンの一瞬で消えていくあだ名もあります。

考えてみると、オーソドックスな形なのが、苗字なり、名前から由来するもの。

苗字や名前の後に「○○ちゃん」や「○○さん」、「○○ッチ」とか、「○○チン」が付くタイプですね。

あと、のりぴーに影響されたのか「○○ぴー」なんてのもあります。

僕の友達には「○○コ」が付く人もいます。

本当に様々な言葉が後ろに付くもんです。

次に多いのが、キムタクに代表されるように、名前を略したりする形でしょうか。

松平健のマツケン。後藤真希のゴマキ。

これは、略してもキレのよい響きにならない人の場合はイマイチになりがちです。

また、特定の名前の人が呼ばれるあだ名もありますね。

例えば、キョウコさんが「○○キョン」とか、ミホさんが「ミポリン」、最近ではミキさんが「ミキティ」とか。

これは言うまでもなく、アイドルや芸能人がマスコミュニケーションなど間で親しまれている愛称から由来されていますよね。

これまで挙げたあだ名は名前を聞けば、少なくとも呼ばれている理由がわかります。

けれども、悲しくも長い年月であだ名が変化して、他人が聞いても全くもって意味が通じないのも珍しくないです。

他には見たまんまのイメージで付けられたり、誰かに似ているからという理由で付けられたあだ名もありますよね。

『太陽にほえろ』のスニーカーとかGパンとかですね。

よく耳にするものとしては、メガネをかけているから「メガネ君」、重そうなバッグを背負っていたら「亀仙人」。。

劇団ひとりに似ていれば「ひとり」とか、武蔵丸のそっくりさんで「武蔵丸」というのもそうです。

プードルに似ているから「プードリアン」になると無駄に語尾が変化する活用まで飛び出します。

形は違えど似たようなケースとしては、日常のエピソードから発生したもの。

例えば、好きな娘のリコーダーを舐めた少年が「リコーダー仮面」って呼ばれていたのを覚えています。

でも、こういうあだ名はどこか皮肉というか、カラカイの念が少なからず込められているように思います。

それは、決してネガティブな表現だけでなくポジティブな表現であっても同様だから難しいところなんですよね。

一番いいのは、その人が呼ばれたいあだ名で呼んであげることなんでしょうが、個人的にはあだ名は他人が付けるものであって、自分で呼んでくれと頼むものではないと思ったりします・・・。

ましてや、そういうあだ名に限って、その人に合わないものであったりするんですよね。

菊川怜が高校時代にレイチェルって呼ばせていたと聞いたことがありますが、意味わかりません。

親しみを持たせるためや、お互いの距離を短くするのに付けているあだ名だからこそ、そこには人間関係を探るための深いヒントが隠れたりするんです。
そういう意味では、あだ名はコミュニケーションを築く上で重要な位置づけにあるんですね。

そして、築くだけでなくその場の人間関係、雰囲気を読むのにも大いに役立つことは言うまでもないです。

まぁ~、少なくとも仲の良い友達に「うんち君」なんていうあだ名を付けないでくださいね。

何年経っても根にもたれますから(笑)

ていうか、俺が名づけたんじゃないんだけどな~。