さゆ「さゆみのこと好きな男の子がいてさゆみのこと“みちし原人”って言ってた」
れな「あー それは好きな子の気を引こうとしとうとよ」
れな「男子は好きな子にはイジワルしたくなるったい」
さゆ「でもさゆみはみちし原人って言うからその子のことは嫌いだった」
映画「北京原人 Who are you?」は1997年12月20日公開である。すなわちさゆは当時8歳で小学3年生だ。
おそらく、さゆに惚れていたこの輩はこの映画にちなんで、みちし原人と言ったと思われる。さゆと同い年の僕も、見たことないのにこの映画はなぜか記憶に残っているくらいだから、それなりに話題になっていたのだろう。まあ、小学生にとって原人という得体のしれないものに少し好奇心を抱いたという程度だが。
さて、さゆが好きなのにちょっかい出していたこの小僧を、仮に常盤君と呼ぶことにして、このエピソードから
考えられる彼のゾッコンぶりを暴きたい。
まず、常盤君が北京原人というワードから即座にさゆに無理やりこじつけたところから、普段の生活の中で常にさゆのことを考えていたことがわかる。「げ」にしか共通点がなくかなり無茶であるため、僕の計算では94%の時間がさゆのために注がれていたことになる。かなりのキモヲタぶりである。さて、ここで注目したいのが、当時さゆに友達がダンゴ虫しかいなくて人間の友達がいなかったという事実である。つまり、さゆはクラスの中でも決して目立つ存在ではなく暗い感じの女の子だったというわけだ。かなり脚色されてはいるがネクラであったことは間違いないと思う。釣られているかもしれんが。一般に、男子がちょっかいを掛けるのは、えてして活発な明るい子である。
さゆのような系統の子には何となく攻撃禁止のタブーが暗黙のうちに了解せられている。したがって、常盤君がさゆに突貫した行為というのは、こういう空間をぶっ壊すもので、ちょっと気になるからちょっかいかけた、という単純な結論に終わってはならないのである。
では、常盤君の突撃はなんだったのか。どういう意味があったのか。タブーが問題になる。
まず考えられるのは、彼がタブーも何も気にしない常盤君トンデモ君説である。しかし、この説は残念ながら瞬殺される。なぜならまず、夢がない。そして、爆発していると、さゆをかわいいと思ったり惚れたりしないし、ヲタとしての資格を書いているからだ。
次は、常盤君が、タブーを無視してまでも突っ込むほどさゆが好きで仕方がなかった、という、好きすぎてバカみたい説である。なるほど、この説は、一見説得力がある。しかし、いくらさゆが好きだとしても、破壊力が凄まじいし、仮に失敗した場合の双方の被害が甚大であるため、これを敢行するには、余程の勇気が必要どころか、狂っていないと到底できない。よって、先の説と実は同じであることが分かる。
最後に、残るのは、常盤君の半分はやさしさ説である。すなわち自分半分、さゆ半分ということである。どういうことかと云うと、彼の行動にはどうも、自己中心的な匂いがしない、むしろ、利他の精神があるのではないか。もっと具体的に言うと、さゆをみちし原人とからかうことで、クラスの関心をさゆに集め、クラス共同体に参加させて、めちゃモテ委員長にしようとしたさゆを想うやさしい気持ちがあったのではないかということである。これは、かなり説得的な説だ。タブー破壊の説明をしている。我々はこの説をとるべきである。
さて、常盤君の半分がやさしさでできていることが分かったところで、突貫のその後を考えたい。中学に入って初めて人間の友達ができたという、さゆの証言からすると、完全に彼の作戦は失敗している。彼のやさしさは全く伝わらず、逆に嫌われてしまうという、裏目にでる結果となった。いまだに嫌われているくらいだから、小学校・中学校と彼は辛酸をなめたに違いない。義理チョコも貰ってないだろう。そして、図らずも、来年の成人式はさゆに出る意思はあるものの、悲しいかな、ハロコンが重なっているため、出席できない。したがって、再会して詫びることもできない。さゆの心の中では嫌いな常盤君というイメージが半永久的に確定してしまった。しかも、公衆の面前で暴露されるという始末。しかし我々は、彼に心から惜しみなく賛辞を送らねばならない。絶対に笑ってはいけない。自らの身は省みず万死恐れずさゆのために理解すらされず散った常盤君を。
正直、僕は当初、彼を、リコーダー舐め、水着を盗む、教科書を窓から投げ捨てる、墨を筆先から飛ばして服を汚す、背中にバッタを入れる、などの狼藉を働く変態的不届き者だと思っていた。だが、どう考えても、そういうことはあり得ないのである。通学路に変質者が出没しているから、かわいい子は気をつけるようにと、担任に言われ警戒していたさゆであるが、おそらく、常盤君は、往路復路ともにひそかに陸上警備行動に出ていただろう。長州一の快男児であった。七生報さゆの心意気である。
前の音楽戦士でさゆの8才のときの写真が出たが
勿論可愛いが
それより逞しく凛々しくて
隼人かと思ったw
このさゆに目を付けた常盤君はお目が高い
ちょwおはスタで寺田が声優やってるwしかも下手すぎるwクソワロタw
れな「あー それは好きな子の気を引こうとしとうとよ」
れな「男子は好きな子にはイジワルしたくなるったい」
さゆ「でもさゆみはみちし原人って言うからその子のことは嫌いだった」
映画「北京原人 Who are you?」は1997年12月20日公開である。すなわちさゆは当時8歳で小学3年生だ。
おそらく、さゆに惚れていたこの輩はこの映画にちなんで、みちし原人と言ったと思われる。さゆと同い年の僕も、見たことないのにこの映画はなぜか記憶に残っているくらいだから、それなりに話題になっていたのだろう。まあ、小学生にとって原人という得体のしれないものに少し好奇心を抱いたという程度だが。
さて、さゆが好きなのにちょっかい出していたこの小僧を、仮に常盤君と呼ぶことにして、このエピソードから
考えられる彼のゾッコンぶりを暴きたい。
まず、常盤君が北京原人というワードから即座にさゆに無理やりこじつけたところから、普段の生活の中で常にさゆのことを考えていたことがわかる。「げ」にしか共通点がなくかなり無茶であるため、僕の計算では94%の時間がさゆのために注がれていたことになる。かなりのキモヲタぶりである。さて、ここで注目したいのが、当時さゆに友達がダンゴ虫しかいなくて人間の友達がいなかったという事実である。つまり、さゆはクラスの中でも決して目立つ存在ではなく暗い感じの女の子だったというわけだ。かなり脚色されてはいるがネクラであったことは間違いないと思う。釣られているかもしれんが。一般に、男子がちょっかいを掛けるのは、えてして活発な明るい子である。
さゆのような系統の子には何となく攻撃禁止のタブーが暗黙のうちに了解せられている。したがって、常盤君がさゆに突貫した行為というのは、こういう空間をぶっ壊すもので、ちょっと気になるからちょっかいかけた、という単純な結論に終わってはならないのである。
では、常盤君の突撃はなんだったのか。どういう意味があったのか。タブーが問題になる。
まず考えられるのは、彼がタブーも何も気にしない常盤君トンデモ君説である。しかし、この説は残念ながら瞬殺される。なぜならまず、夢がない。そして、爆発していると、さゆをかわいいと思ったり惚れたりしないし、ヲタとしての資格を書いているからだ。
次は、常盤君が、タブーを無視してまでも突っ込むほどさゆが好きで仕方がなかった、という、好きすぎてバカみたい説である。なるほど、この説は、一見説得力がある。しかし、いくらさゆが好きだとしても、破壊力が凄まじいし、仮に失敗した場合の双方の被害が甚大であるため、これを敢行するには、余程の勇気が必要どころか、狂っていないと到底できない。よって、先の説と実は同じであることが分かる。
最後に、残るのは、常盤君の半分はやさしさ説である。すなわち自分半分、さゆ半分ということである。どういうことかと云うと、彼の行動にはどうも、自己中心的な匂いがしない、むしろ、利他の精神があるのではないか。もっと具体的に言うと、さゆをみちし原人とからかうことで、クラスの関心をさゆに集め、クラス共同体に参加させて、めちゃモテ委員長にしようとしたさゆを想うやさしい気持ちがあったのではないかということである。これは、かなり説得的な説だ。タブー破壊の説明をしている。我々はこの説をとるべきである。
さて、常盤君の半分がやさしさでできていることが分かったところで、突貫のその後を考えたい。中学に入って初めて人間の友達ができたという、さゆの証言からすると、完全に彼の作戦は失敗している。彼のやさしさは全く伝わらず、逆に嫌われてしまうという、裏目にでる結果となった。いまだに嫌われているくらいだから、小学校・中学校と彼は辛酸をなめたに違いない。義理チョコも貰ってないだろう。そして、図らずも、来年の成人式はさゆに出る意思はあるものの、悲しいかな、ハロコンが重なっているため、出席できない。したがって、再会して詫びることもできない。さゆの心の中では嫌いな常盤君というイメージが半永久的に確定してしまった。しかも、公衆の面前で暴露されるという始末。しかし我々は、彼に心から惜しみなく賛辞を送らねばならない。絶対に笑ってはいけない。自らの身は省みず万死恐れずさゆのために理解すらされず散った常盤君を。
正直、僕は当初、彼を、リコーダー舐め、水着を盗む、教科書を窓から投げ捨てる、墨を筆先から飛ばして服を汚す、背中にバッタを入れる、などの狼藉を働く変態的不届き者だと思っていた。だが、どう考えても、そういうことはあり得ないのである。通学路に変質者が出没しているから、かわいい子は気をつけるようにと、担任に言われ警戒していたさゆであるが、おそらく、常盤君は、往路復路ともにひそかに陸上警備行動に出ていただろう。長州一の快男児であった。七生報さゆの心意気である。
前の音楽戦士でさゆの8才のときの写真が出たが
勿論可愛いが
それより逞しく凛々しくて
隼人かと思ったw
このさゆに目を付けた常盤君はお目が高い
ちょwおはスタで寺田が声優やってるwしかも下手すぎるwクソワロタw