「鎌倉に連れてッてよう!」
とねだるのでほんの2・3日のつもりででかけたのは8月の初めごろでした。
「なぜ2・3日なの。行くなら一週間ぐらいじゃなけりゃいやだわ」
そうは云っても会社の休暇はほとんど残っていませんので
「今年は2・3日で我慢して、来年はもっといいところに連れてってあげるから、ね、いいじゃないか」
「でも短すぎるわ」
「大森の海岸でも泳げるじゃないか、帰ってきてから」
「あんな汚いところ、泳げたものじゃないわ」
「そんなわからないこと、云うんじゃないよ。ね、いい児だから。代わりに、洋服をこしらえてあげるから。前に、洋服がほしいと云っていたじゃないか」
やっとのことで、なだめることができました。
鎌倉ではあまり立派ではない旅館に泊まることになりました。無論、彼女と初めての旅行なので愉快でなりませんでしたから、なるべくその印象を美しいものにするため、あまりケチケチせず、宿などもすべて一流にしたいと考えていたのですが、いよいよと云うときになって、横須賀行の二等に乗り込んだ時から、私達は急に気遅れに襲われたのです。なぜかと云って、その汽車には逗子や鎌倉へ行くきらびやかな夫人や令嬢が沢山列をつくっており、サユミの身なりがいかにもみすぼらしく思えたものでした。指輪だの何かしら富貴を誇るものを身にまとう並み居る夫人の中、サユミが今でもきまり悪そうに小さくなっていたことをいまでも思い出します。そういうことがあったわけです。しかし、お転婆のサユミは海に出るとそんなことは忘れてしまっていました。
思えば、私はいままでサユミと一緒に住んでいながら、彼女がどんな体つきを、露骨にいえばその素っ裸な肉体を知りうる機会がなかったのに、いよいよ今度はそれが本当によくわかったのです。由比ヶ浜の海岸に、前日買い与えた海水着と海水帽を肌につけて現れたとき、思わず私は息をのみました。その短い胴体は、Sの字のように非常に深くくびれて、くびれた最底部のところに、もう十分に女らしい丸みを帯びた尻の隆起がありました。思いのほかに厚みのある、たっぷりとした肩と、いかにも呼吸の強そうな胸を持ち、波に打たれたりすると、海水服はハチきれそうでした。私達は、時がたつのも忘れ一日中遊びぬいていました。
「あーあ、おなかが減っちゃった」
私達は、帰り道に洋食屋へ寄って、まるで競争するかのように、ビフテキ、また、ビフテキとたらふくたいらげました。
あの夏の思い出は、書き出したら際限がありませんが、ひとつ書き洩らしてはならないものがあります。その時分から、私が彼女をお湯にいれ、手だの足だのをスポンジで洗ってやる習慣がついたのです。彼女が眠たがったりして銭湯へ行くのを大儀がるものですから、塩水を洗い落とすのに台所で水を浴びさせたりするのがはじまりでした。
「サユミちゃん、べたべたしたまんまだったら寝られやしないよ、こっちのたらいにお入り」
彼女は云われるまま従っていましたが、秋になっても行水はやまず、しまいには、家のアトリエの隅に風呂をこしらえて冬中洗ってやるようになったのです。
