「誠一といいます」
後ろの声に振り向くと、いつの間にか部屋に戻った聡子が幸恵のすぐ傍まで近づいていた。
「息子さんが、もう一人いらっしゃるんですね」
「はい」
「信仁さんとは、年がいくつ離れた弟さんですか。写真では十歳くらいかしら」
できるだけ、何気なさを装うため明るく切り出したつもりだが、
すぐに言葉を返さない聡子に、やはり踏み込むべきではなさそうだと思った。
「あ、ごめんなさい、いいんです。ただ、なんだか綺麗な目をした子だなあと思って」
話題を変えるために書棚から離れようとした幸恵に、
「ここにいてます」
そう言って、こちらへ来てくれというふうに、頭を小さく下げ、歩き出した。
ここにいてます?
言葉の意味が理解できないまま、後ろについていくと、
廊下を挟んだ向こうの襖を開け、照明を点けて彼女は幸恵を招きいれた。
4畳に半畳ほどの床の間がついた和室である。
そこには、仏壇だけがあった。
「主人と誠一です」
日当たりが良くないせいか色褪せてはいるが、小ぶりな仏花が両脇にたむけてあり、
彼女の言葉通り、中には位牌が二つ並んでいる。
幸恵は言葉もなく、前に正座をして手を合わせた。
「事故で亡くしました。あれは、信仁が14歳で誠一はまだ11歳の、子供でした。
誠一は自閉症で、そこまで育てるのに私ら夫婦もそれは苦労もありましたけど、
家族はほんまに幸せやった。信仁も弟のことを可愛がって、よそのお宅とは違っても
仲のいい兄弟やった」
「聡子さん・・・・・・」
二人の沈黙の隙間に、振り子時計の音だけが響く。
カチッ、カチッ、カチッ・・・・・・
「辛いこと思い出させてごめんなさい。もう何も言わなくていいですから」
聡子は頷いた。
だが、もう何年も誠一のことについて誰とも話をしていない。かえって聞かせる
には暗い話になると思うが、この子は思い出してもらっていると喜ぶだろう。
悪いが、息子のために少し付き合ってもらえないかと言った。
幸恵は正座したまま、彼女の方に向きをかえた。